18 古宮城【続日本100名城】(2024/8/4) | まったり攻城戦 -日本100名城・続日本100名城訪問の記録-

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城の訪問記録。のんびり200名城の制覇を目指します。

 設楽原から1時間ほど車を走らせて「古宮城」にやってきました。今回レンタカーを借りたのはこの城を訪れたかったからです。


 ちなみに公共の交通機関で行く場合、新城駅までJRで行き、最寄りの新城栄町・新城駅口バス停から作手高里行きのバスに乗ることになるのですが、朝7時台の便を除くと最速で12:07の便になってしまいます。

 これでは古宮城だけで1日が終わってしまいます。


 さてスタンプですが、古宮城から少し離れた作手歴史民俗資料館で押すことができます。


 この神社から城内に入っていきます。


 古宮城は、1572年に武田信玄により、馬場信春

の縄張で築かれたと伝わります。


 東三河進出の拠点として築かれましたが、勝頼が1575年の長篠・設楽原の戦いで敗れた後は戦線が後退し、廃城になったものとみられています。


 この城の見どころは複雑で個性的な縄張りです。


 神社脇の登城口を登っていくと両袖枡形虎口が現れます。両袖枡形虎口って初耳なのですが、両側に鉤の手状に左右対称の土塁を設け、方形の枡形状の空間を設けた虎口のことをいうそうです。

 

 案内図の③を見ると、枡形が2つ並んだような形になっています。


 案内図③の左側の方の虎口です。主郭に通じる正面玄関で三方を土塁で囲まれています。



 櫓台の上から見た枡形虎口。主郭への入口も喰違いになっていて、防御力高めです。


 主郭と西曲輪方面を繋ぐ通路。櫓台から見下ろしています。


 主郭。ここはただ広い空間が広がっています。

 主郭と西曲輪を分断する大堀切と土橋。


 西曲輪。

 西曲輪を取り囲む土塁。

 西曲輪外側の土塁より。シナモンロールのように段土塁、帯曲輪、土塁、帯曲輪が連続しており、しかも上に登る道が分かりにくい。

 
 西曲輪の下の方まで来ましたが、縄張りが複雑過ぎて、今どこにいるのか分からなくなった…。


 

 往時は西側を除く3方が泥炭層の湿地に囲まれており、天然の要害となっていました。

 比較的単調な造りの東側に対し、西側の縄張りが極めて複雑なのは、このためでしょう。


 決して大きな城ではありませんが、見どころは十分でした。次は家康生誕の地・岡崎に向かいます。



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