私は、自分の苦しみが自分を救い、自分の傷が自分を癒すのだ、と考えています

その苦しみが重く、その傷が深いほど、その分量、質と同じだけ人はそれが救いとなり、癒しとなっていけるのです。
そうなるための条件はただ一つ、その苦しみ、傷を引き受けていけるかどうかです。


と言うようなブログを拝見させて頂きました。
なるほど!
私は空手家ですので、どつきましあいには強いです。
痛みにも強いですが、よくよく考えると痛くないのです。それほど。他人ほど。
しかしこれが同じ対峙する相手が空手ではなくなり、ビジネスなどに変わるといかがでしょうか?
やり方が異なりますよね!
どついたらいけません!笑笑
するとお客様や上司や部下や女性社員や全ての人間関係に対する「強さ」(免疫)がやはり全て違い、その対処に悩むのではないでしょうか?

(昔の縦社会は意外とそのパワーバランスがしっかりとしていて、悩みも現代よりは少なかったと思います。(違う苦労もありましたが))

全ての全方向に対処できれば苦労しないのですが、そんな人は多分いないでしょう!
解決法は「慣れる」事です。
繰り返しますが全方向に慣れるのは無理がありますし、気をつけたいのは右往左往しない事。
自分のポリシーを慣れるまで貫き通す事が重要です。

私もこの歳になって、いかに色々なタイプの人がいるのかと言う事と、少し右往左往していて解決策が見つからなかったりしていた自分に気づきました。

空手はどつき、どつき回され、それでも諦めずに打ち合えれば、慣れてきて対処法が無意識に生まれます。空手と仕事は別物と思っていると逃げたくなることでも、なぜあんなに空手では前向きだったのか?
と自問自答していますと
「その苦労があるから癒しになるのです。」
と言う考え方はなるほどと思ったのです。