新渡戸稲造「武士道」
序文
著名なベルギーの法学者、ラヴレー氏の家で歓待を受けて数日を過ごしたことがある。
ある日の散策中、私たちの会話が宗教の話題に及んだ。
「あなたがたの学校では宗教教育というものがない、とおっしゃるのですか」
とこの高名な学者がたずねられた。
私が、「ありません」という返事をすると、氏は驚きのあまり突然歩みをとめられた。
そして安易に忘れがたい声で、「宗教がないとは。いったいあなたがたはどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか」と繰り返された。
その時、私はその質問に愕然とした。
そして即答できなかった。
なぜなら私が幼いころ学んだ人の倫(みち)たる教訓は、学校で受けたものではなかったからだ。そこで私に善悪の観念をつくりださせたさまざまな要素を分析してみると、そのような観念を吹きこんだものは「武士道」であったことにようやく思いあたった。


わたくしは新渡戸稲造先生(旧五千円札の肖像)のような高名な人ではないが、全く、全く全ての感性を総動員して同意できるのだ。

これがわたくしの偶然一生を遂げる「空手道」とその研究の中から知った「武士道」を教育の原点と仮定できると思う理由なのである。

皆様も改めてご一読頂き、ご一緒に考えて行こうではありませんか。