僕は毎朝聖書を読んでいます。
これは毎日の日課です。
毎日朝4時半に起き、
パソコンを立ち上げ、それから今日すべきことをリストアップします。
その中でまずすることは、
「聖書を読む」ことです。
なぜ聖書を読むのか。
これは僕が子供の頃から親に教会に連れて行かれ、
聖書というものが身近にあったからです。
母親のお腹にいるときからずっと教会に行ってましたから
聖書から学ぶというのは、
僕にとってごく自然なことです。
日本は仏教国ですから、
聖書やキリスト教というものに馴染みはないでしょうが、
世界各国を見れば、聖書から学んでいる国は多数あります。
あの「ナポレオン・ヒル」の思考は現実化するという本にも
聖書から引用されている言葉があるほどです。
聖書は、生活においてもビジネスにおいても
非常に学べることがたくさんあります。
偉大な先人たちから知識を盗むには最高の本です。
今日はその中の「思いやり」といった点を取り上げたいと思います。
こういった言葉があります。
「あなたが畑で自分の収穫物を刈り取る場合,
その畑に束をひとつ置き忘れたとしても,
それを取りに戻ってはならない。
外人居留者のため,父なし子のため,
またやもめのために,それはそのままにしておかれるべきである。」
この言葉は4000年以上前に書かれた言葉で、
当時の法律でした。
畑の収穫をするとき、すべてを刈り取らず、
貧しい人のためにとっておきなさい。
そして、貧しい人がそれを収穫し生き延びられるようにしなさい。
という意味のものです。
自分のことだけを考えず、周りにいる人のことも考えて生活しましょう。
というものです。
ー実は日本にもー
実は面白いことに、日本にもこういった考え方があります。
秋は柿が実るときです。
柿が実ればそれを取って食べます。
しかし、先人はすべて取らず少しだけ残しておくようです。
なぜか。
鳥たちが食べられるように少し残しておくのです。
それによって鳥たちは生き延びることが出来、
それによって生きるための必要がうまく循環し、
それが再び人間に戻ってくるというものです。
先人たちはそこまで考えて物事を決めているんですね。
いや。もしかしてそこまで考えていないかもしれません。
ただ単に「思いやり」も持っているだけかもしれません。
しかしそれが結果として自分に返ってくる。
とても単純なことですが、とても深いことです。
自分以外に思いやりを持つことで、結局は自分が得をする。
今までの歴史を見てもそうですよね。
自分勝手な人は廃され、思いやりを持つ人はいつまでも残っています。
人を思いやることが実は最短の成功法なのかもしれません。
今一度、自分の身近にあるものを見つめ直してみたいですね^^
