あらゆるものを失うんです。 | デートDV防止教育・DV加害者更生教育プログラム    SEDA(シーダ)のブログ

デートDV防止教育・DV加害者更生教育プログラム    SEDA(シーダ)のブログ

SEDA(Sexuality・Equality・DV・Action)誰もが自分らしく生きられるために……
TEL&FAX03-5928-5277  MAIL:seda.dv@gmail.com
デートD防止教育(日曜日11:00~13:00)
DV加害者更生教育プログラム(水曜日19:00~21:00)  

DVをしたことが世間に知れ渡り、今まで築いていたものすべて何もかも失ってしまうのを目の当たりにしたように感じます。

 

芸能界で一たび世間から注目されると、映像を通すとなおさら、栄誉も不祥事もインパクト強く、大きく伝わります。

DVは犯罪ですから、許されるわけがなく、公に知られたのなら、表舞台から去ることになるのでしょう。

公に知られなかったら、どうだったのでしょうね。

何も感じないまま、反省も考えを改めることもなく、何も起きなかった、そのままの生き方を続けていたのでしょうか。

 

私個人としては、それだけではないと思いますが、被害者のために泣くのではなく、加害をした自分のために泣いているように感じます。色んな大切なものを失ってしまったから。

現時点では、相手の痛みや悲しみや貶められたことなどは何もわからず、感じず、関心もを寄せられず、ただ自分を可哀想に思っているのではないかと。。。

 

暴力は本当に何もかも壊します。

苦労したことも果てしなく掛けた時間の末に勝ち取ったものも、一瞬にして吹き飛び、意味のない無価値なものにしてしまいます。そしてその人の品性を露呈させ、本人は悲しみの底に落ちたとしても、手を差し伸べることはできないのです。なぜなら自分が変わり自分で回復させなければならないことだからです。

 

そしてDVの場合は不名誉がつきまといます。いい大人が、個人の尊重、人の人権を侵したのですから。

良識ある一人の人として恥じいる行為をしてしまったことになるからです。

 

人生も半分くらい生きてきているということは、そんなに短い時間ではないはずです。でも、途中で自分の行為の暴力性、犯罪性、愚かさに気づけなかったのでしょうか。気づいていても放置したままにしておいたのでしょうか。教えてくれる人が周りに居なかったのでしょうか。悲しいことです。

 

DVという夫婦や親密な関係の間で起こる暴力という小さい捉え方をしているので、日常に多く起きてしまうのではないでしょうか。

DVの本質は力と支配ですから、人を力・暴力で服従させよとする他者への侵害は、犯罪の何ものでもないと深大に捉えるべきでしょう。

 

多くの場合、力を持っていることでその力で相手を自分の思いのままに動かしていい、力の無い弱い者、自分より格下に思っている者には黙って従うもの、従って当たり前との幻想をもってしまうようですから、自己中心的に自分のことだけに、相手のことなど考えもせずに力を使う。それが当たり前で、心地も悪くないのでまた繰り返す。

そう考えていれば自分の言動を顧みることは無いでしょう。その考えで良しとしていたのですから、持っていたものを失ってしまった自分を憐れみ、その不幸に涙するのではないでしょうか。

 

バレなかったらいい、バレなかったら永遠に自分の行為の邪悪さに気づかないことが恐ろしいと思います。

 

DVは、暴力は、犯罪で、何もかも失うんです。見えるものも、見えないものも。

見えないものの喪失は、本当に心に痛みと悲しみを痛切に感じさせ、いつまでも傷痕が残り、疼き、それがなかなか癒えないんです。

それは、被害者もですし、加害者もです。

 

力や暴力で、相手を自分の思い通りにして一時の心地よさは得られても、生涯を通しての尊重や尊敬、敬愛や尊厳は得られないのです。

人として存在したのなら、できれば周囲から尊重や尊敬、敬愛や尊厳を得られる、それらを体現できる自分になれたらと思はないでしょうか。

そして、できない、難しいことでしょうけれども、それらをあまねく周囲にできる自分になれるように望んでもいいのではないでしょうか。。。

 

      ひろこ