極めて行けば独特となるのか。

 

一時帰国中、久しぶりにエステというモンに行ってきた。

 

宿泊するホテルの中にあり、初回ネット予約は安くなるというから。

 

予約時間に入り、肌の状態を見るために、普段つかっている化粧品からなんやらアンケートに書かされていた。

 

 

受付担当の女性。

 

これ以上の敬語は作れない、という言葉選び、ペンや紙を渡す時の所作、隙のないメイク、行き過ぎていて逆に恐縮するし、若干ひく。

 

その女性が言う。

 

今お書きいただいたファイルを見まして、ボイ様、41歳とのこと。わたくし30代とお見受けしておりました~と。こういうの度が過ぎると

むなしく、そして、切ない

 

最後の「おりました~」の「た~」なんかもう吐息サウンドで、伝えたいのか、「た~」とキレイに言いたいだけなのか、ようわからん感じ。

 

こういう現場って、すごいトレーニングされてると思う。

 

言葉づかいに話題のふり方、のちに化粧品を購入させる、次回につなげるためのトーク術とか。

 

こんな時、

 

「キャンペーンのシール集めてる?いる?どない?」

と低い声できいてくる、どぎつい化粧したアメリカのレジのオバちゃんを懐かしんでしまう。人間味500%。

 

良さを追求しすぎると、自然体からかけ離れて独特となりすぎる、のかもしれないなぁ、とふと思ったのだ。

 

 

日本人キャビンアテンダントの艶っつやの声に吐息混じりの機内アナウンスもそう。一瞬

シャンソン始まった?

って思てまう。

 

良さを追求する中で、自然体っぽさとのバランスを保つことも大事なんかもなぁ、と新たなる発見であった。

 

 

 

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