先日、支援に関わっていた女性としばらく顔を合わせていなかったので、仲間2人と会いに行き3人でお茶をしてきました。

彼女は自分の好きな仕事につき、だいぶ軌道に乗って来ていて、その仕事帰りに会いました。
仕事帰りなので少々心地よいお疲れのようでしたが元気でした。

数年前は女性の集まりに来ても、ただハラハラと下を向いて黙って泣いていたのが印象的な彼女でした。

今では想像もできない姿です。
仕事終わりでも元気にハツラツと話をしてくれてる彼女が目の前にいて、何かこちらがニコニコしちゃいます。

「わー、久しぶり。元気そうだね」
「はい、元気です。今日も仕事で〇〇のようなことがあったんですよ」
「そう、それはやりがいあるね」
「はい、△△と言ってくれると嬉しくて」そう言って、カフェラテをおいしそうに飲みました。


自分の仕事を愛し楽しくやって、その効果が仕事相手からきちんと戻って来る。
とても充実していて活き活きしてました。

「仕事も楽しそうにやっているんだね。夫さんとはどう?」
「うん、なんかすごく楽です」
「へ~、そうなんだ」私も目を大きく開けて、アイスコーヒーを一口ゴクリ。

 

「楽」と言える今なんだ。
離婚するのしないのって言って、とても悩んでいた時期もありました。

DV加害者更生教育プログラムを受けていて、だいぶ変わったと思っていたのに、
夫からは嘘をつかれ、裏切られたり、人格否定されたりしてとても傷つけられていました。

怒りや悲しさなど、いろんな思いでメンタルもかなりこたえていました。

夫に対して「反省させて謝らせたい、もう1回プログラムに参加させたい」と考えたり、


女性たちの集まりで、みんなから「夫さんひどいね」「どうしようもない奴だね」と言われたりして

 

というところから始まったものの、「なんかちょっと違う」

言葉にならない気持ちもあったような…と。

それが、「今は楽です」と言えちゃう彼女。

「夫を何とか、夫をどうにかしたいさせたいという思いで頭がいっぱいだったな~」と。


結局、「夫が悪い、夫をどうにかしたい」と、頭の中は夫でいっぱいで、被害者思考で、

しかも「マウント取りたい‼️の加害者思考でもありましたね」〜と。

伏し目がちに静かに語り、柔らく微笑みながら、ストローをゆっくり回してカフェオレを一口。

私はその言葉を聞くやいなや、アイスコーヒーをこぼしそうになった。

 

 

久しぶりに会った彼女は、「今、楽なんです」と言う。

 

終始ニコニコしかすることがなかった。
こんなに楽しい久しぶりの再会になったのは、「今」の彼女が目の前に居るから。

彼女を誰彼に会わせたくなる。

「ねえ、今の彼女、すごくいいでしょう」って。






 

友だちとの会話とかおしゃべりって楽しいですよね。


先日、子ども国会というイベントがありました。
 

国会議事堂見学があり、そのあと国の予算をみんなで考える。
実際に国会議員に自分たちの考えた予算案をプレゼンテーションしてみようという催しです。


小学校3年生から中学生3年生までの子どもたちがおよそ100人ほど集まって、それぞれの学年で5~6人で1つのグループになって、国の予算のことを話し合います。

各グループに大人が一人メンターとして入り、歳出と歳入の予算決めをして、プレゼンテーションできるまで用紙にまとめていきます。

その話し合いがとても楽しくて、生産的だったんです。

最初に国の予算の歳出と歳入とはの説明があって、なるほどと一旦知識を吸収して、
子どもたちは、やはり自分たちの身近な学校のことから考え始めました。

最初なかなか意見が出ないのですが、今の学校のままで満足してる?
変わってほしいこととか、こんな風になってほしいなとかはない?

いくらでもお金もかけられるとしたら、何か要望無い?
そんな投げかけをしてみると、いろいろ考え始めてくれました。

今の季節らしい、クーラーをつけてほしい。

教室はだいぶついてきたけど、他の教室や体育館とかにほしいとか希望が出て来ます。

ボール遊びができる公園が欲しい。
学校や塾以外で勉強のできるスペースがもっと欲しいという意見も出て来ました。

では、それらをかなえるための収入=歳入はどこから集めようか?

どこのグループでも、たばこ・酒税を増額や税率上げの意見は出やすかったですね。
大人が出すべき税金になるからのようです。もっともだなと思いました。

消費税は自分たちも納税者になるので下げてほしいという要望も割と出ていました。


海外からのインバウンドも増えているので、免税もあるけど、そこからも歳入になるようにできないかな?
 

日本の国を応援してもらうのもいいのではという意見も出ました。

他にもいろんな案が出ていました。


その時の話し合いが、とても相手を、お互いがお互いを尊重し合う、いい話し合いなんですよね。

1つの意見が出ると、みんな最後まで聞くし、うなづくし、質問するし。
1つの意見にみんながしっかり向き合って、聞いて考えるという感じなんです。

無関心だったら「そんなんで、いいんじゃないの~」とかで終わってしまいます。
そうじゃないんです。

みんながその意見に集中するので、話が盛り上がって、深まるんです。

いいコミュニケーションてこういうことなんだろうなと思いました。

まだ、グループワークが始まる前に、学校で何が楽しいと聞いた時に「友達と話すこと」という子が多かったんですね。

自分でも振り返って、授業が楽しいというより、毎日友だちに合って交流できることが楽しいんですよね。


それができないと、学校は苦しいところになります。

人が楽しいと感じるのは、誰かと交流や関りが気持ちよくできること。

それも無理することなく自然体で、自分の思いや意見が自由に安全に言えて、それを受け止めてもらえること。

コミュニケーションって、人が誰かといて楽しいって、そういうことだなと、子どもたちの熱ある楽し気なやり取りや様子を見ていてあらためてそう思いました。

大事なパートナーとの関係も同じですよね。


相手の話に関心持って聞く。

その話に対してのお互いの思いを自由に話し合えることが楽しい。

さえぎったり、否定されたりしない。
力で押さえつけたり、バカにしたり、見下されたりしない。

これらの態度や言いようは、会話が止まってしまいます。
話したいと思わない。逆に黙ってようと思い、場がしらけます。

でも、話し合えば合うほど、楽しいし、盛り上がる。

次々話題が出るし広がる。こんな場は何度でも持ちたいと思いませんか。

こういう場や関係性が楽しいし、居心地いいし、相手に好感を持ちますよね。
もっと話したい、何度でも話したい。また会いたいとなるんですよね。

またこの楽しさ、うれしさ、そんな場を何度でもこの人と持ちたいと思うんですよね。
 

楽しい会話、コミュニケーションって、単純でシンプルだと思いませんか。
相手の話すことを受け入れて、自由なやり取り交流が絶えず流れる場になればいい。

それには否定やマウント取ったりせずに、安心して自由に言いたいことが言える、相手を大切にする心のやわらかい雰囲気。

時に反対意見もあるでしょう。
それだって、違う意見としてきちんと置いておき、認める。
言い負かす必要も否定したり、ましてつぶす必要なんかありません。

意見をまとめなければならないなら時もあるでしょう。

そのためには、それぞれの意見の考えや根拠、意図や理由と、現実吟味の妥当性や時間や予算的考慮を丁寧にすればいいことです。

まずは、自分も相手も自由に自分たちの意見が話せ尊重され、受け入れられること。

この自由に話せ、そして受け入れられるという基本中の基本。

それをできることが、コミュニケーション。よいコミュニケーションの循環。

コミュニケーションにはなくてはならない土台なんだと、それを改めて心地よく感じさせてくれた今回の、子ども国会イベントでした。

対話やコミュニケーションって、なんて楽しくて生産的なんだろうと本当に実感した日でした。


子どもたち、ありがとう。









 

今朝、ホームの上で電車を待っていました。

ホームのその場所は次の駅で乗り換えする階段に一番近いちょうどいい場所です。

だから込み合います。

待っていたら、後から若いカップルが来て、二人で並んで私の左横に立ちました。

1人ならともかく、2人は入れるような入れないような隙間しかなかったんです。

彼が私の左横に立ち立ち軽くぶつかってきました。
え~、なんでこの隙間に入るかな…?

私は当然ズレます。
ちょっと怪訝な顔でチラッと見ました。

ですが、当たってきた彼は何も言わず…です。

「すみません」も、

「ペコリ」もありません。
彼女とそのまま話をしているんです。
彼女わかってないのかな?

私からしたら、あのちょっと、そのぶつかり何ですかーって感じです。

今朝からそんなことがあったので、数十年前の同じような不愉快な出来事まで思い出してしまいました。
 

なんで朝から、こんなことを思い出すとは、 はぁ~…。
思わず空見ちゃいました。

帰り道ただ駅に向かって普通に歩いていたら、後ろから若いカップルの女の子が自転車の運転して二人乗りでフラフラ、バランスを崩して危うくぶつかりそうになりました。

思わず「危ないじゃない」と言ったら、彼の方が文句を言ってきました。
何ていう文句をいわれたのかまでは忘れてしまいましたが、彼女をかばうようなセリフです。

その時も「はあ~」と思いました。
なんでそうなる? 私が怖い思いしたのに文句言われるの?

ブツブツ、腹立つような、悔しいような思いでその後トボトボ駅に向かいました。

自転車の件の時に思ったのですが、
自転車にぶつかられそうになった私の立場が彼女だったら、彼は何て言ったんだろうって。

絶対、なんか言ったはず。
「おい!お前、何やってるんだ、危ねーじゃねーか」とスゴまれたかもしれません。

それは納得いきます。
危険なことされちゃったんですから。
下手したら切れる人もいるかもしれません。

でも、実際は彼女じゃなく、見ず知らずの何の関係もない私が危うくぶつかりそうになったんです。それもあなたの大事な彼女から、私が危ない目に遭わされたんです。

何度も言っちゃう。
危ない目に遭ったのは私。
あなたの大事な彼女ではありません。

今回のホームの上の件でもそうですし、自転車の件でもそうですが、


彼女たちは、彼にそんなことしてもらいたいのかなと…。
そうしてくれたこと、嬉しいと思っているのかなと…。

自分(彼女)のためにやってくれたから嬉しい?
自分(彼女)のためかもしれないけど、普通に考えてどうなの?って思ったのかな…。

私が彼女だったら、そこ文句言うところ? 

ぶつかってまで場所取り? ぶつかりそうになったのに一言も無し?

悪いのはこっちだよ。
今のはやっぱりおかしくない?って。

何を言いたかって言うと
本当に好きな人を大事にするってどういうことかってこと。

好きだから、大事だからって、人に迷惑かけたり負担掛けても彼女を喜ばせようとしちゃうこと?

それって、大事にしているんじゃなくて、大事そうに見せかけての自分のしたいこと(わがまま)を押し通してるだけ。

今回の件も自転車の件も、女の子は全部知っていて、彼のやってくれたことがよかった嬉しいと思うのなら、価値観が二人合っているんですね。

二人の世界では幸せそう。二人の世界での大事にするってことが共有できて成り立っているんだね。

よかったね。パチパチ


二人の友だちまではいいのかもね。同じような価値観だろうから。
ぶつかるのも、文句言うのも「いいんじゃね」って。

でも違う価値観の人たちから見れば、距離を取られるでしょうね。

自分たちだけがいいならいいという、二人の世界にドップリだから。

ちょっと、ついていけないと感じるのではないでしょうか。

でも彼女の方が、彼の言動に疑問を持つような価値観をもっているとすると
「今のは~」と話し合えるんじゃないかな。

その場で、「ちょっと…」と言えるのが一番理想的だと思うけど
できなければ、後ででも

お茶でも飲んでいる時に、
「さっきのことだけど」とか、「今朝のホームの」のとか…。

好きな人を本当に大事にするって

彼女、彼のためでもありながら

その二人の周囲の誰にとっても受け入れられるような心地よいことだから

周りの友達や知人も自分の友人のパートナーに好意を持ち、

二人と仲良くなり、二人を温かく見守り、二人を応援しようとすると思います。

隙間に入って来てぶつかっちゃったら、

「アッ、すみません」この一言で、
こちらも「大丈夫です」って、感じいいカップルだなと思ったと思います。

自転車の通りすがりに「すみませ-ん」と言いながらフラフラしながら自転車で走っていった二人に、その背中に心の中で「気を付けてね」と言っていたと思います。

親密な好きな人を大事にするのは、その人だけではなくその人の周りからも大事にされ愛されるようにすることが、見守り、愛し、本物の大事にするということでないでしょうか。







 

先日、SEDAに取材が入りました。

 

テーマは、災害時の避難所における女性支援です。
 

SEDAは、2011年3月11日に発生した東日本大震災で、福島県双葉町の皆さんが埼玉県さいたま市のさいたまスーパーアリーナへ避難された際、女性支援のボランティア活動に参加しました。
 

当時は、SEDAのメンバーをはじめ、女性支援や子ども支援などに携わる仲間とともに「全国女性相談研究会」という任意団体を立ち上げ、支援活動を行いました。
 

その後、避難所が埼玉県加須市の旧騎西高等学校へ移った後も定期的に活動を続け、さらに福島県浪江町の全仮設住宅を2回巡回するボランティア活動を行い、一連の支援を終えました。
 

今回の取材では、その当時の経験についてお話しさせていただきました。



東日本大震災から15年以上が経ちました。
 

災害支援は当時に比べて大きく進歩し、避難所運営も改善されています。

それでも、あの時に私たちが見たこと、感じたことは、今も忘れてはいけないことだと思っています。
 

2011年当時は、避難所のプライバシーへの配慮はまだ十分とは言えませんでした。

避難された皆さんは、大切な家族や家、仕事、日常を失い、大きな不安を抱えていました。
 

それでも、

「暖かい場所で過ごせるだけでありがたい」

「電気があるだけでありがたい」

そう言って何度も頭を下げていました。
 

冷たいお弁当を受け取るだけでも、「ありがとうございます」と感謝される姿を見て、胸が締め付けられたことを今でも覚えています。
 

昨日まで普通に暮らしていた人たちが、自分のつらさよりも周りへの気遣いを優先している。

その姿がとても印象的でした。
 

避難所では、女性が担う役割も非常に多くありました。
 

家族の洗濯をするために長い列へ並ぶ。

家族全員分のお弁当や生活用品を受け取りに行く。

子どもの世話をする。
 

そうした役割の多くを女性が担っていました。
 

一方で、全国から多くのボランティアが集まりました。
 

もちろん、多くの方が善意で活動されていました。

しかし当時は、ボランティアの受け入れ体制も十分整っておらず、身元確認も現在ほど厳密ではありませんでした。
 

誰がどのような目的で避難所に入っているのか、把握しきれない状況もありました。
 

そのため、「子どもと遊ぼう」「勉強を教えてあげる」「危ないから手伝うよ」と善意を装いながら、不必要に子どもの体へ触れるような事例も耳にしました。
 

こうした問題は、阪神・淡路大震災の頃から指摘されてきたものでもあります。
 

近年では、避難所における性被害や、女性がケア役を当然のように担わされる問題も少しずつ認知されるようになってきました。
 

今回の取材でも、そのような現実についてお話ししました。

 


そして、取材を受けながら改めて思ったことがあります。
 

それは、

「遠慮が二次被害を生んでしまうことがある」

ということです。
 

避難所では、多くの方が

「みんな大変だから」

「自分だけが我慢できないわけではない」

そう思ってしまいます。
 

だから、不便さや困っていることがあっても、声を上げられません。

でも、その不便さは、自分だけが感じていることではない場合がほとんどです。

 

実際、私たちが活動していた時も、

「本当はこうしてもらえると助かる。」

そんな思いを持っている方がいました。
 

でも、ご本人は言いづらくて言えませんでした。
 

そこで、「私たちが代わりに伝えましょうか。」とお聞きすると、

「ぜひお願いします。」

と言われました。
 

私たちは避難所の運営側へ改善をお願いしました。
 

すると環境が改善され、その方だけではなく、多くの避難者の方が以前より安心して生活できるようになりました。

とても感謝されたことを覚えています。
 


支援する側は、一生懸命活動しています。

でも、当事者ではありません。
 

だからこそ、気づけないことがあります。
 

伝えていただいて初めて、「そうだったのか」と改善できることもたくさんあります。
 

もちろん、すぐにはできないこともあります。

それでも、声を上げることには意味があります。
 

それは、自分自身を守るだけではありません。

同じ避難所で暮らす誰かを守ることにもつながります。
 

そして、その経験は次の災害へと受け継がれ、多くの被災者を助ける知恵になっていきます。
 

自然災害は、いつ誰の身にも起こり得ます。

だからこそ伝えたいことがあります。
 

被災したとき、困っていること、不安なこと、不便なことがあれば、どうか遠慮しすぎないでください。
 

声を上げることは、決してわがままではありません。
 

その一言が、自分を守り、隣にいる誰かを守り、未来の避難所をより安全な場所に変えていく力になります。
 

私たちが東日本大震災で学んだ大切なことを、これからも伝え続けていきたいと思います。

 

 

 

 

本日は、天候具合を考慮し、急遽臨時休業とさせていただきます。
間際のお知らせになってしまい、大変申し訳ございません。
ご了承いただけますよう、お願い申し上げます。

SEDA