実は昨日・・・
「どこ」とは書きませんが、
初めて、「縁切神社」というものに行ってきました。
(なんて、有名どころなのでわかりますよね)
以前から行きたかった場所というわけではなく、
むしろそれまでそういうものがあるという意識さえなかったのですが、
偶然、その場所の名前を聞き、
なぜかとても行きたくなってしまったのです。
しかも、その時はかなり軽い気持ちで、
どうしても縁を切りたい人がいる、というよりは、
悪癖や悪い習慣、良くない思考のクセなんかを断てたらいいな、
というくらいだった気がします。
ところが。
そんな軽い気持ちで訪れたにも関わらず、
その直後から、はっきりとした自覚はないものの、
「自分にとって必要のない人間関係」というものが
なぜか明確になっていったのです。
そしてタイミング良く、
最近よくお食事に連れて行っていただいている方たちから、
来週の食事の件で連絡がありました。
今までは、自分の知らないステキなお店や
自腹では頻繁に行けないようなお店に連れて行ってもらえることが
嬉しかったし、そのことに対して感謝の気持ちがありましたが、
なぜかその時は、感謝の気持ちよりも、
その方たちと一緒にいて、
実はいつもどこか苦痛を感じていた自分しか思い出せなかったんです。
どんなに食事がおいしくても、お店が素敵でも、
私はその方たちにお会いできて特別嬉しいわけではないし、
特に話すことも話したいこともなく、
本当は気疲ればかりしていたことにはっきり気づきました。
そして、そんな時間がこれからも必要なものとは思えず、
悩む間もなく、お断りしていました。
「本当に求めているものを手にしていないと、
別の何かを手にしようとしてしまう=目先の欲求を満たすことに比重が多くなる」
ということがある方のメルマガに書いてありましたが、
最近の私はもしかしたらこの状態だったのかもしれません。
この「NO」という意思表示が、
はたして「縁切神社」のご利益なのかは謎ですが、
でも、つい昨日までは不要なものと認識していなかったものを
「いらない」と思えるようになった自分の思考にはビックリしています。
こんなカンジで、
今まで自分にとってあることがあたり前だったものがどんどん離れていって、
必要だと思っていたものさえ離れてしまうようになるのかもしれないけど、
もしかしたら何も残らなくなってしまうのかもしれないけど、
でも、なぜか今は、それがちっとも怖くないから不思議です。
「自分に不要なものはなくていい」。
自分に必要なものとそうじゃないものの判別がきちんとできて、
そのうえで、自然とこんなふうに思えるようになるなんて、
これはやっぱりご利益かもしれません。
予想していなかった展開ですが・・・
どんどん自分が正しい方向へ向かっている、そんな気がします。
某縁切神社の神様、早速のご利益、どうもありがとうございました。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします(-人-)
ちなみに、気になる神社の雰囲気ですが。
ネットで調べたらちょっと怖いことも書いてあったのですが、
実際に行ってみたら、たくさんの人が訪れていたこともあり、
物々しい雰囲気などは一切ありませんでした。
(並んでいる間、眠くなってしまったので、私の感覚では心地よい場所でした)。
ただ、参拝方法や神札の書き方を間違っている方が多い気がしたので、
そういうことを気にする方は、神社の方に聞くと良いと思います。