ヤマトリノという名前で活動するキャバクラ店従業員の逮捕が報じられた。
報道によると、9月15日、自宅でコカインを所持した疑いで現行犯逮捕されたという。現時点では逮捕・捜査段階の話だ。出典:FNN
このニュースを見て、俺は一人の逮捕だけでは済まない違和感を覚えた。
最近のインフルエンサー界隈を見ていると、やたらと金額が前に出てくる。
いくら売り上げた。
何億稼いだ。
どれだけ高いものを買った。
何千万回再生された。
その数字が大きいだけで、人としても立派で、若い人が憧れるべき存在のように扱われる。
でも、稼ぐ能力と、社会から尊敬される理由は同じなのか。
俺は、そこを改めて考えた方がいいと思っている。
キャバ嬢やホストの成功物語を、どこまで持ち上げるのか
溝口勇児氏とROLAND氏がMCを務める「LAST CALL」は、キャバ嬢のオーディション番組だ。
運営会社の発表では、ヤマトリノ氏も審査員として紹介されていた。合格者への特典には、最大1,000万円分の美容整形サポートも掲げられている。出典:運営会社の発表
こうした打ち出し方を見て、俺は引っかかる。
容姿を磨き、高額な売り上げをつくり、華やかな生活を手に入れる。それが若い人に向けた成功の見本として、大きく発信される。
接客の仕事に努力がいらないとは思わない。夜の仕事に就いている人を、一人の事件でまとめて犯罪者扱いするつもりもない。
ただ、その世界の華やかな部分を「夢」として売る側には、何を憧れとして広めているのかという責任があると思う。
稼いだ金額ばかり見せて、その仕事の負担や危うさが見えにくくなっていないか。
一人の逮捕が番組全体の責任を証明するわけではない。それでも、誰を成功者として前に出すのかは、問われていいはずだ。
BreakingDownを見るときにも、同じ違和感がある
俺はBreakingDownについても、似たようなことを感じる。
競技としての勝負より、威圧的な言動や揉め事が注目を集め、その注目が知名度や仕事につながっていく。そういう見せ方が、どうにも好きになれない。
全員がそうだと言いたいわけではない。
ただ、荒っぽい振る舞いが目立つほど得をするように見えるなら、それを見ている側には何が残るのか。
地道に練習することより、まず揉めて目立つこと。
信用を積むことより、まず名前を売ること。
そんな順番が成功への近道として映るなら、俺には野蛮に感じられる。
普通に生活している人は、他人を威圧せず、迷惑をかけず、嫌なことがあっても踏みとどまっている。
その人たちの我慢や節度が、画面映えしないというだけで軽く扱われるのは、おかしいと思う。
こめお氏の食中毒問題で問われるのは、商売の基本だ
元BreakingDown選手のこめお氏が手掛ける「割烹こめを」が、麻布十番納涼まつりで提供した冷やし蟹ラーメンでは、集団食中毒が報じられた。
テレビ朝日は、衛生管理表の記録がされていなかったと報道している。出典:テレビ朝日
その後、こめお氏は店舗の消毒や、スタッフと衛生講習を受けたことなどを報告している。改善の動きがあることも、併せて書いておく。出典:J-CASTニュース
それでも、俺が思うのは、客に食べ物を出す前に守るべき基本があっただろう、ということだ。
話題になること。
行列をつくること。
高い商品を売ること。
その前に、安心して食べられるものを出す。
知名度で客を集められても、安全への責任まで省略できるわけじゃない。
本人が金だけを目的にしていたのかは、俺には分からない。そこを決めつけなくても、衛生管理の問題は十分に批判できる。
人生をやり直すことと、責任を飛ばすことは違う
こめお氏には過去の逮捕・服役に関する報道もある。デイリースポーツは、強盗・監禁容疑で逮捕され、本人が無実を訴える中で有罪判決を受け、服役したと伝えている。出典:デイリースポーツ
俺が納得できないのは、過去がある人が働くことではない。
過去の荒れた経歴まで話題性になって、大きな舞台や商売の追い風になる一方で、責任を果たしているかの確認が後回しになることだ。
真面目に生きてきた人には、「昔は悪かったけど頑張っています」という派手な物語はない。
誰かを傷つけずに働き、約束を守り、毎日同じことを続けてきただけだ。
でも、その「だけ」が一番大切なんじゃないのか。
俺が「人生のショートカット」に見えてしまうのは、信用を積む過程より、注目を集めることが先に評価される構図だ。
チャンスを与えるなら、その先の責任も同じ重さで見てほしい。
金額と再生数だけで、人を評価したくない
最近、俺が一番嫌なのは、批判に対して「でも稼いでいる」「でも数字を持っている」で話が終わるような空気だ。
稼いでいることは、稼いでいることの証明にしかならない。
客を大切にしているのか。
安全を守っているのか。
人を傷つけていないか。
問題が起きたときに責任を取るのか。
それは別に見なければいけない。
再生数が多くても、その発信を社会が褒めるべきかどうかは別だ。
炎上で集めた注目まで、無条件に「影響力があってすごい」と評価してしまったら、何をしてでも目立つ方が得になってしまう。
そんな評価の仕方を、俺は受け入れたくない。
派手な生活を見せ続けることは、幸せなのか
高い酒、高級車、ブランド品、豪華な住まい。
そうしたものを次々に見せる発信を眺めていると、俺は時々思う。
一度その生活を成功の証明にしてしまったら、見せ続けることに追われないのか、と。
ただ、今回の事件について、本人の不安や薬物に手を出した理由が分かったわけではない。収入と薬物を勝手に結びつけるつもりはない。
俺が疑問に感じるのは、消費の派手さを、幸せや人間の価値と重ねる見せ方そのものだ。
金を使っている姿より、どんな仕事をして、誰の役に立っているのかを見たい。
普通にやっている人が、報われる社会であってほしい
毎日働く人。
技術を磨く人。
衛生管理を欠かさない店。
家族を支える人。
誰にも見られていなくても、約束を守る人。
そういう人たちが社会を支えている。
派手な成功物語ばかりが称賛され、その足元にある誠実さが見えなくなる。俺は、そのことに危機感がある。
誰かが日本を壊していると決めつけるより先に、俺たち自身が何を面白がり、誰を持ち上げているのかを考えたい。
稼げば正義。
目立てば勝ち。
数字があれば何でも認める。
そんな価値観を広め続けたら、真面目にやる意味が薄れてしまう。
普通にやっている人の邪魔をしない。人に金を払ってもらうなら、その責任を果たす。
まずは、その当たり前を大切にしたい。
俺が若い人に憧れてほしいのは、金額を見せつける人より、信用を積み重ねている人だ。
