私とは何か? What am I?[6] 神の恩寵 | レスター・レヴェンソン(セドナメソッド創始者)の珠玉の言葉

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レスター・レヴェンソン  Keys to the Ultimate Freedom からの抜粋です。


「神(マスター達)の恩寵」


レスター(以降L):

我々には恩寵(助け)が必要だ。今日、人々は比較的低次の状態にいる。

自分達は限界のある肉体であると強く確信しているうえに、長い習慣からそれを保持し続けようとしているからだ。

この肉体について、手放すのは簡単ではない。

だから、すでにこの世から去った偉大なる人々の恩寵が必要になるのだ。

彼らはこの世から去ったように見えるが、実際は今現在もまだ存在している。

我々の眼には見えないだけだ。

だが、我々が普通に会話するように、これらの偉大なる人々と会って話すことも出来る。

もし、そのことを受け入れたら、夢やビジョンの中で彼らと話すことが出来るだろう。

だが、それが出来るかどうかは、彼らをどれだけ受け入れるか…にかかっている。

もし、我々の誰かが、レストランに行ってキリストと食事をすると信じたなら…それが十分信じられ受け入れられたなら、実際そうすることが出来る。

★★★

我々の何人かは、キリストがこの部屋に来たのを知っている。

我々がどれだけ彼を受け入れているか…その程度に応じて、彼はサインを残している。

もし肉体を持っていきなりこの部屋に現れたら、我々はあまりのことに受け入れられないだろう。

だから、彼はそれをしない。

しかし、彼が我々の前にやってくる方法は、彼をどれだけ受け入れるか…という我々の受容によって決まる。

キリストは、ここにいる何人かにはサインを示し、何人かは彼がいたことに気づかなかった。

しかし、我々のほとんどは気づいていた!


私が伝えたいポイントは、偉大なマスター達の助けに対しオープンでいるべき…ということだ。

キリストや他の偉大なマスター達は、我々がどんなに完全な存在であるかを我々に分かって欲しいのだ。

だが、彼らはそれを押し付けることはしない。

しかし彼らの腕は、常に大きく開かれている。

そのことを心に留めておいたほうがいい。

そうすれば、彼らの助けに対しもっとオープンでいられる。

Q:
どうやってその助けを求め受け取ればいいんですか?

L:
我々と同じように、キリストを今現在も生きている存在として受け入れなければならない。

そして彼に会うことが出来ると信じなければならない。

それが出来た時、そうなるだろう。

その可能性についてオープンでいなければならない。

助けは常にあなたに送られている。


★★★

我々が愛する時…愛そのものであるときだけ、我々は宇宙で最も膨大なパワーを使っていることになる。

その時、誰も何も我々を傷つけることは出来ない。

何の嫌悪感もなく、単に愛する事が出来るならばその時、決して傷つけられることも不幸を味わうこともない。

愛がすべてであり、完全で神聖なものである…という意識で愛する時には、決して傷つくことはない。

そして、その愛とは、

「右のほほをぶたれたら、左のほほを差し出しなさい」

「あなたの敵を愛しなさい」

という種類の愛だ。


★★★


愛とは「理解」でもある。

他の人が望むようにしてあげなさい。

ありのままのその人を愛しなさい。

本当のところを言うと、敵は一人だけ存在する。

それは私達自身だ。

誰も我々に何も出来ない。

無意識のうちに、起こることすべてを我々自身が決めているのだ。

いつかそのことに気づくだろう。



★★★

誰かが間違ったことをしていたなら、彼は間違って導かれている神の存在なのだ…と知らなければならない。

彼は間違った場所に神を探しているのだ。

これが「理解」ということだ。

彼は彼なりの方法で幸せを求めている。

ヒットラーでさえ、彼の心の中では正しいことをしていると思っていた。

だから、憎まれるべきではなく愛されるべきなのだ…彼本来の存在からすれば…。

だからと言って、彼のプログラム(行為)を許すと言う意味ではない。

いずれにせよ、彼の行為を許すか許さないかに関わらず、「愛する」ことと「憎む」ということは、彼の行為を許さないと言うこととは別の問題なのだ。

だから我々はすべての存在を愛する。

彼らは間違って導かれており、何をしているか理解していないのだ。

彼らは間違って導かれた子供のようだ。

キリストがしたように、すべての人を平等に愛しなさい。

そうすることによって高次元(最高の次元)の状態に到達することが出来るのだ。


1965年 ロサンゼルス レスター・レヴェンソンのセッションより


「右のほほをぶたれたら、左のほほを差し出しなさい」
↓逆ですが…
右のほほをぶたれたら
http://bokete.jp/より