手元に残った「クソ野郎と美しき世界」のパンフレット。

 

まだ撮影が始まってない時期の内容もちらほら。

 

読めば読むほど「新しい地図」を立ち上げたクリエーターらの

 

監督を引き受けてくれた方の三人へ向ける思いが泣けるくらい嬉しい。

 

 

一昨年の暮れ

 

もう私の知っている「スマスマ」でも

 

「SMAP」でもなくて終わった国民的アイドルの終焉の最終回。

 

 

その時画面に向かって泣くしかなかった私だったけど

 

それ以上に悔しく悲しかったのは

 

彼らとともに作品を作り上げてきた現場の人たちだったんだと

 

このパンフレットを見て確信した。

 

 

何も亡くなったとばかり思った三人に

 

力を貸してくれた綺羅星のような才能達。

 

映画を創るにあった思い

 

「何をすることが3人にとって幸せなのかという考えがあったと思います。」

 

その志が今どれだけの心を救ってくれたか。

 

 

 

 

光は必ず濃い影を伴う。

 

影は光がなければ存在できない。

私は深くて濃い影を知っている。

だから光の有難さも怖さも知っている。

それををどう使うかは全くの自由だ。

 

 

少女に移植された野球少年の腕が付きあげられた青い空。

痛々しい傷と優しい掌の暖かさが

両親の人生に置ける光と闇を繋いで分けてまた一つにした。

 

 

演技の天才と言われる草彅剛が演じたオサムのやさぐれた有り様と

父親として見せる不器用な優しさが

大きなスクリーンではじけて観客をひきつけて魅了する。

 

 

尾野真千子は不義理な父親に代わって息子を育て死後移植された彼の腕を探す

逞しい母親像を見せてくれた。

 

激しい愛情と繊細な悲しみ。

泣いても叫んでももう戻らない世界を彼女は求めていた。

 

まるであの時の私たちのように。

そして救ってくれたのは立場も枠も超えて傍に来てくれた人たちの存在。

 

行先も方向も距離もわからずに

地図さえもない元夫婦の旅はきっと三人のスタートに似ているのかもしれない。

 

意図せずに失ったものを探して

そして放蕩の末にかわるなにかを得るという寓話。

 

太田監督の人間への優しい眼差し

欠点も美点もまとめてクソ野郎と言われる人への暖かなエールを

この作品を通して感じる。

 

人はいつも得ながら失い。

失いながら得ていることを気が付かないものだ。

 

3人の出発にどれだけの思いが寄せられて手が加えられているかを

忘れないで応援したい。

 

 

 

 

 

実は指のくだりがいまいちわからないww

ソフトが出たら穴が開くほど見てやるわw

え??出るんでしょ??(笑)

 

 

正直一回目の鑑賞では最初の吾郎の一遍は

「え???これで終わり???」という感想だった・・・。

むきだしの僕とか吾郎は言っていたがどこが??

背中が???

あれでむきだし????

・・・・すいません 言いすぎですw

 

 

アメブロの大先輩のよこっちょさんがまた素敵な感想を書いてらっしゃいます。

あのシーンこのシーン思い出しながら読んでください♪