20 小牧山城【続日本100名城】(2024/8/4) | まったり攻城戦 -日本100名城・続日本100名城訪問の記録-

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城の訪問記録。のんびり200名城の制覇を目指します。

 今回の旅程の最後の城、「小牧山城」にやってきました。

 小牧山は濃尾平野の中にポツンと立つ標高86mの低山で、真っ先に連想したのはドラえもんに出てくる裏山です。

 このように市街地に囲まれている低山は私の郷里である新潟県には存在しません。私にとっての平野は市街地か田んぼであり、山と言えば真の山間部、といった感じなので、ここの景色は新鮮味を覚えます。

 

 小牧山城の歴史は、1563年織田信長は美濃攻略の為に本拠を清州から小牧山に移したことから始まります。山頂に石垣が築かれるなど、石を多用しており、当時としては画期的な城でした。
 城の南側には城下町も整備されましたが、1567年に信長が岐阜に居城を移したため、小牧山城はたった4年でその役割を終えることとなりました。

 城下町まで造るくらいだから、信長も仮住まいのつもりではなかったのだろうけど、想定よりも早く美濃平定が成ったということなのかな?

 

 この城に再度スポットがあたるようになったのは、それから17年後の1584年。天下人に近づきつつある羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康連合軍の間で「小牧・長久手の戦い」が起こりました。

 家康は、ここで羽柴軍を迎え撃つため、わずか5日間で土塁を高め、堀を深くし、要所に砦を築いたといわれています。もっとも、この城で直接戦いが行われることはありませんでした。

 

 山と城跡は、江戸時代を通して尾張徳川家の領地として保護を受け、一般の入山は禁止されていました。明治維新後も尾張徳川家の所有地でしたが、1927年に国に寄付され、現在は山全体が公園として整備されています。

 

 

 麓から見た小牧山。山頂に天守風の歴史資料館が建っています。


 

 小牧山北駐車場に車を停めて、搦手側から遊歩道を通って登城します。


 

 空堀の跡のようです。


 

 

 山頂が近づいてくると所々に発掘されたとみられる石垣が見えてきます。



 

 

 やっと山頂まで来ました。資料館の下の石垣は、最近になって復元されたものです。


 

 山頂からの展望。




 大手道の方まで行きたかったのですが、今も発掘調査中のようで迂回ルートになっており、時間もなかったので駐車場に戻ることにしました。



 

 駐車場の近くに土塁断面の展示があります。地層を見ると、黒い層、黄色い層、礫層からなっており、新たに堀を掘って出た土で土塁を高めた証左となっています。




 

 今回の旅はこれにて終了。実質2日間で、9城を巡るハードな旅でした。

 

 

 

 小牧空港からFDAで帰ります。新潟空港までは離陸から40分くらい。


 

 久々の飛行機が楽しくて、子供のように窓から写真をパシャパシャ撮っていると、何やら見慣れた小山が……!?


 

 なんと、飛行機が小牧山の上空を通過。まったく意図せず空撮に成功しました。


  

 

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