真言僧儀海の足跡 一 | たろうくん(清水太郎)のブログ

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八王子の夕焼けの里でniftyの「清水中世史研究所」(八王子地域の中世の郷土史)とYahooで「清水太郎の部屋」として詩を書いてます。

真言僧儀海の足跡 一

一  密教(容易に知りえない秘密の教えの意味)

 現在、チベット周辺と日本だけに残る仏教の一つの宗派である。密教は唐の開元初年,インドの善無畏と金剛智が『大日教』(胎蔵界)系統と『金剛頂経』 (金剛界)系統の密教を伝え,唐の一行・不空・恵果らがこれを継承発展させた。この隆盛期に,空海・最澄・円仁・円珍らが入唐して日本にこれを伝え,真言 密教(東密)と天台密教(台密)をおこした。これ以前の密教である雑密と区別して,純密と称される。すでに奈良時代には密教経典とその修法も伝えられてい たが,その体系化は空海以降のことである。金胎両部ないし胎金蘇(蘇悉地)三部にもとつき身口意三密加持による即身成仏を説き,潅頂・修法・曼荼羅の作成 が行われた。特に荘厳な儀法全体に意味があり,それは秘密に口伝されたが,道教・陰陽道・神祇思想や作法と混合するところも少なくない。

 次に専門的語彙について若干の解説に触れておきたい。

胎蔵界 金剛界に対する密教の両部(両界)の一つ。正しくは胎蔵(法)という。胎蔵とは,母体で胎児を保護養育することにたとえて万法をふくみおさめること。これを図像化したものが,胎蔵(界)曼荼羅。

【金剛界】密教の両部(両界)の一つで,胎蔵界に対するもの。金剛とは堅固な宝石のことで大日如来の堅固な知恵にたとえられ,その悟りの境地を金剛界という。この境地に至る道程を図案化したのが金剛界曼荼羅。

曼荼羅(曼陀羅)梵語の音訳。インドでは祭典用の土壇を築いて諸仏を配置したものをいい,中国・日本では密教の修法のため多くの尊像を一定の方法にもとつ いて整然と描いた図像をいう。費用減形式から区別すると,諸尊の形相を彩画した大曼荼羅(原図曼荼羅),諸尊の持物で仏体を表した三味耶曼荼羅,諸尊を表 す梵字(種子)の記号だけで表した種子曼荼羅(法曼荼羅),諸尊の形像または持物を立体的に鋳造・彫刻した羯磨曼荼羅に分けられる。また内容によって区別 すると,大日如来を中心に各部の諸尊を配置した都部曼荼羅と,大日の別身である阿閦・阿弥陀・観音などの特定尊を本尊とした別尊曼荼羅とに分けられ,前者 の代表は金剛界と胎蔵界の両界曼荼羅であり,後者は仏頂・経法・菩薩・天部の各曼荼羅がふくまれる。なお垂迹画や変相図などを曼荼羅とよぶこともある。

即身成仏 現世でこの身のまま悟りを開き仏となること。特に真言密教では根本教義とし,法界中で平等な仏と衆生は心・口・意による観想・真言・印の作法により一体化し,衆生は成仏すると説く。

潅頂 如来の五智を象徴する水を仏弟子の頭頂に注ぎ,仏の位の継承を示す密教の儀式。阿闍梨位を得るための伝法潅頂,多くの人々に仏縁を結ばせるための結縁潅頂など,種類は多い。

東密 真言宗に伝わる密教。天台宗の台密に対する呼称。東寺を根本道場とする。唐より帰国した空海は,密教のみが真実の教えであるとして,東寺を中心に弘 布した。のち広沢・小野二流に分かれ,さらに多数の流派に分かれた。台密の胎蔵界・金剛界・蘇悉地の三大法に対して金剛胎蔵両界説を説く。

台密 比叡山延暦寺を総本山とする天台宗に伝わる密教。真言宗の東密にたいする呼称。山門派と寺門派の二派がある。東密の金剛胎蔵両界説に対し,胎蔵界・金剛界・蘇悉地の三大法を説く。

道教 中国で二世紀頃始まった,多様な民間信仰と神仙思想・養生思想・儒教・仏教などが習合した信仰。神仙となることや不老長生をもとめる。日本では特に陰陽道や修験道に影響を与え,庚申信仰にはその色彩が顕著である。

陰陽道 古代中国の陰陽五行思想にもとづき,災異や人間界の吉凶を説明し易占などを行うことを主要な要素とし,これに祓や祭祀もふくめ日本において体系化 された技術。十世紀ころ陰陽道という名称が一般化し,天文・暦などをふくむ学問体系として発展した。日本へは六世紀ころ百済から伝来し,天武朝に国家によ る組織化が進み,大宝令で陰陽道の担い手となる陰陽寮が中務省の被官としておかれた。とくに平安時代には貴族社会を中心に発展し,新たな禁忌や様々な陰陽 道祭祀がうまれた。十一世紀後半以降,安部・賀茂両氏によって陰陽道は家業化された。中世になると,武家,有力寺社,民間へと広がり,他の思想・信仰・芸 能などと習合して様々な展開をみせ,近世に至って幕府の宗教統制の一環として土御門家によって組織化され,朝廷や幕府の礼儀などにも取り入れられた。明治 維新後,陰陽寮・太陰暦の廃止により,公的な場で陰陽道は用いられなくなったが,一部の禁忌等はその後も民衆生活に影響を与えた。

神祇思想神 にかかわる観念や信仰の総称。狭義には令制の「天神地祇」に関する思想であるが,広く土着の神観念をもふくむ複合的で,また歴史的に形成され た緩やかな概念として用いられている。もともと日本では,天地の神や,人格的な祖先とその系譜神を祭る慣行がなく,しかも教説もなくて,各種の自然形象を 共同体や生業の神として祭った。その後,仏教の受容や道教の部分的な接触とも関係して,神を偶像として命名することや,ケガレ(穢)と祓を重視すること, 『古事記』『日本書紀』にみられる神話(日本神話)の創作などが進んだ。そして,天皇の祭祀権のもとで二義的な「天神地祇」が編みだされた。この二重構造 のもとで,奈良後半期からさらに氏神祭祀が派生し,平安時代からは広く民衆をとりこむ形で怨霊信仰が生まれた。やがて密教・陰陽道・中国思想などもふくみ こんで,天地生成を説く中世神道が誕生したが,なお『日本書紀』にある神観念が強く影響した。ここには教説の成熟もみられないが,禁忌・清浄に関する考え 方などは一貫している。