16 吉田城【続日本100名城】(2024/8/3) | まったり攻城戦 -日本100名城・続日本100名城訪問の記録-

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城の訪問記録。のんびり200名城の制覇を目指します。

 豊橋駅に着いたのは、18時過ぎでした。


 既に6つの城を巡って歩いてきてクタクタでしたので、取りあえずホテルにチェックインして汗を流すことに。もうこのまま寝てしまいたい気持ちもありましたが、今日「吉田城」を訪問できれば、明日のスケジュールがグッと楽になります。(明日のスケジュールについては別記事にて)

 ので、頑張ってもう一度足を動かすことにします。

 

 吉田城は、1505年に今川氏親の命を受けた牧野古伯が築城しました。

 その後の争奪戦を経て今川家が支配を固めることになりますが、1565年には今川家を離反した松平家康(のちの徳川家康)に攻略されます。

 その後、家康の三河統一による酒井忠次の配置、家康の関東移封による池田輝政の入城と続きます。現在みられる吉田城の基礎は、輝政の時代に造られています。

 江戸幕府成立後は9家22代の譜代大名が支配しましたが、前期は転封が激しく、中期以降は松平(大河内)氏が城主となりました。

 

 

 

 スタンプは、吉田城鉄櫓(くろがねやぐら)内でも押せるのですが、時間が10時~15時と限られているので、22時までオープンしている豊橋市役所東館で押すことにします。まずは日が暮れる前にできるだけ吉田城を見学しておきたい。

 

 吉田城は豊橋公園の中にあります。というか、吉田城の本丸を中心とした一部が豊橋公園として整備されています。今にも日が暮れそうなので巻き巻きで見ていきます。



 もし堀が残ってたら、中々の規模の城ですね。

 


 南御多門石垣。打込接の石垣です。


 

 実質的な天守として使用されていた鉄櫓(くろがねやぐら)は1954年に産業文化大博覧会の開催にあわせて模擬再建されました。ちなみに往時は三重櫓が5基も存在していたそうです。





算木積みっぽいけどやや粗めの鉄櫓石垣。


 

 

 北御多門跡。高低差のある桝形になっていて攻めにくそうです。なんとか写真撮れてるけど、もう相当暗い。


 

 

 鉄櫓のすぐ背後には豊川が流れています。川を天然の堀とする後堅固の縄張りです。

 ただ、吉田城の堀は豊川とは繋がっていませんが、城への物資の搬入に豊川の水運は利用されており、そのための水門跡が残されています。(時間の都合で確認できず)


 

 

 帯曲輪の方からも映える写真が撮れそうですが、もう真っ暗になってしまったので、引き上げることにします。

 

明日は朝からレンタカーを借りて城巡りをする予定です。

 

 

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続日本100名城 9/100