愛散華に舞って候
男が立っている。
悲しみを込めた瞳に涙をためて。
女が立っている。
悲しみを込めた瞳に涙をためて。
男は女を愛していたし、女もまた男を愛していた。
女には父があった。もう、老い先長くなく、長いところ病床に臥せっている。
男は女を気遣って、しきりに女に言った。
「いつまで看病を続けるつもりだい?言っちゃ悪いが君のお父さんはもう寿命を全うされていると思う。大往生だ。これからは君が君自身のことに時間を使わなければ意味のない人生だと僕は思うんだ」
女は首を振る。
「いいえ。私は父と共に人生を終わらせるつもりなの。父が死ねば私も死ぬわ。たとえそれが間違っていると他人に非難されようとも、私は自分の考えは曲げないつもり。」
偶然にもその場に居合わせた自分は、古くからの友人二人が、そういった会話をしていることすら悲しく、黙って話の顛末を見守るしかなかった。
海に来るには少し肌寒い時期になってきたな。
そんなことを思っていると、女が口を開いた。
「私はあなたのこと、好きだよ。本当に本当に好きだよ。あなたがいなければ私の人生は成立しないとさえ思っているの」
当然の如く、男は聞く。
「じゃあどうして?どうして僕よりもお父さんのことを?」
「わかるでしょ?」
一瞬の静寂があった。
直後、場違いに夕焼けの海岸線を暴走族が駆け抜けた。あまりの爆音に、自分は一瞬二人の会話から意識がそれそうになる。
「うん、わかる。」
「あなたが私のことを思ってくれているのは本当に嬉しいの。ただ、恋愛と家族愛は違う。確かにそれぞれだとも思う。たまたま私の家庭は愛が、繋がりが、他の家庭より強かったのだと思う。」
自分は軽はずみだとは思いながら、しかし、どうしても聞かずにはいられなくなって女に聞いた。
「じゃあ、君は父親とこの男、どちらが大切なのかね?」
女は黙った。
気づけば男は泣いていた。
陽が徐々に傾きだしていることに漸く気づいたのはその時だった。
「わかった。誰の目から見ても君のお父さんはもう亡くなる寸前だ。そして君がお父さんの後を追うと言うのならこれは仕様がないことだね」
自分は、男がまたおかしなことを言い出したと思う。ついさっきまでは女を説得しようとしていた男が、一転、女を肯定し始めたことに不思議を感じざるを得ない。しかし、男の顔つきからは、決して物事を否定的に捉えようとしてる様子は見えない。
女は朗らかな表情を浮かべ微笑んだ。
「そうなんだよ。あなたが理解ある人だということははじめからわかっていたし、きっとあなたはそう言ってくれると思っていた。」
一体どういった会話なのか、皆目見当がつかぬ自分はやはり、言葉を発せないでいる。
何分なのか、何時間なのかわからない時間が経過している。
二人は見つめ合っていた。
自分もその空気に溶け込んで、二人と共に立ち尽くす。
「私はきっと死ぬ時に、一番にあなたのことを思うでしょうね。きっとそんな気がする。」
「僕だってそうだよ。」
そう言うと二人は笑い合った。
「ここが愛の到達地点よ。」
「そうだね。」
「この時に隣にいてくれたのがあなたでよかった。」
「僕は、君とどこまで一緒にいられるのかな?」
「きっと、永遠よ。」
「それが本当ならどんなに素晴らしいことだろうか。」
人通り少ない海岸で、自分は二人の遣り取りを見ながら、何故だろう。幼い日に母が作ってくれたカレーライスを思い出していた。大しておいしくもなかったカレーライスの味を。
男は自分に向けてはっきりとした口調で言った。
「僕はこれから彼女の首を絞めて殺すだろう。僕が彼女を殺した直後、僕の首を絞めて僕を殺してはくれないか?」
自分は頷くしかなかった。
これ以上男を悲しませたくなかった。
さも当たり前と言わん態度で男は女の首に手を伸ばす。
波が止まった。
男は女の首を絞めた。自分は泣いていた。女はもう死んだ。自分は男の首を絞めた。びくびくと痙攣。やがて男も死んだ。
自分は二人の遺体が重なるように、男の遺体をそっと女の上に被せた。
激しく愛し合った二人が死んでいた。
誰も悪くない。
誰も悪くない。
夕焼けが嫌というほど茜色に染まっていた。
こんなに綺麗な夕焼けを見たのは初めてだった。
空をぼうっと眺めていた。
波が静かに寄せて返していた。