記念すべき第一城目は「新発田城」です。なぜここが最初かというと自宅から最寄りの城だからです。
とは言っても、御三階櫓が再建されたころに来て以来なので記憶も朧気。今回はしっかり見てまいりたいと思います。
新発田城は、江戸時代初期に新発田藩の初代藩主・溝口秀勝により築かれました。城が完全な形となったのは1654年、3代宣直の時代と言われています。
この溝口さん、秀吉時代には大名格として加賀大聖寺を与えられていましたが、関ヶ原では東軍に付いています。苦渋の決断だったかもしれませんが、幕末までお家が残っていることを考えれば見事な処世術であったと言えるでしょう。
本題に戻しますと、新発田城は本丸南側の石垣と堀、櫓門の本丸表門と二の丸隅櫓が現存しており、現存建築が残る城跡としては新潟県内では唯一の城です。
立派な表門です。金沢城などにもみられる海鼠壁が特徴的です。
右手に見えるのが旧二の丸隅櫓。石垣はきれいな切込接布積ですが、これは1669年の大地震の被災後に改められたとされています。
事実上の天守である三階櫓です。明治維新後の廃城令により破却されましたが、2004年に辰巳櫓とともに木造復元されました。
この三階櫓の特徴は、なんといっても3つの入母屋造りの屋根に3匹の鯱が配置されていることであり、他にこのような屋根を持つ城はありません。
攻め入った敵を鯱の位置で方向を惑わす役割があったのではないかとも言われますが、はっきりした理由は分かっていません。
図のとおり、典型的な連郭式の縄張りです。
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