ここで何度も紹介してきたかもしれませんが
じいちゃんは本当によく
「僕は何者でもないし、何か特別なものを持っているわけではない。
これは僕だけでなくみんな同じでね、みんな無なんだよ。
みんな何も無い。何も持っていないんだ。」
こんなことを言っていました。
無限性というものがわかってくると、この意味がより深く腑に落ちてくるのですが
何者でもないからこそ、何者にでもなれて
何も持っていないからこそ、無限を享受できるわけです。
でも私たちは…というより、私たちの中のメイドさんは
すべてには限りがあると勘違いしてしまっているから
良い、悪いという判断をして、良いものはキープしなければ!
悪いものは排除しなければ!としてしまいます。
これが苦しみのモトになるのにね…
な~んて、頭で分かっても、分かっているけど、手放せない!
分かっているけど、何者かでありたい!という矛盾を起こして
(いわゆる専門用語でいう、ダブルバインドっていうヤツです。)
どんどん身動きが取れなくなって、よりもっと苦しんでいくことになってしまう…
だからそれに気づいた人たちが、手放しなさい!執着はやめよう!と提唱し始めた。
でも、その理論はわかるし、そうだよねそうだよね!って一時的には理解して
手放そうとか、執着をやめようとするんだけど
優秀なメイドがそうはさせてくれなかったりする。(笑)
そして、考えたくなくても、頭の中にはいろんな考えが駆け巡り
いろんなシチュエーションを想定しては、そうならないために…という対策を練り
前回書いたように、そうならないようにすることで、そうなる未来へと走り出す…
執着したり、良いことだけを追い求めることが実はすごく苦しいって分かっている。
(この分かってる…がほんまに厄介。笑)
あれこれ考えずにシンプルでいたいと願うけれど、考えは止まらない…
苦しいよ~!どうしたらいいの~!って思った時
私が手にした石ちゃんには「無」というメッセージ…というか無とだけ。(笑)
(今後リリースされる石ちゃんは本当にこんな感じで
1ワードのみ、っていうのもあるんです。笑)
無ってどういうこと?と問いかけると
「無だよ。何も無いんだよ。みんなあるように見えているだけで本当は何も無い。
な~んにもない。頭の中でそう唱えてごらん。」
それから、頭の中にいろんなことが駆け巡るたびに
「な~んにもない。」って唱えると、なぜか不思議と、頭の中が静かになっていく。
あの人も私もあなたも、いろんなものを持っているようで
何者かであるようで、実はな~んにも持っていないし、何者でもない。
私たちはみんな無。
じいちゃんはずっとこの究極のシンプルな答えを教えてくれていたのだけれど
何でも複雑にしたがる私が、勝手に難しく考えたり
あれこれこねくり回していただけなんだなぁ…なんて最近気づきました。
無になるって難しいことじゃなのかもしれない。
(私のメイドはまだちょっと難しくしようとしているんだけど。笑)
Have a wonderful weekend
*本業との兼ね合いがあるため、石ちゃんたちのリリースについて
はっきりとしたお知らせができないのですが
16日(月)の新月に少しだけリリースできるかとは思っています。
詳細につきましては明日、お知らせさせて頂ければ…と思っております。