secretary-of-japanという私のIDは、大学時代に小渕恵三氏から仰っていただいた言葉に由来します。故に、私にとって本名以上に大切な私を示す言葉です。

大学時代、小渕氏と縁を持ったのは、後輩が中之条の小渕恵三氏の後援事務所の方の息子さんであったことが発端でした。色々と便利づかいされていく中で、幸いなことに小渕氏ともお会いする機会が幾度かありました。

そこで、私は、小渕氏から極めて高く評価して頂きました。
小渕氏は人が大好きで、本当に褒め上手であり、心底から尊敬できる方だったと思います。
その評価を恥ずかしながら記載すると
「自分の専門以外の政策課題を解決するため、普通の人は国内の事例を調べ、ちょっと優秀な人は海外の事例を調べ、本当に優秀な人は歴史の事例を調べる。」
「ただ、君は、常にゼロから骨組みして、論理立てに類似事例を用いている。それは若さとかではなく、天性のものだ。将来有望だとか、そういう次元ではなく、歴史的にも稀有の才能だ。」

ある意味では、当たり前ですが、こんなことを言って貰えたことで舞い上がってしまい、政策が先鋭化してしまい効率至上主義に陥ってしまいました。その後、中央での活躍を夢見て、私が小渕氏に就職の相談をしたところ、けんもほろろな対応で、地方に行って勉強してこいと相手にしてもらえませんでした。

そこで、郷里の福岡に帰ることにし、挨拶もかねて最後にお会いした時、
「きちんと地方で学んで戻っておいで。ずっと先の話だろうが大臣とか、そういった地位にも就けるような素材は持っているのだから。」と仰っていただき、少し調子に乗った私が、「私は大臣になるなら、どこの大臣が似合っておりますでしょうか?」とお尋ねしたところの答えが「secretary-of-japanとして君が活躍する日が来るのを楽しみにしているよ。」でした。

単に日本版NSCを発足させてアメリカにも外交力では負けないという意気込みを仰られただけではなく、現実には存在していない国務省と答えることで、時間を掛けてゆっくり学んで来いということを伝えられようとされたのだろうと思います。

その後、小渕氏は3カ月ほどでお亡くなりになるのですが、最初の縁を取り持っていただいた方に小渕氏は、「自分に時間があったら手元で育てようと思うのだが、残念ながら時間がない。国を担える人材に育ってくれるといいのだが。」と仰っていただいていたと後から聞きました。

こういった経緯から、私がsecretary-of-japanを名乗り、稿を上げ始めたのは、最後に小渕さんとお会いした日から7年目のことで、第一次安倍内閣が日本版NSCをつくるという議論を始めたころに応援する目的で始めました。その後、第一次安倍政権が終わり、私が伝えたいと思ったことを三橋さんが仰って下さっていたこともあり、コメントするのみになっておりました。

少し皮肉的な話になりますが、第二次安倍内閣で日本版NSCが発足するなかで、私は、安倍内閣を制止するために再びブログを始めようと思います。

これが小渕氏の意に沿うものであることを願いつつ。

なお、2007年頃から2008年頃のブログは下記にあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/secretary_of_japan