昨日のことです。

「水曜日はいつも何かやっているんですよね。どんなことをしているんですか」と、同僚の新人の若い女性に聞かれました。

 

「女性支援の活動をしているんだ」

「女性支援の活動って、女性たちにどんなことしているんですか」と続けて聞かれました。

 

「女性たちにもしているけど、男性たちに『DV加害者更生教育プログラム』というのをやっている」と話しました。

「すごい~」と言われました。(笑)

 

別にすごくないんですけどね。

あまり聞き慣れない活動ではあるかもしれませんね。

 

説明をすると、どんどん質問してきてくれるんです。
嬉しかったですし、質問するってことは興味を持ってくれているってことかなと思いました。

 

質問に答えることで、二人の関係の中でどういうことだったんだろうと思っていたことが、質問したことで少し解けて、参考になったのかなと思いました。


そうであれば、さらにとても嬉しいなと思いました。

DVというと身体的な殴る蹴るなどが一番最初にイメージされると思うのですが、言葉の暴力、貶めたり、傷つけたりするような言葉も今はDVとして定着してきました。

今日話していて「身体に当たりそうで当たらないギリギリのところに物を投げつけてくる、これも暴力なんだよ」と言ったら驚いていました。

「そうなんですか。されたことあります」と言っていました。

物を投げただけで体にはあったてないのでケガをしたとかではなくて、ちょっと危なかったというか怖かったというか。

 

投げた方も別に実際ぶつけたわけではないし、ちょっと驚かせただけとなっていると思います。

投げた方も投げられた方も実際に起こっている事の重大さをよくわからずに、軽い扱いにしてしまうことは多々あります。

 

なので質問の彼女も投げられたことありますという受け止めの程度で、暴力をされたとは受け止めていなかったんですね。

彼女は、自分に起こっていたことが本当は暴力なんだと知れたことが、「えー」と驚きとともに新鮮だったようです。


「そうなの?」「私に起こっていたあのことは暴力だったの?」と。

 

怖い目に遭わされたとは感じていて、心地よい体験ではなかったのでしょう。

 

だから「それは暴力なんだよ」と言うと、「そんなことない、それほどのことでは…」と否定するのではなくて、

 

「そうだったんだ」とジワジワ納得していくような感じでした。

新しい捉え方というのか、考え方みたいのを知れたので、何か興味深いなと思ってくれたのか、じゃあという感じでどんどん質問してくれました。

親密な関係の中での暴力は、堅苦しい定義的にあてはめればDVとなるけど、何となく痴話ゲンカ的な扱いになってDVという重苦しい受け止めは通常しないですよね。

なので最近私たちSEDAでも、実質はDVだけど、認識としてはちょっとした意思疎通の悪さ、関係の軋み、痴話ゲンカや緊張みたいなものが実像かなと思っています。

彼女から「男性たちはDVって認めないんじゃないですか?」「プログラムに参加してほしいって女性からは怖くて言いにくいんじゃないですか?」と次々聞かれました。

 

「そうだね。自分がDVしてるとは思ってないから認めないね」
「うん、女性からはやっぱり怖いし危険だからプログラムに行ってと言えないね」

 

だから、そんなときは女性にDVのこととか、今の自分の状態、状況はどうなっているのかを学んでもらっている」と答えました。

「男性が自ら変わろうと思ってくればいいけどそうじゃないから、まず女性が学んで理解進めてもらっているんだよね」と。

 

女性がいろいろ学んで変わると今まで暴力だけど暴力と気づかず放置されていたのが、

 

これはひょっとして暴力?と気づくと、暴力が起こらないようにするための言動が少しづつわかってきます。

そういう小さい変化をしていると男性も怒ったり、不機嫌になったりすることが減っていきます。

 

で、「アレっ?」と。「今まではこういうことで怒っていたのになぁとか、もの投げたりしてたよなと、最近そうしなくなったなぁと」

そんなこんなで、急がば回れで、女性が先に学んで、それに影響されて男性自身も自分のことを見つめ直してみれるようになる?

 

そこに気づきだすと、これは?あれは?と気になりだし、二人の関係ちょっと変わってきてる?となり

 

どこかのタイミングで、「何か、ちょっと学んでみない?」二人でと…。

 

女性が学んでいい関係になりつつある現実があるので、その段階になったら女性も男性にプログラム参加を言い出しやすいのではと思います。

新人さんに質問されるままに女性支援のことを答えていたんですけど、答えは興味深かかったようで「へぇ~」「ふ~ん」「なるほどね」となることが多かったようでした。

学んでみると興味深いし、身近に感じるし、参考にもなるし、役立つことも多く知識が増えると思います。

 

実際やってみるとすぐすぐではないけど、何回に1回は、「あっ、効果あった」「いつもならここで暴力めいたことになりそうなのにならなかった」などを感じられるのではと思います。

なので、今日の新人さんとの質問トーク体験を通して、

 

女性の皆さんには、二人の間で起こっていることで、「ウン?」「これってどういうこと?」と思うようなことがあれば質問してほしいなと思いました。

気軽に質問してください。
メールに質問をくださったら返事します。
もちろんお電話でも大丈夫です。


◆Mail:  seda.dv@gmail.com
◆Tel : 03-5924-5277  水曜日13:00~18:30 (←以外の時間帯は留守電)



聞きたいことがあって、それに答えることで少しでも気持ちが楽になるのなら、それはとても嬉しく思います。
 

もちろん、男性のからの質問も大歓迎です、お待ちしています。

最近、彼女との関係がギスギスしてきたとか、彼女は何も言わなくなったとか、何か彼女といると常にイライラしてしまうとか。


日常の関係性の中で何か引っかかって気になってしまうということがありましたら、どなたでも気軽にお問い合わせください。

 

お返事させていただきます。

お待ちしています。






 

GWが過ぎて、週末を迎えました。

休みボケはありませんでしたか。

私は休みボケすることを予測して、休みに入る前に休み明けにまずすべき予定を付箋に書いてカレンダーに貼り付けておきました。

 

正解でした。やるべきことを忘れずにすみました。よかった~。(-_-;)
 


ブログは前回のユーチューブの続編ということで、また少し一緒に考えたいと思います。

夫は結婚して、理想の家庭生活? 本当のところはわかりませんが…

パートナーを思い通り?理想としていたパートナー像、家庭での役割を果たしてくれる妻というか、そうするように教育したと言っていいのでしょうか?

満足まではいかないにしても、まずまず思い通りの関係性と家庭を担ってくれる妻になったと思っているのではないかと、動画上からは読み取れます。

 

夫はやりたい放題できていそうに見えますが、それでも文句はありそうです。
そうなると、被害者意識が出て来そうです。

今回のユーチューブでは、夫の求めている家庭の妻としてかなり過重労働的に尽くしていると思います。

 

妻は本当は幸せなんだろうかとどうしても疑問が浮かんできてしまいます。

ただ妻は夫を愛しているしこれからも支えていきたいと言っているので、他者はその言葉通りに受け取るべきで、何ら思う必要ないはずですが、なんかモヤモヤ感が残ります。

なぜでしょう。


あまりに夫が自分勝手で、同じ家庭内に居ながら一人自由奔放で妻や子ども、さらに実家や妻の実家にも何も思いやりあることを一切しないからだと思います。

夫は家庭内で何もせず好きなゲームをしているだけなのに、それでも被害感が強いはずです。


なんて言ったって、夫から言わせれば望む理想形になっていないからです。

要するに自分の思い通り、理想通りに具現化してくれる妻を見つけて生活することが、結婚と思っているからではないでしょうか。

パートナー、妻はそのためのツール、ピースと言っていいように思います。(ちょっと言い過ぎかもしれません)

恋だの愛だのはまったく無く、嫌いでなければいい程度なのではと思います。

今回のユーチューブの夫は、妻はかなり夫の希望通りのことをこなし、満足ではないけれど、この程度やってくれるならとまあ許せる範囲として結婚生活を続けている。

妻は、夫が望んでいることをし、すれば喜んでもらえるということで愛されていると感じ結婚生活を続けていると感じます。

結婚生活は成り立っているのですが、夫婦ともに本当に心から自分も相手も幸せ、家族も幸せと感じているんだろうかと思ってしまいます。

この夫婦間で「ありがとう」という言葉が行きかうことはあるのだろうかと思ってしまいます。
 

「ありがとう」って感謝の言葉ですよね。
お互い感謝することはあるのか、特に夫は妻に対してはないんだろうなって思ってしまいます。

夫は、今回は俺の思い通りにできたようだな、「まあいいだろう」
妻は、今回やってみたことは文句を言われなかった、「ああよかった。ほっ」

そんな感じなのではないかと思ってしまいます。

「まあいいだろう」「ああよかった、ほっ」
こういう関係って、何かとっても空虚に感じます。

うつろで寂しく、とても幸せそうには感られません。
本当にお互い幸せなんだろうかと、どうしても思ってしまします。

お互いが何かうわべの満足で、これが夫婦関係とごまかしているような感じがしてしかたありません。


夫婦生活は、重ねていく毎に、愛情や深い思いやりが重層的になって、さらに互いを大事にし、掛け甲斐の無い存在となっていくと思うのですが、このご夫婦にはそういう感じがしません。

男性=夫の心の貧しさを感じずにはいられません。
「無料の家政婦を見つけないと生きていけない」と、堂々と言ってしまうんですよね。

愛しているかと問われると、「まずは自分を愛し、次にゲーム、3番目に妻」と平然と答える人なのですよね。

それでも妻は「夫を愛している、これからも家族を支えていく」と言うのだから、それを周囲が何も言うことはないのですが…。

夫からすれば、妻という名の無料の家政婦を星の数ほどいる女性の中からうまく見つけたと言ってもいいのではないでしょうか。

こんな奇特な女性はいないと思ってしまいますが、なぜかそういうパートナーが見つかるんですよね。

この男性にとっては、対等平等で一緒に幸せになろうという思いでの結婚ではなく、生きていくために無料の家政婦を見つけないという目的の結婚。

いわゆる基本的人権という概念は、思いっきりすっ飛んでますね。

ましてや対等平等、互いを尊重なんて言う概念は聞いたことすらないのかも…?

このような関係性は、妻がこういう生活に疑問を持たなければ続いてはいくでしょう。

ただし彼女が関係性の中での自分の立ち位置とか、夫の幸せが自分の幸せ、という考えに「ウン?」と違ったものが芽生えた時、この結婚生活はどうなっていくか未知数です。

小さな疑問が芽生え、それから妻のなにがしかの考えや決断、この関係性を続けるにしろ、解消するにしろ何かが変わることになるでしょう。

続けるならこうしましょうと条件が付くかもしれませんし、関係解消になれば全く関係が切れます。


SEDAに関係する1つの考えとして

 

関係を続けたいのであれば、妻から夫に今までの考えを変えるようにと更生教育プログラムに参加するように言われたらどうなるか。

①いやいやながらプログラムに通う

②プログラム参加拒否、参加は無理と離婚

 

ちなみにSEDAの場合、妻は更生教育プログラムに参加して夫が変わってくれることを願うと思いますが、SEDAの更生教育プログラムは妻が希望すれば参加できるというものではありません。

妻の要望通り参加して変わっていってもらいたい気持ちはやまやまですが、

 

夫が参加する意思がないまま、妻へのアリバイ作り、参加証明的時間つぶしのような参加、自分を変えるために参加しようとする姿勢がない場合はこちらからお断りしています。

プログラムに参加するご本人に本気のやる気、変わる気がないのに、ただ参加の形だけ繕って何も学ぶ気が無い人の参加は、他の本気で変わろうとする参加者にとって邪魔になりますし、悪影響にしかならないためお断りしています。

プログラムで自分を変えよう、今まで何十年も持っていた考えを変えていこうとするには相当な覚悟が必要です。

正直、今回のユーチューブの中の夫は自分を変えようなんて気はサラサラ無いでしょう。さらに、プログラム参加なんて毛頭ありえないでしょう。

あり得ないことですが、仮にSEDAの更生プログラム参加希望をいただいても、正直、こちらもお断りすると思います。

 

変わる気のない人に講釈を垂れたところで、馬の耳に念仏、犬に論語です。

SEDAとしても、本気で変わりたいと思って参加している方々に対してとても無礼なことをしていると考えます。

 

プログラムに送り出し変わることを願っている妻やパートナーさんたちに対しても、そのようなやる気の無い人を参加させることは学びが停滞したり、滞ったりすることなになり、そのパートナーの方たちに対しても裏切り行為になると思うからです。

プログラムに参加する方々は妻やパートナーさんを大事に思い、やはり失いたくない、いい関係作りを学び、関係性の再構築を願っている方々です。

 

そして、妻やパートナーさんも変わろうとする彼に対して、期待をかけ協力し応援をしています。

更生教育プログラムに参加しいい結果が出るのは、ご本人とパートナーさんのお二方がともに今までの自分たち自身の関係を見つめ直し、そこから気づき、考え、学び、言動の変化を重ねていき、成長が反映されることで結果が出ます。

正直、今回のユーチューブに出ていた夫が変わるのは相当難しいです。

正直、無理と言ってもいいかもしれません。

今の夫のままでもいいという妻であれば、夫婦関係や家庭はこのまま何事もなく続いていきます。

もし妻が別れたいと言っても、夫は別れてくれないでしょう。

夫は若干の不満足はあっても、大概のことは望み通りにしてくれる妻ですから手放そうとしないはずです。

このような自己中な論理や価値観が強く、支配的で自分の思い通りにしないと気が済まない人が、妻の要望や思いをくみ取って、そう叶えてあげようとすることは考えられません。


ましてや話し合いなど成立しません。

力、暴力で黙らせる、従わせるという短絡的な方法に出るのではと簡単に予想がつきます。

 

何が何でも、どんな方法をとっても自分の思い通りにしようとすると思います。

そして被害者意識です。暴言や暴力を振るっているのにです。


俺にこんな嫌な思い、面倒なことをさせやがって。

俺はこんなこともやってやってるのに、なんだお前は、と妻が悪いとなります。

理不尽な考えと思うのですが、彼の中では一貫していると思いませんか。

夫婦関係の理想、今までその理想に近い形が問題なく維持されていた。

それを壊す妻が悪い。だから夫からすれば、自分は被害者だ。

彼の論理の中では正当であり筋が通っているんです。

 

妻は働き家計を支える。自分は働かずに妻から小遣いをもらい少ないと文句を言う。

子育てもしない、料理もまずいと。

 

この動画の中では、夫は妻のことを、自分に高望みをして嫁いできた。

この結婚は人生最大の失敗だったという認識です。


そんな思いの結婚生活をしてやっているのだから、自分に尽くすのは当たり前だという考えなのだと思います。


夫の認識では被害者意識となり、被害者意識があると自己意識にばかり向き自分に執着します。だから変わることは難しいです。
 

なぜなら、悪いのは相手だから、なんで俺が妻を思いやらなければいけないのか、と。


自分を振り返ったり反省する気はありませんし、したところで思い至りません。
こんな不遇な目にあう理由は自分にはなく、相手がそう仕向けたとなります。

 

思い通りにならない被害者意識で、日がな一日ゲームに明け暮れ、ご飯がまずいと文句言う結婚生活。

 

こんな不幸な結婚と思っているこの夫も、幸せを掴めず、それを人のせいにするかわいそうな人と言えるのではないでしょうか。

 

夫も夫なりに幸せになりたいと思っているはずなのだと思います。

その幸せというものについては、人それぞれで、その人、個人のもので、いい悪いではありません。

夫からは、結婚生活があまり幸せではなく、なんか不満を感じるのは、自分がこうだからという発想は出て来ないでしょう。

 

妻や周囲の人、自分以外の人や事が原因で、それらを変えて自分の思い通りにしようとすると思います。

だから変わりません。

むしろ自分を変えようとするものに嫌悪し絶対的な拒否をすると思います。

 

この先、妻が彼を嫌いではないけど、もう無理、限界となって離れようと思ったら別れるのがいいと思います。


彼に何か言われて決心をぐらつかせることなく、自分の気持ちに素直に従い行動するのがいいと思います。

彼は彼で、妻が悪いと思い、もう一緒に居られないと思ったら、妻の気持を考えもせず猶予も与えず離婚や別れを切り出し、それを押し通すでしょう。

そして別れて、自分の思い通りになる次なるパートナーを探し、自分の価値観に合ったというより従うパートナーとの関係、家庭関係を再構築しようと望み、そうしていくでしょう。

ただし、そういう理想の夫婦関係や家庭の在り方を作れるパートナーをいくら探しても見つからないとなると、今度は自暴自棄になって、こんな苦渋や思い通りにならないのは自分以外のせい、身近な周囲の人や世間が悪いします。

暴れまくったり、八つ当たりしたり、身も心も生活も荒んでいくかもしれません。


そして、さらに自分をこんな目に遭わせた今までの妻や人間関係、世間をさらに恨むかもしれません。
悪くすれば犯罪です。


良くすれば、こうなってしまったのは「ひょっとして自分のせい?」とやっと自分に向いた時、自分を振り返れた時です。

 

恐ろしいことですが、
最悪な場合は無差別殺人や、衝動的な事件事故となってしまうかもしれません。


もっと個人的視野でねじれると、あいつが悪いとストーカー的な執拗な恨みを増幅させ、巻き込んでの事故事件となることだってあるかもしれません。

一方で、ここまで窮地、落ちぶれてしまったのは自分のせいなのか? 自分を何とかした方?がとなったら、その時こそ変われるチャンスです。

 

望むのであれば、更生教育プログラムが有効に効くまたと無いチャンスだと思います。

自分の外、誰かを何とかしようと操作したり、支配したりすることを手放そうとし、新しい物事への対処方法を見つけようとする気持ちが芽生えて来たと言えるからです。

「ひょっとして自分なのか?」と思えるか、思えないかの思考の転換は非常に大きいです。

相手を思いやること無く、窮屈にさせ限界と失望と絶望を感じさせてしまった。

それは自分なのかもしれないと、一瞬たりとも思いようらないのであれば、変わることはほぼあり得ないでしょう。
 

誰もが幸せになりたいはず。誰もがです。


自分が幸せになりたいなら、相手だって、私も幸せになりたいと思っているはずです。

二人の大事な関係性では片方だけに偏る幸せではなく、二人でバランスを取って、二人で幸せになるをやっていくことが生涯を通して、愛おしい関係性にし続けていけることになるでしょう。

 

今回、長すぎましたね。

最後までお読みくださって、ありがとうございます。

 





 

 






 

このショート動画、とても考えさせられます。

   ↓

 



多くの方が、この女性は夫と別れればいいのにと思うのではないでしょうか。
あまりの境遇なので、そう思うのではと思います。

ただ、この女性に支援をしようと思ったら、別れさすことではないのではと思います。


なぜなら女性は、最後に「愛してます、これからも支えていきます」って言っているので。

ちなみにこれはテレビ番組のようですが、とりあえず素直にこの現状が事実という設定で話を進めさせてもらいますね。

「なんで~?」「本当に幸せなの?」と思ってしまいますが、
彼女は愛を感じ実際そう言っている、別れたいと言っていない。←これが動画上の事実です。

それを他者が、私たち支援者が自分たちの良かれという価値観で彼女に「そんなひどい境遇からは離れましょう、別れましょう」と言ったところで受け入れないと思います。

だからと放っておくこともやはりしたくないです。

では、どうすればいいのか。

彼女と切れずに関わり続け、彼女自身が自分の境遇に対して何らかの、今は感じていない思いや違和感や感覚に気づけるような関り、そんな気づける土壌を作ることだと思います。

「アレ?」そんなの今まで感じたことなかったのに。

なんか不思議な、落ち着きの無さを感じた時が、彼女が自分自身の幸せって?と考えるチャンスだと思っています。

自分の中にはいろんな感情や思いがあるということに気づく。
それはとても大きなことです。

今まで浮上してこなかった本当は感じいた思いや感情が在った、それに突然出会って気づいてしまったことに戸惑うんです。


どう扱っていいのか、混乱したり不安になったり、怖くなったり。

当然ですよね。わけのわからない正体不明なものに出会ったら誰でも不安になります。


嬉しいものではないので、ざわめいて落ち着かなくなるので、それは早く消したくなるんです。

そう思うのはとても自然なことです。
 

誰だって、落ち着かない心配事があったら、クマのようにウロウロわけのわからない行動して落ち着かせようとしますよね。ウロウロしたところで落ち着くわけでもないのに。(笑)

 

穏やかに安定している時はゆったりと目を閉じてジっとしていられるものですが、それができない。


落ち着かない何かが起きた、それは自分の中の何かしらの変化の兆し、何かが動き出したという証だと思います。

起きてしまったものはもう元には戻せません。が、不安なので元に戻そうとします。
これもごくごく自然なこと。

いい悪いでなく元に戻る、慣れたことは安心なんです、なので戻る。

戻ることが落ち着くためには、一番手っ取り早い方法なんです。

せっかく変化の兆しが出て来たと思うと周囲は戻ろうとすることを、止めたり残念がったりすることがあります。

だけど、戻ろうとすることを否定しないことが大事だと思います。

ここはなかなか悩ましいところですが、戻ろうとすることをどう受け取り、戻るその目的や意図、意味をきちんとつかみ扱えるか。

 

ここの扱いが、女性にとってこの支援者は自分の味方なのか、本当に自分ことを考えての支援をしようとしてくれているのか。

 

そこを判断され、支援を続けようか託していいものか、本物の支援になるかならないかの分かれ目だと思っています。


自分の中の変化にと惑い不安で戻ろうとうとするけど、今までと全く同じには戻れないと思います。


まったく元のままに戻れてたら落ち着くはずですが、元のままではないんです。

違和感を知ってしまった今の私は、元の以前の私ではないんです。

 

だから、しばらくするとまた落ち着かなさが頭をもたげてきます。

慣れた古巣に帰ったものの、以前の違和感を知らなかった自分ではないので、浮上し顕在化してしまった感情をもう押し込められないんですよね。

なので、この段階からは変化しつつある自分と支援者と一緒に取り組み、本当は自分は何を求め、自分の幸せは何なのかをじっくりしっかり考えていくのがいいと思います。

世間から見ると、とても厳しい境遇の中で生きているように思えるけど、彼女自身がこの環境を選んでる。

 

そこに揺らぎが出たのなら、新たな自分発見の段階に入ったと言っていいでしょう。

 

そして、それは未知の世界なんです。だからとても怖いんです。

一人では怖くて、いつまでもウロウロ落ち着かない苦しい状況に居続けることはできないでしょう。

確かに、彼女自身が夫を愛しているのでと、この状況を選んでいるのならそのままでいいとは思うんです。


でも、ひとたび「これ?」ってと疑問符がついてしまって、その思いを自分ではどうにもできないと思ったら、専門の人とつながってほしいです。

未知との出会いによる、不安や落ち着かない怖さを相手にするのは、正直一人で扱うのはかなり手ごわいと思います。

そんな時に、この手ごわい相手に一緒に付き添いよりそってくれる誰かが居てくれたらと思うのなら、SEDAを思い出してくれたら、とても嬉しいです。


まずは、あなたにとっての不安を共に相手にする仲間として、自分の幸せとはを見つける伴奏者として、どうか気軽に相談してみようと思ってほしいです。

いつでもどうぞ、お待ちしています。


連絡先

 

SEDA
Mail:  seda.dv@gmail.com
Tel    :    03-5924-5277 
水曜日13:00~18:30 (←以外の時間帯は留守電)


 ゴールデンウィークのため、 4/29(水) 5/6(水) はお休みです。

 



 

今年も、明日からゴールデンウイークが始まりますね。


皆さん、楽しい旅行や行楽の予定を立てて、今からワクワク楽しみにしている方も多いのではないでしょうか。

 

この時とばかりに、家でのんびりゆったり過ごし、心も体もリラックスというのもあるでしょうね。

毎年、水曜日が一度はGW中に含まれます。

長期休暇になりますので、ご家族や大切な人との時間を過ごされる方が多いので、SEDAの開催日に参加される方も少なくなるので、お休みをしています。

今年は水曜日が2回、連休にかかります。
 

4月29日(水)

5月6日(水)

なので、上記2回お休みいたします。
お知らせいたします。

連休中、北の方は天気よさそうですね。

関東から南はちょっと怪しそうでしょうか…。

お天気もチェックしながら、気を付けてゆったりお過ごしください。

家族や親しい間柄だからの和気あいあいを、誰もが心から楽しめている様子を愛でながら、確認しながらが楽しんだり、リラックスしたりしてくださいね。

 

どうぞ、心身の癒しやステキな思い出作りとなりますように。
休暇の過ごした後の晴れ晴れとした表情とお土産話を楽しみにしたいと思っています。

それではどうぞ、よい休日を。

 

皆さん、どんなプロポーズをしようと思ったり、逆にどんなプロボーズをされたり、されたいと思っているのでしょうね。

 

いろんな演出を考えて、最適な場面を用意して凝った趣向を凝らしたりする方もいらっしゃるでしょうね。

 

いやいや、気持ちが高ぶって今しないとと思いのあふれるままだったり、自然に言葉が出て来たりという場合もあるでしょうね。

プロボーズは想像通り、思いがけずだったけど嬉しかったりという場合もあるでしょう。

 

お互いの気持ちを確かめ合い合意したその後は、ご両家に挨拶ということになるでしょう。

テレビドラマ風だと「お嬢さんをください」とか「この人と結婚します、幸せになります」と。

 

余談で野暮ですが、お嬢さんを「ください」というと、ジェンダー意識が高い親御さんでしたらに引っかかるかもしれないので、ちょっと注意が必要かもしれませんね。

娘を「あげる」「くれる」とかモノ的な扱いや言葉の使い方は、一昔前的な考えと…。

そういうジェンダー意識を持っているのか、何となく図られてしまうかもしれません。

 

興ざめなことを言ってすみません。

 

いい悪いとかではなく、面倒くさいと思うかもしれませんが、いろいろな考えや価値観の方がいらっしゃいるということです。

 

で、「かならず幸せにします」「幸せになります」というような言葉が続くのかなと思います。

一緒に人生を歩んでいこうと、人生の伴侶を星の数ほどいる人の中からこの人と決めた。

 

それはこの人とともに人生を歩み幸せなろう、この人とともに生きたい、それが幸せだからとお互いが思うからでしょう。

 

好き、愛しているという感情は、人と人を結ぶつけるとても大切で大事な感情です。


ただ、好き、愛してるという大事な感情ではあるけれど、それだけで幸せになれるかというと難しいと思います。でも、無ければ幸せにはなれないでしょう。

 

好き、愛しているという感情や想いがあるから、幸せになるための努力や工夫や我慢ができると言えるのではないでしょうか。

幸せってパートナーにしてもらうものではなくて、二人でお互いがパートナーのために、そして自分のためにしていく、育てていくものだと思います。

 

幸せって、いろんなささやかな場面でしみじみ感じるものだと思います。

そして、失望もまた然りです。

 

強い言葉で言うと、幸せは自分でつかみに行くものと言ってもいいかもしれません。

ただ一緒に過ごしていれば棚ボタみたいに勝手に降ってくるものでは決してありません。

待っていれば思い通りの幸せが手に入るわけではなく、やはり二人で幸せを目指し、手を変え品を変え育て上げていくものでしょう。

いわゆる世間で言われる理想の夫像、妻像になることが幸せではありません。


ましてや相手の元家族が持っていた価値観に一方が合わせることが幸せではありません。

 

最初から合っていたり、快く合わせてくれたら嬉しいですよね。
同じ価値観であれば今まで通りの自分でいいのですから。

 

「朝ご飯はパンの方がいいよね」「そうだね」

「お味噌汁は白みその方がいいよね」「そうだね」

 

こんな些細なことが合う。スムーズで一緒にニコニコ食事ができ嬉しいはずです。

 

「朝は絶対にご飯とみそ汁と鮭は外せない」

「お弁当に冷凍食品とかあり得ないよね」

 

この辺の価値観になると、少々ざわつく小さな思いが入ってきそうです。

 

何十年も違う環境で育って来た赤の他人が一緒に生活を始めていく、人生の歩みを進めていくって現実は、こういうことなのではないでしょうか。

 

「お互い働いているから家事は分担して一緒にやろうね」

「気づいた方がやるようにするでよくない?」

この辺になるとお互いが思っていることと結構ズレが出てきたりするのではと思います。調整が必要になって来るでしょう。

調整をしてお互いが思うこと、アレッと思うことを整えていかなくてはなりません。

 

幸せになるための必然的プロセスではないでしょうか。

 

小さな違和感、思っていることのズレ。

それは今目の前に居る大好きなパートナーを作り上げてきたそのものです。

 

そのパートナーそのものでもあり、違和感でもありズレでもあるそのちょっとした異質感、デコボコをお互いフラットにしていく作業の積み重ねとも言えるのではないでしょうか。

どちらか一方の価値観に合わせる、合わせられる、我慢する、飲み込むでは幸せは遠くなってしまうでしょう。


なのでどちらの価値観でもない、新しい価値観を作ればいいんですよね。

 

お互いが負の感情的なものをため込まない価値観。

許容でき共有できる価値観。

そうやって二人で人生を進めていけることが幸せなのではないでしょうか。

 

命の全うまで添い遂げるのであれば、当然いろんなことが起きるでしょう。

ケンカを一度もしたことがないという夫婦も居るかもしれませんが、やはりそれは稀だと思います。

ざわめく気持ちや感情が起きた時の二人が大事なんです。


あっさりクリアにできてしまうこともあれば、ひとまず横に置いといて時間を掛け整えていくものもあるでしょう。

個人的に一番してはいけないと思うのは、世間ではこうだ、常識ではこうなると、自分たち以外の価値観を一般常識と持ち出すこと。

 

そして、それによって我慢、確かにある本当の気持ちを言わない、伝えずに黙っていることだと思います。

 

常識と掲げ、水戸黄門の印籠のように強制的に「ハ~ハ~」と有無も言わさず従わせ本当の気持ちのやり取りをしないことだと思います。


強硬策は表面的な解決にはなるかもしれませんが、幸せにはなれないと思います。

解決と幸せは別物です。

 

人生の伴侶を見つけられて、正式に公に一緒に歩んで行きますと宣言できる嬉しさ、幸せは、かけがえがのないものでしょう。


この感涙のかけがえのないパートナーと出会ったのですから、二人で幸せになれるはずです。

 

いつまでも二人で、時に手のかかる厄介な時もあると思いますが、それさえも楽しみながら創意工夫を重ねて、幸せを作り続けていってほしいと思います。