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山口母子殺害事件の裏側

 昨日、山口県光市母子殺害事件差戻し審初公判が行われた。
内容を要約すると以下のとおり…。

【検察側】
 本件は強姦(ごうかん)目的で主婦を殺害した上、姦淫(かんいん)し、生後11カ月の乳児まで殺害したもので、少年特有の非行行為とはかけ離れている。その責任と量刑判断において、成人と少年を区別すべき合理的根拠はない。
 犯罪行為自体の悪質性のほか、遺族の被害感情、社会に及ぼした影響などを適正に評価し、国民の健全な法感情を考慮して判断すれば、極刑以外に選択の余地がない。

【弁護側】
 本件は強姦殺人ではなく、失った母への人恋しさに起因した事件であり、被害者に対しては傷害致死罪にとどまる。また、乳児については被告の精神的な未発達がもたらした偶発的な事件であり、被害児に対しても殺意は存在しない。
 被告は極度の退行状態にあり、成人と同様に非難することはできない。以前の被告は自分の過ちを現実感をもってとらえることができなかったが、26歳になり、反省と贖罪(しょくざい)の意を深めている。

 さて、あなたはどう思うだろうか?
多くの日本人はおそらく「【検察側】の意見に賛同する」というであろう。というよりむしろ、被害者の遺族である「本村洋さん」が抱く被害者感情への共感から「極刑、やむを得ず」という結論に達しているかと思う。
私、宇宙人セグも個人的意見を述べさせてもらえば、当然、極刑??を支持するものである。

 しかしながら、本件は一未成年者の起こした犯罪の「裁判」にとどまらず、違った様相を見せている。
【弁護側】が21名の大弁護団を組織し、「『死刑制度廃止』への礎を築こうとしているのでは?」と囁かれている点である。記者からの質問に対して、弁護側は「死刑廃止を目論んでいるのでない」と否定はしているが、実はこの弁護団が、4月に行われた「元法務大臣、佐藤恵弁護士」の「死刑制度に反対する」講演会に出席している。
佐藤恵元法相といえば、その在任中、死刑執行指示書に全く判を付かなかった法相として有名になった人物である…。
 このことから、「弁護士の二枚舌」ではないが(笑)、弁護側が本裁判を死刑廃止制度の可否を全国民が考える方向に向けたがっているのは明らかである。

 実は、私、宇宙人セグも「死刑制度廃止論者」である。ここで、間違って解釈されたくないのは、犯した罪に対して刑罰が重すぎると言っているのではなく、以前の記事「人が人を裁くということ」でも書いたが、「死刑=極刑」という概念に疑問を抱いているのである。
 理由は以下の2点である。

 一つ目は、刑罰と言えど、死刑には「人が人の命を奪う」行為が実際に行われるということである。確かに、死刑囚というのは、凶悪な犯罪行為を行い、社会的にも大きな影響を与えたのであろうが、その執行を被害者が行うならまだしも、全く利害関係のない執行者が行うのである。
「人の命を奪う行為」。それは、その人間が持つあらゆる可能性を無にしてしまう。たとえ犯罪者にしても、生きていく過程で周りに何らかの影響を及ぼすはずである。現に「無期懲役」を受けた多くの受刑者がその獄中で多くの著書や作品を残している。そういった可能性を、第三者が全く無に帰してしまうという行為自体が神の意に反した行為と思えるのである。

 それともう一点は、刑罰としての生命の重さである。起こした犯罪に対する刑罰というのは、その者の自由や欲望を剥奪する行為であらねばならない。しかしながら、その究極 の刑罰(=極刑)が、生命を奪うことにあるのか疑問を持たざるをえない。
例えば、「大教大池田小学校児童殺害事件」や、一昨年、奈良で起こった「小一少女殺害事件」の加害者は、自らの死刑を望んでいる。果たして、そういった考えの犯罪者に「死刑」が最も重い刑罰として適当なのか、という点である。
 現実に「池田小学校事件」の被害者の親たちの多くは、犯人の死刑執行後、怒りのやり場を見失って虚脱感におそわれているという。

 思うに、究極の刑罰(=極刑)というのは、その者の生命を奪うことではなく、自らの犯した罪を悔い、被害家族に懺悔の念を一生持ち続け生きながらえていかねばならないことだと思うのだ…。
つまり、終身刑こそが最も合理的で重い刑罰であるといえるのではないか…。


 皆さんは「日本の刑罰」はどうあるべきだとお考えだろうか…。



PS:本日の画像のお題

「こういう行為も殺人と何ら変わりません」



tyuui