今日は私の好きな登景子さんのブログをリブログ。


ゆったりセラピーのインストラクター合宿から帰ってきた日に更新されて


読んだら合宿の中で感じたことがよりはっきりした。


気がした。


ゆったりセラピーと言うボディーワークに通じる事だなあと勝手に私が思った。


いや 私がいつも思ってる事に近かったんだ。

ゆったりセラピーでも

パステル画でも


「正解は無い」



ゆったりセラピー協会


今回の10名近く参加者さん達は今現在セラピストととして働いてる人が殆ど。


起業してないのは私ともう一人位。


なのにゆったりセラピーのインストラクター講座とか

アシスタントとか参加して良いのか?


と言う自問がセラピーを受けても

また行っても自分の施術の拙さを感じて益々思うのだった。


対軸の傾きと重力による寄りかかりで

クライアントの身体に深くて自然な筋肉や骨へ刺激をあたえて

さらに寄りかかりで帰ってくる筋肉の返しに寄り添う事で、さらに深いリラクゼーションを感じて貰うのがゆったりセラピーである。


言葉にすると簡単そうで

実際行うとせっかちで慌て者

そして人の評価を気にする質の私には

難しく焦るばかりで他の人のように

思うような形にならない。


だけど最初にこの世界の扉を開いた時の私は

仕事が肉体労働である夫の身体を自分で労うためのはず。


いつかはサロンもインストラクターもやるかもしれない。

だけどそれが全てなのではなく、ゆったりセラピーで一人一人の身体を確実に捉えて、自身と会話させる手助けが出来るのは素晴らしい事だ。


少なくともゆったりセラピーと言う施術を手にして

少なくても伝えて発信することは出来る。


起業する サロンを持つことか現状難しい今ではあるけど

今は私という存在がゆったりセラピーと言う施術を発信することが私のセラピストとしての仕事だと思う。


それほど この施術は多くの人が親しみ

ボディーワークを嗜む人は一度は触れてほしい素晴らしいもだ。


基本は創始者鎌田麻莉さんのセッションだけと、インストラクター合宿の参加者達はそれをそれぞれにアレンジまたブラッシュアップしてお客様に提供している。


そこにコピーと言う文字は無くて

一人一人が違って皆良いと言う世界だった。


だからまだまだ素人っぽい私のセッションも、少しずつ経験をこの先重ねていけば、それが私の形になるはずだ。


ゆったりセラピーの正解の1つとはクライアントの快であり満足感であり

セラピストの充足感であり品格だと思う。


多分セラピストによって異なる正解

クライアントによって異なる正解があるに違いない。


そしてゆったりセラピーとは正解や優劣を付ける技術や資格では無くて


個人として自分自身の感覚や軸を感じる技術と時間を与えてくれるボディーワークなのだと思う。


そこにはジャッジやランキングは必要ない。

固い鎧のような外因を柔らかく解して、柔らかな心のような身体を取りもどすために。


だから正解は無いのだ。


私の中でゆったりセラピーと言うボディーワークを少しだけ理解した合宿だった。