わが家の事情 | もしも願いが叶うなら ライセは 南の島で隠居したい!

もしも願いが叶うなら ライセは 南の島で隠居したい!

いつか南の島でまた暮らしたい! 
でも なかなか 夢はかないそうもないので
いっそ 来世に 希望をたくそう!! 
そんな今世では
仕事したり 散歩したり 趣味に走ったり・・・
南の島とは縁遠けど 
タイトルにちょっとは 南の島を感じさせたい。

 

わが家は 

私 父(92歳) 母(91歳)の 3人家族である

隣に 姉ファミリーが 住んでいる

 

年の割には 両親は しっかりしている方だと思っていた。

 

父は 年相応には 健康に問題はあるが

庭の畑で 野菜を作ったりしているくらいには

元気である

耳が遠すぎて 補聴器でも あまり聞こえないのが

問題といえば 問題である。

 

母は 心不全を患っており

何度か 入院したりもしていて(年1回とか)

昨秋からは いつもよりも 入院回数が増えていた。

今年の 3月を最後に その後は 調子がよくなり

入院もしないですんでいた。

 

二人とも 認知症予備軍ではあっても

認知症ではなかった。

 

そんな母が 少しおかしいかもしれない

と 思ったのが 6月下旬。

物忘れがはげしいから おかしな言動が増えたり

もしかしたら 認知症がはじまったのかも?

と 準備として 施設を検討してみることになった

 

が その後 たった1週間くらいで

おかしさが どんどん進んでいき

え? 認知症って こんなにすぐに進むの?

と とても驚きました。

 

それからは 幻視や幻聴

父の部屋に 知らない女がいる・・・とか

家の中に 犬がいる・・・とか

外から 誰かが見ている・・・とか

 

父との仲も あやしくなってきた

 

そんなこともあって 介護認定を変更してもらえないか

ケアマネに相談したりして

8月1日付けで 認定変更を依頼した

 

 

そんな7月中旬

早朝 私が仕事に出勤したあと

寝ている父の部屋に 母が行き

杖で 父の足をたたいたらしい・・・

(父が言うことには・・・)

そのとき 父は 畑で転んで 

右ひざの半月板にひびがはいっていた

父にも 問題がでてきていた

 

もしかして 母は父に対して ないかしらの悪感情があるのか?

もしかしたら 今後 もっと 大変なんことになったら・・

二人は 一緒にいない方がいいのかもしれない

 

急いで 横浜市の高齢者施設の相談センターへ行って

相談してみた。

 

いろいろとお話を聞いて 自宅周辺で

探してみることにした。

 

 

ちょうど 私が勤めているのは 老人保健施設

最近 入所者は 減っているから どうなんだろう?

と 聞いてみたら

ケアマネさんと お話ができることになった

ただし 介護認定1がでないと 入所はできない

そのときはまだ 支援だったので 

すぐの 入所は無理でした

 

お話を聞いて 介護認定1が出たら 入所は可能

ということで 少しだけど ほっっとした。

 

その日 姉と二人で話を聞いて 家に帰ったら

母は 大きな声で 独り言を言いだしていた

家を出るまでは そんなことなかったのに・・・

誰かと話をしているような感じだが

話の内容は 支離滅裂。

 

その 数日前から 食事を食べなくなってしまっていた。

それまでは 食が細いとはいっても 食べていたのに

ほぼ 食べなくなってしまった。

 

訪問介護もお願いしていたが

食べなくなって 5日後に 心臓で通っている

病院へ行って 点滴を打ってもらった

それからは 少しづつ 食事をするようになった

 

後日 そのときのことを 本人が言うには

私は女優だから 死人の役をしていた

病気の役をしていた・・・という

母が女優だったことも 演劇の勉強をしていたこともない

 

私たちでは ほんとに 食べられなかったのか

役を演じて 食べなかったのか わからない

 

その1週間後 認知症専門の病院で 見てもらえることになって

行ってみたら

そのときも もう すごかった

父は お医者さんだったり

となりに 私と姉がいても

子供はいない 紙面上の子供ならいる・・・などなど

その時には 私たち娘は お世話してくれる人・・・という

認識でしかなかった。

 

そのときの 診断で 母の認知症は

レビー小体型認知症

と診断されました。

先生の話を聞いていたら 6月下旬から・・・ではなく

もっと早くから 発症していたようです。

あとから思えば それらしい言動もあった。

 

その時の段階では そこまでしかできず

あとは 介護認定が下りるまで なんとかするしかなかった。

 

早ければ 9月中旬くらいには 認定がおりるかも

と言われた言葉を はげみにした

運よく その後 8月下旬あたりから 調子がよくなり

普通になってきた。

 

しかし 認定はまだおりない

8月下旬には 早ければ 9月28日あたり

と 手紙が届いた。

なんでも 主治医からの意見書が届かないから・・・

ということだった

母の主治医は 湘南鎌倉病院の部長先生

大きな病院なので そういった返信には 時間がかかる

わかるけど 早くならないのだろうか・・・

 

割といい状態が続いていたが

9月下旬 まだ認定がおりず

早くて 10月28日ごろと 手紙が届いた。

 

ケアマネさんに 早くならないのか相談してみた

その成果があったのか

10月あたま 連絡があって 介護認定がおりたらしい。

老人保健施設からも 連絡があり

契約することにした

きちんとした 認定に関しての手紙が届いたら

母の 介護認定は 2 でした。

 

実際の入所にむけて うごきだしたのだが

10月中旬くらいには・・・と思っていた

ある日 夜中に 何度も 問題行動で 起こされた私

ほぼほぼ 1時間ごとに いろいろやらかしていた

ドアを開けて外にでようと?したり

夜中に シャワーを浴びようとしたり

次には シャワーを浴びていた

仕事のある日だったので

ほとんど 寝られないまま 仕事に行った。

 

そんなこともあって

少し早めに 入所できないか・・・ということで

決まったのが 10月12日

 

もちろん 調子が良いときに

本人 納得の上で 入所することになっていた。

いやいや 連れて行ったわけではない

 

私が勤めている 老人保健施設ではあるが

本人には そのことは 伝えていない

トラブルのもとになりかねないので

別の施設と説明した

 

でも 実際 私が仕事に行ったときに

洗濯ものを引き取ったり 洗濯したものをもっていったり

そういったことができるので

家族の負担は 少し減っている。

 

今日 入所後 初めての面会に行ってきた

なにかあるたびに 施設からは電話連絡があり

親切な対応をしてもらっていた

それでも、やはり 家にいるのとはちがうので

問題がないわけじゃない

面会(窓越しですが)中も 愚痴がいろいろでてきた

が 半分以上は 支離滅裂になってきた

入所したときよりは 悪くなっている

 

もともと レビー小体型認知症は

はっきりしているときと ぼーっとしているときを

繰り返して 進行していくらしいので

良いとき悪いときの差がはげしいようです。

 

このまま もっと落ちるのか

持ちこたえるのか

わからないけれども とりあえずは 

本人曰く なんとかがんばる・・・でした。

 

まだまだ 先は長いし 無理せず

我ら家族も 過ごしていかねば・・・

そして 父も高齢。

いつどうなるか わからないので

こちらも 気を付けないと・・・

 

母が入所したあと 

私自身も ちゃんと寝れたような気がした。

 

 

世間では 良くある話だろう・・・

そんな我が家の事情でした。