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Get Up And Go !

音楽を中心に、映画、文芸、スポーツ など・・・。

より高く! より深く! けれど優雅に・・・ 冗談も好きなんですけどね (*゚.゚)ゞ







渋谷陽一氏、死去。
7月14日。74歳で亡くなられた音楽評論家の渋谷陽一さんについて、少し書き残しておきたいと思います。

渋谷さんについては、自分の音楽史と重なる部分も多く思い出すことも多いので、簡単には語れないのですが。。。 "お前の自分史などどうでもいいよ" なんて方もいるでしょうが、良かったらお付き合いのほどを。

サングラス
渋谷陽一との出会いはラジオから発せられた声からです。1977年か78年頃、NHKラジオで放送されていた「若いこだま」というリクエスト番組においてです。後に「ヤングジョッキー」「サウンドストリート」と続いていくNHKの若者向け番組の最初のものです。

人気が出ると何かの音楽雑誌の お宅訪問 のようなコーナーで、渋谷さんの自宅が写真付きで紹介されていました。書斎と思われる部屋の棚にはびっしりとレコードが並び、机の上には宝物だという ちばてつや氏のサイン入りの、「あしたのジョー」の色紙が置かれていました。そこで親近感を覚えたんですね。

「あしたのジョー」は僕も好きだったのですが、約ひと回り上の渋谷さんたちの世代にとっては、連載されていた「少年マガジン」と共に特別な "存在" であったようです。大げさでなく生き方の指針のひとつとなっていたようです。60年代から70年代の、ロックがもっとも熱かった時代とリンクするということです。

僕は、学生運動が盛んな政治の季節、そしてロックに影響力のあったあの時代を生きた、渋谷さんの世代の方たちに対しては、当時 強い憧れを持っていました。「若いこだま」(だったはず)に、渋谷さんと同世代の村上龍氏がゲスト出演した時があり、その時の語りの熱さは記憶に強く残っています。村上龍氏は「限りなく透明に近いブルー」で、芥川賞を取った当時の時の人。学生運動の話や、リアルタイムで聴いたストーンズやビートルズの話で盛り上がっていたのを憶えています。

渋谷さんは1951年生まれ。同世代のアーティストたち、例えば忌野清志郎や浜田省吾 等のことは、評論家という立場を超えて応援していました。理論だけのひとではないんですね。やはり同世代の甲斐よしひろに対しては、なぜか辛辣で厳しかったのも憶えています(理由はわからない)。



Rockin’on 80年から85年までを並べてみました。薄いのですが、毎月読むのが楽しみでした。


渋谷さんの起ち上げた音楽雑誌 「ロッキング・オン」は、70年代末から読み始めました。それまではミーハー雑誌と揶揄されていた「ミュージック・ライフ」を読んでいたのですが、ロックを理論で語る「ロッキング・オン」に、新鮮さを感じたのだと思います。今でもたまに引っ張り出して読むのですが、当時は薄さにびっくり、文字の多さにびっくり、写真の多い「ミュージック・ライフ」との違いにびっくりの雑誌でした。渋谷さんにしてみたら、「日本にはまともなロック・ジャーナリズムがない」ということで始めたようですが、これはわかる気がします。

80年代、大学を卒業すると僕は音楽を売る仕事に就きましたが、周囲は「ロッキング・オン」を読んでいました。写真が増え厚さも増して、発行部数も右肩上がりで増えていった頃です。渋谷氏は起業家として成功をしたんですね。「まともなロックジャーナリズムがない」の狙いは当ったのだと思います。この辺を語る人は少ないので記しておきたいと思います。

本来なら最後はレッド・ツェッペリンですが、村上龍の出演回で「いい曲だよね」と2人で語った後にかけた曲、ビートルズの「I Saw Her Standing There」が印象に残っているので、この曲で最後を締めたいと思います。






「ワールドロックナウ」でたまに聴く渋谷さんの声はあの頃と殆ど変わらず、語り口も同じでした。まだまだロックを語って欲しかったです。

たくさんのロックを教えてくれた渋谷さんには、ただただ感謝です。