春の足音は聞こえませんが | セダムのひとりごと

毎年恒例のニュースって ありますよね


ふぐの初セリとか


どこそこ神社の お祭りとか




そうそう、去年もこのニュース見たっけ


そう思いつつ 今年もほぼ同じ画面のニュースをながめる



それはつまらないこと、ではなく


繰り返しの中にある 落ち着き、というか 安心感というか・・・




庭での ちっちゃなニュースも


多分 去年の今頃 同じように感じていたことを 覚えていても


今年もやっぱり 同じように感じて


同じようなことを 書きたくなってしまいます




例えば 枝垂れ梅の つぼみのふくらみや


セダムのひとりごと

木蓮の つぼみのふくらみ
セダムのひとりごと


春の足音は聞こえなくても


その存在が 確実に近づいていることを 知らせてくれています




そして、真冬の常緑


彼岸花

セダムのひとりごと


視線を集めるのは 秋のひとときだけだけれど


こうして 真冬の寒い中も 葉をのばし その数を増やして


一心に栄養を蓄えている




去年もその姿に「すごいな」って 思ったけれど


やっぱり今年も 「すごいな」って 思ってしまいました