
セッションマン : ニッキー・ホプキンズ
ローリング・ストーンズに愛された男 (原題:Nicky Hopkins - The Sessionman)
(2023年 / イギリス)
● 監督:マイケル・トゥーリン
〇 ミック・ジャガー / キース・リチャード / ビル・ワイマン / ピーター・フランプトン / グリン・ジョンズ / ニルス・ロフグレン / P.P.アーノルド / モイラ・ホプキンズ 他
イギリス・ロック界の天才ピアニスト、ニッキー・ホプキンズのドキュメンタリー映画を観てきました。セッション・ピアニストとして、60年代から1994年に50歳で亡くなるまでの間に、250以上のアルバムに参加し、数々の名演を残した伝説のピアニストです。
ニッキー・ホプキンズについてをよく知らない人でも、そのピアノ演奏は一度は耳にしているはずです。14枚ものアルバムに参加したローリング・ストーンズを始め、ビートルズ、ザ・キンクス、ザ・フー の60年代イギリスの4大ロック・バンド。ビートルズ解散後のジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、ポール・マッカートニー。 他にジェフ・ベック・グループ、ジェファーソン・エアプレーン、ジョー・コッカー などなど。 日本人では浜田省吾の米録音アルバム『HOME BOUND』で、収録曲のすべてに参加していたことも思い出します。 名演と呼ばれる演奏がとても多いんですよね。
映画は、生前ニッキーと関わったアーティストや関係者のインタビューを中心に構成されています。映画で語られたこと。語られなかったことも含めて,少しだけ記事にしてみます。
ニッキー・ホプキンズは60年代初頭、ロンドンの王立音楽アカデミーで、本格的なクラシックを学んだピアノ演奏者です。それがロックン・ロールやブルースを演奏するバンドに参加し、ロックの世界に身を置くことになったんですね。仕事はすぐに増えることとなり、業界で名を知られる存在となっていきます。
有名なのは1967年が初参加となったローリング・ストーンズとの "共演" です。初めてニッキー・ホプキンスの演奏を聴いた時の衝撃を、キースとミックの二人ともが映画の中で回想しています。
THE ROLLING STONES / She's A Rainbow (1967)
ストーンズの曲の中では特異とも言える、モーツァルト風?のピアノがとりわけ印象に残る曲です。というより、ニッキー・ホプキンスのピアノこそがこの曲を名曲に押し上げたと言えるのかも。スウィンギン・ロンドン全盛の、カラフルなあの時代に連れて行ってくれるような曲です。
「ニッキーが演奏から抜けると、魔法が消える」とは、映画の中で語られていた言葉ですが、ニッキー・ホプキンスはこの曲に魔法をかけたのかもしれませんね。
THE BEATLES / Revolution (1968)
ニッキー・ホプキンスは、この曲に参加することによって、グランドスラムを達成しています。セッション・ピアニストとして既に引っ張りだこになっていたニッキーは、この曲で英国4大バンドのすべての曲に、自らの足跡を残したということです。
ブギウギ、ブルース、ロックン・ロール. . . . 。「どういった曲を演奏しても、そしてその演奏がどれだけ暴れていようが、ニッキーの音にはクラシックらしい正確さがあった」。 ニルス・ロフグレンはそういった内容のことを話していましたが、これはなるほどなぁと思いました。まだ始まったばかりのロックの歴史の中で、基礎のしっかりとした演奏は際立っていたのだと思います。
この曲でのニッキー・ホプキンスの起用は、ビートルズにとってはひとつの成功体験になったのではと想像します。外部ミュージシャンを、バンド演奏に加えることに躊躇がなくなったという意味で。
JOE COCKER / You're So Beautiful (1975)
ニッキー自身が、この曲を自らの演奏のベスト曲のひとつに挙げています。P.P.アーノルドは、ニッキー・ホプキンスのことを「人当たりが良くて、優しくて穏やかな青年」であったと回想しています。 ロックでもバラードでも何でもできてしまうニッキーですが、本質にあるのはバラード演奏だと思います。
酒焼けのダミ声歌手 ジョー・コッカーと、美しい旋律のピアニスト ニッキー・ホプキンス。 相反するようにも見える2つの個性が、優しさという共通項で溶け合った時、至高の美しさを持った名曲が生まれました。
Jealus Guy featuring NICKY HOPKINS
ニッキー・ホプキンスが、セッション・ミュージシャンという、才能には見合わない日銭を稼ぐような仕事を選んだのは、若い時からクローン病という難病を患っていたことが大きな問題となって立ちはだかっていたからです。パーマネントなバンドメンバーとなって、世界中をツアーすることは過酷であったということです。
それでも体調の良い時期はツアーもしたようですが、いわゆる酒とドラッグにまみれたロックン・ロール・ライフは、痩身で病弱の優男、ニッキー・ホプキンスには相応しくはない生活スタイルであったということです。チック・コリアにリハビリ施設を紹介してもらい、療養生活も経験しています。
晩年のニッキー・ホプキンスにとっては、2回目の結婚で妻となったモイラ・ホプキンズと、穏やかな結婚生活を送ったことが何よりもの幸せであったはずです。そのモイラさんは、「ニッキーは自分がショパンの生まれ変わりだと信じていた。いつもショパンを弾いていた」と語っていました。
病弱な音楽家ショパンと自分を重ね合わせていたのかもしれません。
