安心こそでしょ | デートDV防止教育・DV加害者更生教育プログラム    SEDA(シーダ)のブログ

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DVはdomestic violence(=ドメスティックバイオレンス)の頭文字を取ったものですね。

「Domestic」 とは 家庭の中で起きているさま

「Violence」 とは暴力、乱暴、すさまじさ などという意味ですね。

DVは一般的に配偶者間の暴力と理解され、法的な婚姻をしていないカップルの間で起きる暴力も含みますので、親密な関係の二人の間に起きる暴力と理解されています。

 

家庭とか親密な関係で最も根本的で大切なものは安心でしょう。

DVでは暴力や虐待、力と支配の関係になってしまい、安心の真反対、不安や心配が台頭してくるのです。さらに強い情動の恐怖というものも入って来てしまいます。

 

人はどのようにしたら安心を感じるのでしょう。

自分の存在が脅かされないで、心が平穏でいられることではないでしょうか。

自分のままでいていいと、そして他者を信じられることだと思います。そしてそれは幸せに通じるのではないでしょうか。

そして親密な二人が居る場、人との関係を学ぶ最初の社会である家庭に安心が無いと、自分を信じる、自分でいいと肯定できる思いが育たなくなってしまいます。

 

そう考えるとDVの関係は、安心を与えられない、得られない関係といえるでしょう。

幸せにします、幸せになりますとは、結婚のときなどによく言われる言葉ですが、関係が破綻する時には安心は存在しないのでしょう。

 

DVをしているつもりは全くない。ですが相手はズーッとDVを我慢し続けていた、もう耐えられない。と別れを切り出されて強いショックを受けるというのはよく聞く話です。

散々暴力や支配をしていたのに、当の本人は一切していないと言い張る。そして別離や別居や離婚で生活は一変し、寂しさや孤独、心の痛みや傷心を感じ、こんな思いをさせられて、中にはこっちこそ被害者だと言い出すことさえあります。

 

相手から苦痛を与えられたと感じるのであれば、確かに被害者意識が出るでしょう。ただし自分が相手に与えた苦痛は顧みることはありません。私はあなたや家族のために頑張ったのになぜ、と自分の感じた苦痛ばかりを訴えることが圧倒的に多いのです。

 

自分なりにこれをすれば自分もパートナーも家族も幸せと思い、仕事や家事も育児もしたのでしょう。時にハレ的な家族サービスもしたのかもしれません。

ですがそれは自分の判断でここまでやればいい、これ以上はやらなくてもいいと考えたところまでです。

 

パートナーが本当に求めているところまでではなく、自分勝手に自己判断でやって、楽しいよね、よかったよねと、幸せにしてやった気になったり、仕事だから仕方ないとやるべきことやらないのが当たり前にされていたら、パートナーは自分のまま、自分の思いのままでいいとはなれないでしょう。それで心穏やかに居られるなんてできるでしょうか、相手を信用できる?安心できる?のでしょうか。

 

安心感を持てないと人は穏やかでいられないんです。

安心感が土台にあってこそ、喜びも怒りもあらゆる感情が安心して表現できるのですから、それが人と人との関係を豊かにし、この関係の中に安住したいと思うのでしょう。

 

現実は残念ながら様々の事情や状況で安全でないと感じでも関係が続く場合があります。

なので少しでも安全を得られるように、パートナーに、相手に、他者に、安心感を持ってもらえるような言動をしませんか。

誰に対しても安心感ある言動ができれば、一番身近で大切な存在のパートナーに安心感を持ってもらえるようになるからです。

 

パートナーはパートナーのままでいていいという安心感のメッセージを言動にこめましょう。

それは誰にでもですが、特に親密な関係のパートナーに対して、この世でたった一人の大切でかけがいの無い存在として、尊重した言動をすることです。

親密といえど他者なのですから、違うふたりの価値観をお互いに尊重を持って、妥協したり昇華することが大切で、そのプロセスこそ楽しんで行ってほしいと思います。そして、そのプロセスを楽しみ行きついた結果を、二人で多いに満喫してもらいたいと思います。

 

 

     ひろこ