GWが過ぎて、週末を迎えました。
休みボケはありませんでしたか。
私は休みボケすることを予測して、休みに入る前に休み明けにまずすべき予定を付箋に書いてカレンダーに貼り付けておきました。
正解でした。やるべきことを忘れずにすみました。よかった~。(-_-;)
ブログは前回のユーチューブの続編ということで、また少し一緒に考えたいと思います。
夫は結婚して、理想の家庭生活? 本当のところはわかりませんが…
パートナーを思い通り?理想としていたパートナー像、家庭での役割を果たしてくれる妻というか、そうするように教育したと言っていいのでしょうか?
満足まではいかないにしても、まずまず思い通りの関係性と家庭を担ってくれる妻になったと思っているのではないかと、動画上からは読み取れます。
夫はやりたい放題できていそうに見えますが、それでも文句はありそうです。
そうなると、被害者意識が出て来そうです。
今回のユーチューブでは、夫の求めている家庭の妻としてかなり過重労働的に尽くしていると思います。
妻は本当は幸せなんだろうかとどうしても疑問が浮かんできてしまいます。
ただ妻は夫を愛しているしこれからも支えていきたいと言っているので、他者はその言葉通りに受け取るべきで、何ら思う必要ないはずですが、なんかモヤモヤ感が残ります。
なぜでしょう。
あまりに夫が自分勝手で、同じ家庭内に居ながら一人自由奔放で妻や子ども、さらに実家や妻の実家にも何も思いやりあることを一切しないからだと思います。
夫は家庭内で何もせず好きなゲームをしているだけなのに、それでも被害感が強いはずです。
なんて言ったって、夫から言わせれば望む理想形になっていないからです。
要するに自分の思い通り、理想通りに具現化してくれる妻を見つけて生活することが、結婚と思っているからではないでしょうか。
パートナー、妻はそのためのツール、ピースと言っていいように思います。(ちょっと言い過ぎかもしれません)
恋だの愛だのはまったく無く、嫌いでなければいい程度なのではと思います。
今回のユーチューブの夫は、妻はかなり夫の希望通りのことをこなし、満足ではないけれど、この程度やってくれるならとまあ許せる範囲として結婚生活を続けている。
妻は、夫が望んでいることをし、すれば喜んでもらえるということで愛されていると感じ結婚生活を続けていると感じます。
結婚生活は成り立っているのですが、夫婦ともに本当に心から自分も相手も幸せ、家族も幸せと感じているんだろうかと思ってしまいます。
この夫婦間で「ありがとう」という言葉が行きかうことはあるのだろうかと思ってしまいます。
「ありがとう」って感謝の言葉ですよね。
お互い感謝することはあるのか、特に夫は妻に対してはないんだろうなって思ってしまいます。
夫は、今回は俺の思い通りにできたようだな、「まあいいだろう」
妻は、今回やってみたことは文句を言われなかった、「ああよかった。ほっ」
そんな感じなのではないかと思ってしまいます。
「まあいいだろう」「ああよかった、ほっ」
こういう関係って、何かとっても空虚に感じます。
うつろで寂しく、とても幸せそうには感られません。
本当にお互い幸せなんだろうかと、どうしても思ってしまします。
お互いが何かうわべの満足で、これが夫婦関係とごまかしているような感じがしてしかたありません。
夫婦生活は、重ねていく毎に、愛情や深い思いやりが重層的になって、さらに互いを大事にし、掛け甲斐の無い存在となっていくと思うのですが、このご夫婦にはそういう感じがしません。
男性=夫の心の貧しさを感じずにはいられません。
「無料の家政婦を見つけないと生きていけない」と、堂々と言ってしまうんですよね。
愛しているかと問われると、「まずは自分を愛し、次にゲーム、3番目に妻」と平然と答える人なのですよね。
それでも妻は「夫を愛している、これからも家族を支えていく」と言うのだから、それを周囲が何も言うことはないのですが…。
夫からすれば、妻という名の無料の家政婦を星の数ほどいる女性の中からうまく見つけたと言ってもいいのではないでしょうか。
こんな奇特な女性はいないと思ってしまいますが、なぜかそういうパートナーが見つかるんですよね。
この男性にとっては、対等平等で一緒に幸せになろうという思いでの結婚ではなく、生きていくために無料の家政婦を見つけないという目的の結婚。
いわゆる基本的人権という概念は、思いっきりすっ飛んでますね。
ましてや対等平等、互いを尊重なんて言う概念は聞いたことすらないのかも…?
このような関係性は、妻がこういう生活に疑問を持たなければ続いてはいくでしょう。
ただし彼女が関係性の中での自分の立ち位置とか、夫の幸せが自分の幸せ、という考えに「ウン?」と違ったものが芽生えた時、この結婚生活はどうなっていくか未知数です。
小さな疑問が芽生え、それから妻のなにがしかの考えや決断、この関係性を続けるにしろ、解消するにしろ何かが変わることになるでしょう。
続けるならこうしましょうと条件が付くかもしれませんし、関係解消になれば全く関係が切れます。
SEDAに関係する1つの考えとして
関係を続けたいのであれば、妻から夫に今までの考えを変えるようにと更生教育プログラムに参加するように言われたらどうなるか。
①いやいやながらプログラムに通う
②プログラム参加拒否、参加は無理と離婚
ちなみにSEDAの場合、妻は更生教育プログラムに参加して夫が変わってくれることを願うと思いますが、SEDAの更生教育プログラムは妻が希望すれば参加できるというものではありません。
妻の要望通り参加して変わっていってもらいたい気持ちはやまやまですが、
夫が参加する意思がないまま、妻へのアリバイ作り、参加証明的時間つぶしのような参加、自分を変えるために参加しようとする姿勢がない場合はこちらからお断りしています。
プログラムに参加するご本人に本気のやる気、変わる気がないのに、ただ参加の形だけ繕って何も学ぶ気が無い人の参加は、他の本気で変わろうとする参加者にとって邪魔になりますし、悪影響にしかならないためお断りしています。
プログラムで自分を変えよう、今まで何十年も持っていた考えを変えていこうとするには相当な覚悟が必要です。
正直、今回のユーチューブの中の夫は自分を変えようなんて気はサラサラ無いでしょう。さらに、プログラム参加なんて毛頭ありえないでしょう。
あり得ないことですが、仮にSEDAの更生プログラム参加希望をいただいても、正直、こちらもお断りすると思います。
変わる気のない人に講釈を垂れたところで、馬の耳に念仏、犬に論語です。
SEDAとしても、本気で変わりたいと思って参加している方々に対してとても無礼なことをしていると考えます。
プログラムに送り出し変わることを願っている妻やパートナーさんたちに対しても、そのようなやる気の無い人を参加させることは学びが停滞したり、滞ったりすることなになり、そのパートナーの方たちに対しても裏切り行為になると思うからです。
プログラムに参加する方々は妻やパートナーさんを大事に思い、やはり失いたくない、いい関係作りを学び、関係性の再構築を願っている方々です。
そして、妻やパートナーさんも変わろうとする彼に対して、期待をかけ協力し応援をしています。
更生教育プログラムに参加しいい結果が出るのは、ご本人とパートナーさんのお二方がともに今までの自分たち自身の関係を見つめ直し、そこから気づき、考え、学び、言動の変化を重ねていき、成長が反映されることで結果が出ます。
正直、今回のユーチューブに出ていた夫が変わるのは相当難しいです。
正直、無理と言ってもいいかもしれません。
今の夫のままでもいいという妻であれば、夫婦関係や家庭はこのまま何事もなく続いていきます。
もし妻が別れたいと言っても、夫は別れてくれないでしょう。
夫は若干の不満足はあっても、大概のことは望み通りにしてくれる妻ですから手放そうとしないはずです。
このような自己中な論理や価値観が強く、支配的で自分の思い通りにしないと気が済まない人が、妻の要望や思いをくみ取って、そう叶えてあげようとすることは考えられません。
ましてや話し合いなど成立しません。
力、暴力で黙らせる、従わせるという短絡的な方法に出るのではと簡単に予想がつきます。
何が何でも、どんな方法をとっても自分の思い通りにしようとすると思います。
そして被害者意識です。暴言や暴力を振るっているのにです。
俺にこんな嫌な思い、面倒なことをさせやがって。
俺はこんなこともやってやってるのに、なんだお前は、と妻が悪いとなります。
理不尽な考えと思うのですが、彼の中では一貫していると思いませんか。
夫婦関係の理想、今までその理想に近い形が問題なく維持されていた。
それを壊す妻が悪い。だから夫からすれば、自分は被害者だ。
彼の論理の中では正当であり筋が通っているんです。
妻は働き家計を支える。自分は働かずに妻から小遣いをもらい少ないと文句を言う。
子育てもしない、料理もまずいと。
この動画の中では、夫は妻のことを、自分に高望みをして嫁いできた。
この結婚は人生最大の失敗だったという認識です。
そんな思いの結婚生活をしてやっているのだから、自分に尽くすのは当たり前だという考えなのだと思います。
夫の認識では被害者意識となり、被害者意識があると自己意識にばかり向き自分に執着します。だから変わることは難しいです。
なぜなら、悪いのは相手だから、なんで俺が妻を思いやらなければいけないのか、と。
自分を振り返ったり反省する気はありませんし、したところで思い至りません。
こんな不遇な目にあう理由は自分にはなく、相手がそう仕向けたとなります。
思い通りにならない被害者意識で、日がな一日ゲームに明け暮れ、ご飯がまずいと文句言う結婚生活。
こんな不幸な結婚と思っているこの夫も、幸せを掴めず、それを人のせいにするかわいそうな人と言えるのではないでしょうか。
夫も夫なりに幸せになりたいと思っているはずなのだと思います。
その幸せというものについては、人それぞれで、その人、個人のもので、いい悪いではありません。
夫からは、結婚生活があまり幸せではなく、なんか不満を感じるのは、自分がこうだからという発想は出て来ないでしょう。
妻や周囲の人、自分以外の人や事が原因で、それらを変えて自分の思い通りにしようとすると思います。
だから変わりません。
むしろ自分を変えようとするものに嫌悪し絶対的な拒否をすると思います。
この先、妻が彼を嫌いではないけど、もう無理、限界となって離れようと思ったら別れるのがいいと思います。
彼に何か言われて決心をぐらつかせることなく、自分の気持ちに素直に従い行動するのがいいと思います。
彼は彼で、妻が悪いと思い、もう一緒に居られないと思ったら、妻の気持を考えもせず猶予も与えず離婚や別れを切り出し、それを押し通すでしょう。
そして別れて、自分の思い通りになる次なるパートナーを探し、自分の価値観に合ったというより従うパートナーとの関係、家庭関係を再構築しようと望み、そうしていくでしょう。
ただし、そういう理想の夫婦関係や家庭の在り方を作れるパートナーをいくら探しても見つからないとなると、今度は自暴自棄になって、こんな苦渋や思い通りにならないのは自分以外のせい、身近な周囲の人や世間が悪いします。
暴れまくったり、八つ当たりしたり、身も心も生活も荒んでいくかもしれません。
そして、さらに自分をこんな目に遭わせた今までの妻や人間関係、世間をさらに恨むかもしれません。
悪くすれば犯罪です。
良くすれば、こうなってしまったのは「ひょっとして自分のせい?」とやっと自分に向いた時、自分を振り返れた時です。
恐ろしいことですが、
最悪な場合は無差別殺人や、衝動的な事件事故となってしまうかもしれません。
もっと個人的視野でねじれると、あいつが悪いとストーカー的な執拗な恨みを増幅させ、巻き込んでの事故事件となることだってあるかもしれません。
一方で、ここまで窮地、落ちぶれてしまったのは自分のせいなのか? 自分を何とかした方?がとなったら、その時こそ変われるチャンスです。
望むのであれば、更生教育プログラムが有効に効くまたと無いチャンスだと思います。
自分の外、誰かを何とかしようと操作したり、支配したりすることを手放そうとし、新しい物事への対処方法を見つけようとする気持ちが芽生えて来たと言えるからです。
「ひょっとして自分なのか?」と思えるか、思えないかの思考の転換は非常に大きいです。
相手を思いやること無く、窮屈にさせ限界と失望と絶望を感じさせてしまった。
それは自分なのかもしれないと、一瞬たりとも思いようらないのであれば、変わることはほぼあり得ないでしょう。
誰もが幸せになりたいはず。誰もがです。
自分が幸せになりたいなら、相手だって、私も幸せになりたいと思っているはずです。
二人の大事な関係性では片方だけに偏る幸せではなく、二人でバランスを取って、二人で幸せになるをやっていくことが生涯を通して、愛おしい関係性にし続けていけることになるでしょう。
今回、長すぎましたね。
最後までお読みくださって、ありがとうございます。