こんにちわ。
 
 ちょっと昔話


私の妹は三つ下で
 
5歳で事故で天に召されました。
 
 
震災で家が流出して
 
ただでさえわずかだった写真も勿論消失。
 
母が持ち出した重要なものの中にその類は一切ありませんでした。
 
それは子供を失った悲しみを母が
 
長い年月と経験で徐々に薄くした証だったのだと
 
私は理解しています。
 
 
亡くなった直後は命日 誕生日と何度もお墓に行っていましたが
 
震災前後何年かはそれも心には無いようでした。
 
 
先日 関東に嫁いだ叔母からおくられた妹の懐かしい姿の写真が送られてきました。
 
背景は当時暮らしていた母の実家周辺。
 
戦後になって開かれてきた近所の風景が生々しく映ってます。
 
 
この場所に家を建てた私の祖父は南洋に出撃した海軍兵でした。
 
私の父は樺太から親を亡くした孤児として、たった一人で10歳未満の時こちらに運よくたどり着いた人です。
 
 
父が生きていなかったら
 
当然私も
妹も存在しえなかったわけです。
 
そしてその妹は不慮の事故であっけなく亡くなる悲劇に
 
若い父母がどんなに悲しんでいたか、今になってよくわかります。
 
そして私が亡くなった当時 妹の納棺を見るのを拒否してその場にもいかなかったことを思い出します。
 
もしその時そのシーンを見たら
 
妹をお棺に入れることを拒んで泣きながら
小さな遺体を抱きしめていた若い母親を見て
 
大きくなってもなかなか癒えない目に見えない傷を負っていたと思います。

人の脳は見た物を勝手に自身が見たいように変換して記憶にします。
 
私はあの時自分で自分を守ったんだなあと
 
この写真と
 
ある方とのlineセッションを通して思いました。
 
 
そして今この時期にこの写真がここに来ているのは
 
「妹さんが応援してるんですよ」と言う言葉をもらいました。
 
 
確かに私は昔早くに亡くなった妹の分も
 
生きて
 
色んなことを経験しなければと思ったことはありました。
 
 
 でも今は自分自身の人生を

自分で生きる責任を持つこと。


そして有形無形のご縁を大切にして

伝えるべきことを伝える事を

自分の魂の仕事にしていきたいと思います。


人間の魂は

人間同士の出会いでしか生まれないし

生きなければ磨かれないし

誰かと出会わないと何かを見つけることも出来ないから。
 
 
 


私自身は目に見えない人が見える人でも

ブロック解除したり

ヒーリングが出来る人間ではありませんが


闇にも目を凝らす観察力と

物語を無から編み上げる想像力で


この世に生まれた命と魂を語り続ける人間でありたいと思います。

 
 自分を生きる事と同じように。




 
 私の人生を完璧に。

人生はcleaning。

人は満たされて愛されて初めて人に与えることが出来る。

ありがとう
愛してます💕