退職のこと | もしも願いが叶うなら ライセは 南の島で隠居したい!

もしも願いが叶うなら ライセは 南の島で隠居したい!

いつか南の島でまた暮らしたい! 
でも なかなか 夢はかないそうもないので
いっそ 来世に 希望をたくそう!! 
そんな今世では
仕事したり 散歩したり 趣味に走ったり・・・
南の島とは縁遠けど 
タイトルにちょっとは 南の島を感じさせたい。

長文です。 
ずっと’ 会社に対する不満と愚痴です。
こういうのが嫌な方は、スルーしてください。




2005年7月から パートタイムとして
コタキナバルにあるダイビングショップで
スクーバダイビングインストラクターとしての
勤務が始まりました。
2006年1月 正式に 査証の申請が通り
いわゆる正社員となりました。

当時は、外国人スタッフの最低給料は
Rm2500で 査証は発行されていました。
ただし、年齢は、25歳以上と変わりました。

これは、マレーシア国籍のローカルを雇うのでなく
あえて、外国人を雇うのは、
ローカルにはないスキル=プロフェッショナルだからであって
それならば、給料もそれなりに高いものであるはず。
というのが、イミグレーションの見解のようでした。
年齢も、プロフェッショナルなら、それくらいの年齢であるはず。

当時、もちろん、年齢はとっくに超えていたので、
問題はありませんでした。
では、給料は・・・
会社側からは、契約の際
書類上は、Rm2500ですが、ローカルスタッフと同額です。
と、言われての契約となりました。

私自身、インストラクターになりたてでもあり
プロフェッショナルとはまだまだ…と思っていたし、
雇ってもらえるなら、ローカルと同額で当たり前。
との考え方から、了承しました。

そして、1年更新で 査証の更新が続きました。
ずっと 1年更新しか、できないものだとおもっていました。
会社からも、2年更新の話は、一度もでなかったから・・

そうして、何度も更新し、
何度か、怪しくなったときもあったけれども、
なんとか、切り抜けてきました。

が、途中、いつからだったから、
外国人の最低給料は、Rm2500から Rm5000に
変更されていましたが、
もちろん、書類上だけで、
私の給料が、変わることはなく、ローカルと同額でした。

そして、11年間で、給料の値上がりは
2回だけ。
最初、Rm1200からRm1500になり、
現在は、Rm1800でした。
これは、いわゆる基本給で、1か月勤務すれば、
全額 支給されました。
これ以外には、コミッションといって、
私の場合は、日本人ゲストの予約を受けたとき
日本人ゲストや英語ゲストの生徒さんのコースを受け持ったとき、
それぞれの金額のうちいくらかか コミッションとして
支給されました。
とはいっても、その金額は、多額になるほどではなく、
過去、合計の給料が、RM2500もあれば、良いほうで、
Rm3000を超えたことなど 数えるくらい
最高で、Rm3500くらいが、一度あったかな?程度。

そう、実際に、多額の給料をもらっていたわけではないので、
一度も 税金というものを払ったことがありませんでした。
会社からも、何も言われなかったし、
払わなければならないときは、
会社側から何か知らせがあるものと思っていました。
そうして、過去2度くらい、会社から、
給料明細のまとめのようなものをもらったことがあって、
それが、税金の支払用紙のような感じのもので
でも、金額は ゼロでした。
なにか、よくわからなかったので、
同僚に聞いてみたところ、
ゼロなら 払わなくていいんだよ。
と、言われたので、そのままにしていました。
税金を払うほどの 給料ではなかったのだろう・・・と
勝手に理解していました。

そして、今回の問題は、この税金だったのです。
いわゆる 所得税ってことなのでしょう。
イミグレーションからは、Income TAXと 言われました。



今年 7月8日に、査証が切れました。
2014年に2年査証を申請し、
その時は、何の問題もなく、スムーズに更新できました。
初めての、2年査証でした。
この調子で、今年も大丈夫だと…と思っていたのですが。

ちょうど、今年10月にパスポートも切れるため、
6月の帰国時に、新しいパスポートに更新し、
その後、コタキナバルにもどってから、
新しい査証への更新手続きをしてもらうようにと、
4月ごろから、会社の担当者には、話をしておきました。

ここで、ちょっとしたミスは、
私が、査証の期限をまちがえていたこと、
2014年の7月中旬過ぎに、もらったので
それまでは、あると思い込んでいたのですが、
実際には、7月8日までしか ありませんでした。
そして、私の日本からの帰国は 7月7日。
でも、1日あるので、8日に申請すれば・・・
と そのことも 会社には連絡済でした。


そうして、7月7日 日本から帰国したとき、
入国のイミグレーションで、
明日 イミグレーションに申請に行くから・・・
と、説明したところ、
明日は急遽 イミグレーションはお休みだから
と、言われてしまって、びっくり!
ラマダン明けの特別休暇になってしまったらしく、
では 
月曜日11日に必ず行くから!
と、約束して、
7月13日までの 特別査証を発行してもらいました。

そして、週末があけて、月曜日 オフィススタッフと
イミグレーションへ 申請に行きました。
私はてっきり、すでに、書類は提出してあって、
あとは、 新しいパスポート番号が決まれば、
それで、申請が通るものだとおもっていました。
が、そんなことは、まったくなく、
最初からの申請だったようです。
そう、会社は事前には、なにもしてなかったのです。
しかも、今年から申請の手続きがかわっていて、
申請前に、インターネットで 
プレ申請みたいのをしないといけない。
Income TAXの領収書が必要。
あの書類が足りない。
など、不備だらけでした。
けっきょく、その日は、申請すらできずに、オフィスにもどりました。

会社は、事前に、何も確認していなかったようです。

翌日、もう一度、申請にイミグレーションへ。
Income TAXは、もちろん払ったことはないので、
領収書は、ありません。
オフィスは、給料の部分を 変更しました。
トータルは変更できないので、内訳を付けたのです。
給料 Rm2800
家賃 Rm1400
飛行機代 Rm800
だから、実際の給料は Rm2800だから
Income TAXは払っていない・・・
そういうことにして、切り抜けようとしたのです。

イミグレーションでそう説明して、申請をしました。
あとは、この部署のBossが、書類を確認して
OKしてくれれば・・・
2週間ほどかかる…と言われ、待つ間のために、
また、スペシャル査証を 8月10日まで発行してもらった。


これであとは、待つだけ!
と、安心して、仕事をしていた。


8月25日 オフィスから 
イミグレーションへ行くから!
と、連絡があったので、一緒に行った。
イミグレーションのBOSSからは、
やはり、Imcome TAXの領収書がないから
許可できないと、言われた。
今度こそ・・・と思っていた私は、真っ暗!

しかし、私がどうこうできることでもなく、
あとは、会社にまかせるしかない。
最悪、自分で、TAXを払ってもいいかもしれない。
とも、思っていた。

また、待機状態が続いた。
こちらは、待つしかない。
が、きっと、会社は、なにかしら、してくれるだろうと
安心もしていた。

が、待てども、オフィスから連絡はない。

そして、8月7日 担当者に連絡して聞いた。

スペシャル査証の期限は、8月10日まで。
しかも、そのとき、私は 
11日から OWCの予約があった。
(これも 前々からオフィスには言っておいたのだ)
どうしても、査証が必要だったのである。
いまさら、予約してくれたかたに、ダメですとは言えない。
とうなっているんだ!
と、確認の連絡を入れたのである。

すると、
Badニュースがあるの。
明日 島に行くから、そこで、話しましょう。
と、返事がきた。
やっぱり、自分で払うことになるのかもしれない。
とおもった。
いろいろなことを考えたら、オフィスで話をしたほうが
良いのではないのかとおもったから
明日 オフィスへ行けるが、オフィスじゃだめなのか?
と、聞いてみたら、
島で仕事があるから、島にして!
と、言われた。
私のことは、片手間?と、思った。

そして、8月8日 島での話し合い。
こちらも、やることがあるので、通常の業務が終わってから
話をすることになった。

場所は、施設のオープンスペースの一角。
オフィスでも会議室でもない。
カウンターの横にある、オープンスペースである。

そして 担当者graceから言われたのは、

ごめんさない。
査証の更新はできません。
これ以上、会社としては手助けできることはありません。
だから、ここまでです。
とりあえず、1か月 スペシャル査証の延長してもらえるようには
手伝うから、それで、OWCはやってください。
ごめんなさいね。

と、あっさり、クビ宣言 されました。

たとえば、私がIncome TAXをはらったとしても
更新はできないの?

と、自腹切るつもりはあったので、聞いてみた。
がその返事は、

できないわ。

だった。
その返事を聞いたときに、気づいたのです。

あぁ、会社としては、もうなにもするつもりはないんだ。
できないじゃなくて、しないんだ!
面倒なのは、排除するだけなんだ!

と、悲しいことに 気づいてしまった。
ならば、これ以上、ごねるつもりもないし、
そんな会社で、働きたくもない。

結局、本当に、私を雇いたいと思っていたのなら
事前に、準備はできたはずだし、
そもそも、それを何もしてなかったのだし、
この1か月も、なにか、やってくれていたのかどうか、
それすらも、あやしい。
オフィスからは、なにも、問い合わせもなかったし、
書類に記入してとか、サインしてとか、
そういったことも、一度も、連絡はなかった。
だめ!といわれてから、なにかしたのだろうか?
きっと、なにもしてなかったのだろう。
そうそうに、投げたんだろう。
そして、こちらから、聞かなかったら、
きっと、連絡もしてこなかったんだろう・・・
つまりは、どうなってもよかったってことだろう・・・


新しいオーナーにかわって、
オフィスのスタッフもほとんどがかわった。
かわってから、いろいろかわってきた。
いい意味でも変わったけど、悪い意味でも変わった。

11年間 がんばって 働いてきた。
でも、その結果は、あっさりしたものだ。
リストラ・・・クビ・・・・
言葉は どっちでも、いい。
ようは、ポイ捨てされたのである。


そして、その話し合いの中で、
8月31日付での 退職が決まった。

望んだわけではないが、査証を1か月延長しても
9月中旬。
なら、キリよく 月末で退職するしかない。
たしか、休みが9日残っていたはず。
それを、全部 取りきって、やめよう。
ということで、実質の退職日は、
8月22日となったのである。

あと たったの 2週間である。


その日のうちに、
1か月のスペシャル査証の延長のため
イミグレーションへと行った。

イミグレーションの受付担当者は、前回と違って、
親切な担当者だった。
もう一度、1年査証に変更して、申請してみたら?
と、言ってくれた。
だが、それをしたからといって、必ず 許可が下りるとは
約束できるわけではないとも言われた。

ならば、私は、もう、申請したくはない。
あれだけ、なにもするつもりがないのだから、
もういちど、申請したからって、それが許可されるように、
会社がなにか働きかけてくれることもないだろう。
ただ、1か月 むやみに またされるだけにすぎない。
そして、もし、1年更新できたとしても
今のことが、1年後に伸びるだけのこと。
そして、同じことになるだけ。
もう、会社に対して、不信感しかないし、
この会社のために、働きたいとは思わない。
だから

もう、申請しません、1か月の延長だけお願いします。

と、担当者にお願いしたら、
これこれの書類を持ってきてください。
と、いくつかの書類を指示された。
その中には、日本への帰国便のチケットもあった。
それは、オフィスが払うように・・と担当者は言った。

今日は、ここまで、
一度オフィスに戻って、必要な書類をそろえてもらって、
飛行機のチケットを買うことに・・・

いつもイミグレーションへ一緒に行ってくれていたのは
Jessicaで、彼女が Graceに電話で、
会社が、チケットを払うようにとかけあってくれた。
が、graceからの返事は、
会社は出さない。
という返事だった。
あくまで、査証が更新できなかったのは、
会社の問題ではないから、帰国するなら個人払いだ。
ということだ。
さすがに、これには、ほかのオフィススタッフもおかしい!とは
言ってくれはしたが、だからといって、どうなるものでもない。

私はもう、会社に何も求めないし、もう何もしてほしくはない
そのかわり、もう、働かないことにした。
あとは、自分の生徒さんのためだけには、仕事をする。
が、それ以外は、働かないことにした。
働こうが、働くまいが、もう、私のクビは 確定なのだから・・・

働かないローカルスタッフは、
いつまでも働き続けることができて
もちろん、私にもいたらない点はあったとおもうが
それでも、働かないスタッフよりは働いてきた。
でも、あっさりと お払い箱。
なら、あと 2週間。
働く必要がどこにあるんだ!
そのくらいしか、
今回の会社のやり方に対する抗議はできない。
そして、そのくらいやならいと、気が済まない。
まぁ、こんな性格だから、
ポイ捨てされたのかもしれないけど・・・

実際、会社としては、どういうつもりで
ポイ捨てしたのかはわからないが、
その後、8月8日に話をしたあと、
GRACEは、一度も私と話をしていない。
なにも会社からは、言ってこない、
書類もないもない。
離職届も書く必要はないと言われた。


そうして、今日、最後の日を迎えた。
書類上は、8月31日付けだけれども、
明日からは、残りの休暇を取りつくす。
だから、実質の最終日は、今日である。


今日も、オフィスからは、何一つ、
連絡はなかった。
graceが会いにくることも、
メールが届くことも、書類が届くことも・・・


今後、この会社とかかわることはないです。
一切 ないです。
縁は、つながりません。

こんな形で、この会社を去ることになるとは
おもってもいなかった。
自分でも、まだまだ、がんばりたかった。
でも、どうしようもない。
これが、外国人が、外国で働くことの
難しさなのだろう・・・

コタキナバルでの再就職を希望してはいるけれども、
人付き合いの良くない私には、
人脈はない。
次の仕事が見つかるかどうかは、わからない。
そして、自分も 今後 どうしたいのか・・・
コタキナバルには、戻ってきたいけれども、
どうするのが、一番いいのだろう・・・
すこし、日本で、ゆっくりと 考えよう



願わくば 笑顔でさようなら!
と、言いたかった。



今日 退職しました。
長い間、ありがとうございました。