学校へ行けば、子供たちというのは切磋琢磨競争し、負けたり勝ったり、そういう生活の中から、家の外での感情の出し方、コントロールの仕方を失敗しながら学んで行くものだと思っている。せやから、少々のミスや、いじわるをする、されるも心の成長において必要過程と私は思う。
先日、夕飯時に息子がこういい始めた。
ママ、僕『ふたえ』が欲しい・・・。
えっー!? 整形願望ー!?
毎日白人のでこぼこした顔を見過ぎているせいで、ついにそんなことを言い出したのかと吹きそうになった、いや吹いた。
しかし理由は全く違ったのだ。
同じ学年に、ちょっとイヤなヤツがいて、直接ではないが、聞こえる、見える場所に来て、目を指で釣り上げて、ジャパニーズ、目をたれ目にして、チャイニーズというらしい。
コレをやってくるヤツは出来上がった顔を持つ白人らしく
「僕が二重やったら、こんなこと言われへんのに・・・」と言うのだ。
タイのインターにいる時は、肌の色、髪の色、目の色、宗教、その一つひとつが違って当然というスタンスがスタートラインだったから、こういう人種差別には合わなかった。
でも今は違う。
アメリカの現地の学校に引っ越してきた珍しいアジア人。
「アイツ、なんか、うざいよな」という典型的なイジメもいやだが、この外国ならではのちょっと差別的な傷つく言動は、大人、子供関係なく、免疫がなさすぎるからか、ちょっと心が痛い。
しかし、こんな時、一緒に悲しんでもいけないし、怒っても仕方ないのかとわたしは思う。
色んな顔があってエエねんでー。とシリアスすぎる方向には捉えず、色々話しているうちに横道に反れ・・・・
大丈夫。
大きくなっていく途中で顔は少しずつ変わっていくねん。アンタのとーちゃん見てみい。どこ行ったって、タイ人ですか?て聞かれてるやんか。アンタの顔もそのうちそうなるわー、あーっはははっ。と一体何を話をしていたのか分からなくなり、次の話題へといってもうた。
ムスコが、
その程度のことやってんな、と思ってくれていたらいいのだが。
旦那はタイ人にタイ人と思われていた。ポチっとおおきに。