ファッションか必要なものか。 | パーソナルトレーナー/写真作家 古川貴久 【Personal Trainer / Photowriter】 Takahisa Furukawa

パーソナルトレーナー/写真作家 古川貴久 【Personal Trainer / Photowriter】 Takahisa Furukawa

◆ピラティス・マスターストレッチ・ウェイトトレーニング
◆東京浅草、ポルトガル写真

プロボクシング世界4階級制覇王者の

井岡一翔選手のタトゥー問題が

議論の的となっています。

 

日本ボクシングコミッション(JBC)の規定では、

「入れ墨など観客に不快の念を与える

 風体の物は試合に出場することは出来ない」

と定められていますが、

昨年大晦日の試合において

タトゥーが目立ったことから

ネットなどで物議を醸しているという。

 

この問題は本来であれば

複雑化するようなものではなく、

全てはJBCの規定の曖昧さ、

この一点に尽きるのではないだろうか。

入れ墨をして試合に出場すること

自体が禁止なのか、

入れてあってもファンデーションで隠せれば

出場できるのか、明快ではない。

シンプルに入れ墨は規定違反だと

言い切れば済む話ではないだろうか。

日本のボクシングの試合では

入れ墨をして出場することは出来ません、

それでも試合がしたいのであれば

MMA(総合格闘技)や

K-1 の世界に行って下さい、

そう言い切ってしまえば

従うしかなくなるのではないだろうか。

一度決まった試合で、

費用やスポンサーの問題もあるでしょう。

それなら入れ墨をした選手を失格とした上で、

ノンタイトルの試合として興行は成立させる。

もし入れ墨をした選手が

試合をボイコットした場合は、

その損害賠償を所属ジムや個人に請求する。

ボクシング関係者ではない外部の人間でも、

これぐらいのことは考えられます。

もしくはタトゥーの禁止項目

そのものを削除するか、

ゼロか100かで規定を明確にすれば、

議論の余地はなくなるのではないだろうか。

日本人の考え方が古いとか、

罪人に刻まれるものだったとか、

反社会的勢力の人たちのイメージがあるとか、

そういったことは本来無関係のはず。

ルールを変えたいのであれば、

ルールを守った上で改正を訴えるか、

ルールを破った上で

枠の外から改正を訴えるか、

どちらかの戦略を持たなければならない。

ルールを破って試合に出場して

改正を訴えるというメンタリティーは、

髪を脱色して校則に背く中高生のレベルと

大差はないのではないだろうか。

興行を成立させることを最優先とし、

試合を強行してから選手の処分を議論するという

JBCの振る舞いも、

外部の人間から見ると

何とも不可解でしかありません。

 

タトゥーそのものにおいては、

各国の文化の違いはあります。

私が何度か生活をしたポルトガルでは

タトゥー率が異様に高い。

特に20代から40代の人たちの中からは、

タトゥーをしていない人を

見つけることの方が大変なくらい、

ほとんどの人がその皮膚に

何らかのものを刻んでいます。

ワーキングホリデービザや留学などで

日本人が海外に滞在し、

文化の違いに刺激を受け、

タトゥーに興味を持った若者が

特に何も考えずに勢いで入れてしまう。

それはファッションでしかなく、

ファッション=流行なので、

流行は社会レベルから個人レベルまで

漏れなく衰退していく運命にあります。

そんな若者は日本に戻った後、

社会のコモンローの厳しさに気付き、

慌ててタトゥー除去に走ってしまう。

自分にとって本当に必要なものではなかったと、

後悔をすることになる。

自分にとって必要なもので、

信念や覚悟を持ってタトゥーを入れる人は、

当然何があっても除去などしないし、

社会のコモンローを素直に受け入れるものです。

決してファンデーションなどで隠すこともしない。

信念や覚悟とはそういうものではないだろうか。

 

井岡一翔選手にとって、

タトゥーは本当に必要なものだったのだろうか。