近年最高の年越しを迎えている | 自活屋徳々の誰にも読まれない役立たずな随筆

自活屋徳々の誰にも読まれない役立たずな随筆

あくまで自分の関心のあることだけを綴る随筆で、それが誰かの役に立つかどうかは読み手に委ねるところ。
私が一番関心あるものは、どうやって死ぬか。死に様は生き様の末路、ならばそれまでの行程は、激しく穏やかに溌剌と愉快に生きてゆきたい思いです。

家族と離れ
東京で暮らしはや一年
毎月帰阪しているものの
滞在日数が限られているため
どうしても人と会うとなると計画的に
小分けして設定しなければならない。
もちろん相手にも予定があるため
思う通りにならないことの方が多い。

余談たが
私はSNS利用者で
メッセージだけのやりとりで
実際に会ったことがない人のことを
友達だと思っていない。
得たい情報などを
伝達してもらうことに於いて
繋がっている関係に過ぎず
そこに関係性という概念は
必要がないように思う。

実際に会った人も
また次に会いたいのか
そうでないのかによって
親友、友人、知人と分類される。

だから今も不定期ながらも
会っていただける人とは
私だけの気持ちだけでなく
相手にも何らかの私への配慮が
あると認識している。
そう考えてみると
めちゃくちゃありがたいことだと
痛感するのだ。

そんな貴重な存在である
私が会いたいと望んだ全ての人に
この年末奇跡的に
会うことができ、
深い至福を味わうことができた。

その全ての人との時間を
今また頭の中で反芻し噛みしめている。

私は人と会っている時間も
好きなのだが
会ったあとまたその時の時間を
振り返ることも好きなのだ。

二度美味しいというやつだ。

何を話したかも重要だが
それ以上に
どんな表情だったのかが大切で、
終始笑っている顔
時々哀しそうな顔
突然真顔
ちょっぴり憤怒顔
いつでも相手の表情が浮かんでくるよう
ビジョンを手繰り寄せるようにしている。

相手の表情がもし私の鏡だとしたら
そこに同調しピントが
ほぼ合っていることになる。

つまりフィーリングが合っている
ということになる。

おそらく私はこの五感すべてからくる感覚を

味わうのが好きだから
人との対話、
会食をしたいのだろう。

共有するとは
つまりはそういうことなんだろう。

共にそこに有る。


そういうわけで
お会いした皆さんの力をいただいたことで
来年は書きまくる一年になることが
私にははっきりと観えている。
その追風を与えてくれた皆さんに感謝し

次の一歩を進んでいきます。

私と出会ってくれた人たち
本当にありがとうございます。

2022年12月31日

近年最高の年越しを迎えている。
おかんとおとんと俺、
親子水入らずの鶴見での大晦日