ムスコのガル男、9月から通う中学が決まった翌日、朝から入学式、クラス分けテストと慌ただしく過ぎる中で、アホみたいな失敗を犯してもうたのだが、その話はQマガジンで書くとして....


この日、まるっと一日学校で過ごし、家に帰ってきたのは、6時ごろ。胃腸をいたわるお粥などを食べ、ゆっくり横になろうとしたのだが、味わったことのない疲労感が押し寄せてきたのである。

学校も決まり、どっと疲れがとか、わかりやすいカラダだな、と思ったのだが、あったかいモン飲んでも、横になっても一向に良くならない。それどころか、まぶたの1箇所が腫れ始め視界を狭めるほどに大成長してゆくという異変が。
ナンデスカ コレ


これはもしかしてまた運ばれるパターンだったりして、と一瞬どっかで思ったのだろう。そこからは一気に手足のしびれと、アゴにもしびれ、そして胸がしまる、というか真空パックな感じ。

ナニヨコレ〜

そこでふと思い出す。そういやガル男がネバダでなってたヤツと同じ症状だ、なら過喚起だ、袋、ガル男袋を持ってこーい、でスーハースーハー あら?スーハースーハー スーハースーハー へ?
全然良うならんやん

ちゃうのか?過喚起とちゃうのか?と思い始める私。なんやねんこれ!怖いこわいコワイ〜で、ピーポーピーポー。

救急隊が駆けつけた時、右手に財布と保険証が入ったバッグ、左手にインソールが破れた靴を持って立つガル男。週に2度も運ばれるオカンのもとで、ガル男
付き添いの達人となる

こうしてまた同じ病院に運ばれた私。前回よりひと回り大きい点滴を打ち込まれ、血液検査の結果、医師から、「アンタ元気やで」と言われ、「不安が症状を呼んだんやな、また次同じような気持ちになったら飲んだらエエよ」と精神安定剤が処方されたのである。

その日、私は内科医である兄と連絡をとった。その返事はストンと自分の中で納得のいくものであった。

一時的に住んでいる海外と思っていたアメリカが気付かぬうちに、「絶対的自分の場所」となっていた。今、日本に帰ってきて、これから暮らす家も借りた。とはいえ、新しい土地で家財も揃ってない、いわゆる家という建物はあるけど、まだまだ自分の「居場所」には程遠い状態。一時帰国も日本に居場所はない、でもそこには期限があって、アメリカに帰る家がある。一時帰国と本帰国は一見同じような立ち位置のようでそうでない。だから今、「ここ」という居場所を完全に失った状態で心身に混乱が起きてる。つまりホームシックではなく、ホームレスシックにかかってんだよ、と。

家なき子ならぬ、家なきおばはんってか。くぅぅ、同情するなら....居場所くれ

兄の言葉に、居場所ってそんなに大事なんだな、とボロボロな数日を思い返しながら実感したのである。


前回、腸炎とともに手足が痺れたのも、同じことが起きていたのだろう。

日本人が日本に戻ってきたのに居場所がないと感じ不調をきたすなんてことが起きるなど、微塵も思っておらず、目から鱗も背びれも尾びれもどっさーと落ちてきたのである。

いつまで続くかわからない不調と付き合うのは怖いが、こうもどんぴしゃな原因を教えてもらえたことで、やみくもな不安感は一気に消え、ほんならゆっくり居場所を作っていこうやないか、と前向き発想が湧いてきたのだ。

と同時に、シカゴが、リノが、自分の居場所となり自分を支えていたのかと思うと、子供たちだけでなく、親にとってもあの場所が故郷の一つになっていたんだなぁと知った次第。この7年間がかけがえのない日々であったと実感できた今、やっとその日々を締めくくることが出来た、そんな気がしたのである。




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