倉木華さんの訃報を見て、どうしても思うことがある
セクシー女優の倉木華さんが25歳という若さで亡くなったというニュースを見た。
報道やSNS上では、ホストとの関係や金銭問題、DVなど、さまざまな情報が出ている。
ただ、現時点で何が事実なのか分からない部分まで、俺は決めつけて書くつもりはない。
25歳という若さで一人の人間が亡くなった。
まず、その事実自体があまりにも重い。
そして今回の件を見ながら、俺がずっと感じていた今の世の中への違和感を改めて強く感じた。
「何をしたか」より「どれだけ注目されたか」になっていないか
武井壮さんがXで、今の社会について非常に印象に残る投稿をしていた。
俺も、ほぼ同じようなことを感じている。
今って、ものすごく変な時代になったと思う。
真面目に働く。
勉強する。
技術を磨く。
人の役に立つ。
信用を積み重ねる。
本来なら、そういうものに価値が付いて金が動くのが健全な社会だったはずだ。
ところが今は違う。
善いことをしたか、悪いことをしたかではなく、「人の目を集めたかどうか」で金が動く。
炎上でもいい。
嘘でもいい。
人を煽ってもいい。
誰かを依存させてもいい。
他人の弱さにつけ込んでも、注目さえ集めれば金になる。
もちろん昔から悪い商売も、人を騙して金を取る人間もいた。
でも今は、それを巨大な金に変換するための装置が社会の中にいくつも出来てしまったように見える。
ホスト問題も、その延長線上にあると思う
俺はホストという職業そのものを全部否定するつもりはない。
普通に遊びに行って、自分で払える範囲で楽しんで帰る。
それなら何の問題もない。
でも、人間の恋愛感情や孤独、承認欲求、依存心につけ込んで、正常な判断ができなくなるところまで追い込み、借金を背負わせたり、身体を売らせたりして金を回収するような仕組みになったら話は別だ。
それはもう単なる「高い飲食店」の話ではない。
人間の感情そのものを金に換えるビジネスになってしまう。
そして恐ろしいのは、それすら「売れたホスト」「億を売った」「成功者」として持ち上げられてしまうことだ。
結果として大金を稼いだ人間が偉いのか。
そこに至るまでの方法は、本当にどうでもいいのか。
俺はそこにものすごく違和感がある。
「自己責任」で全部片付けるのも違うと思う
こういう事件が起きると、必ず「そんな店に行った本人が悪い」「金を使った本人の自己責任だ」という話になる。
もちろん大人である以上、自分の行動に責任があるという考え方自体は分かる。
でも、それだけで終わらせていい話なのか。
人間を意図的に依存状態にして、その心理を利用して金を吐き出させる仕組みが存在するのであれば、それは個人の自己責任だけではなく、ビジネスモデルそのものについて考える必要があると思う。
ギャンブルだって金融だって酒だって、何でも好き放題に商売できるわけではない。
人間の弱さや依存性と深く関係する商売だからこそ、ルールや規制が存在する。
ならばホスト業界についても同じように考えるのは、別におかしな話ではない。
金を持っている人間=価値のある人間、ではない
最近のSNSを見ていると、特にこの感覚が狂ってきているように思う。
「月収○千万」
「億を売った」
「タワマン」
「高級車」
数字だけを見て、その人間を成功者として扱う。
でも俺は、金額だけでは何も分からないと思っている。
大事なのは、その金をどうやって稼いだのかだ。
100万円稼いだ人より1億円稼いだ人の方が、人間として100倍価値があるわけじゃない。
むしろ人を騙したり、追い込んだり、人生を壊した結果として生まれた1億円なら、俺はそこに憧れなんて一切感じない。
金は重要だ。
俺だって金は欲しい。
綺麗事だけで生活できないことも分かっている。
だからこそ、「稼いだ金額」と「その人間の価値」を一緒にするのは危険だと思う。
俺たち自身が「何に金と注目を与えるか」を選ぶ時代
結局、こういう仕組みを巨大にしているのは、俺たち一人ひとりでもある。
炎上した人間を面白がって見る。
迷惑行為を拡散する。
悪名でも有名になればフォロワーが増え、広告が付き、金になる。
そしてまた誰かが真似をする。
だったら逆に、俺たちが「そんなものには金も注目も与えない」と決めることにも意味があると思う。
真面目に生きている人。
技術を磨いている人。
誰かを支えている人。
人を楽しませながら、誰かを壊すことなく金を稼いでいる人。
そういう人間にこそ金と注目が集まる社会の方が、俺はずっと健全だと思う。
今回亡くなった倉木華さんは、まだ25歳だった。
これから先、いくらでも人生があったはずだ。
だからこそ今回の件も、単なる芸能ニュースやSNSの炎上ネタとして消費されるだけではなく、何が起きていたのかがきちんと明らかになってほしいと思う。
そして俺たち自身も、
「何をした人間に金を与えるのか」
「何をした人間に注目を与えるのか」
そろそろそこを本気で考えないといけない時代に来ているんじゃないだろうか。
倉木華さんのご冥福をお祈りします。
