デヴィッド・リンドレー | Get Up And Go !

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3月3日、デヴィッド・リンドレーさんが亡くなりました。数ヶ月前から体調を崩していたそうですが、死因は公表されていません。78歳。 著名なアーティストが次々と亡くなっていき、やはり寂しく残念な気持ちです。

デヴィッド・リンドレーは、ギタリストと呼ぶよりも様々な弦楽器を駆使するマルチ・プレイヤーと言ったほうが良いのかもしれません。アコースティック・ギター、エレキ・ギターの他に、バンジョー、ラップ・スティール、フィドル、などの楽器も演奏します。ゆえに演奏者としては引っ張りだこなわけで、ジャクソン・ブラウンをはじめ、ボブ・ディランやライ・クーダー、ブルース・スプリングスティーンなど、多くのアメリカン・ミュージックの録音やライヴの現場で演奏してきました。

その中でも何といってもジャクソン・ブラウンのバンドのギタリストとして、数多くの名演を残しています。僕がジャクソン・ブラウンのライヴに行くようになった、80年代以降の何回かのライヴの中では、リンドレーが参加したものがないのが残念なのですが。

デヴィッド・リンドレーの思い出
1995年8月にライ・クーダーと共に行った、中野サンプラザ・ホールでの来日公演には行くことができました。途中、それぞれの息子さん娘さんである、ヨアキム・クーダーとロザンヌ・リンドレーが加わっての 「FAMILY LIVE」と題されたライヴでしたが、ライ・クダーとデヴィッド・リンドレー2人だけの演奏が中心のアコースティック・ライヴでした。あれは初めて体験する形のライヴでしたね。

ふたりはステージ前方に用意された椅子に座って演奏したのですが、驚いたのは2人の後ろに並べられたギターの数々。ギターと呼んでいいいのかわからない変わった形のものもありました。それを曲ごとに持ちかえて演奏するんですね。

変わった形状のギター、変わった音色のギター。 なまじギターを弾くことの出来る僕のような人間は、曲ごとに立ち止まって「あれはギターというより民族楽器だろ、響きが少し違うのはチューニングのせいか、いったいどんなチューニングなんだ」 などなど考えてしまい、情報を処理するのと音楽の感動とが入り混じったライヴであったのを憶えています。 ギターのことを知らない人間のほうが音楽そのものを堪能できたのではないかな、と今は考えます。

会場から 「バケモノ!」と声がかかり、それにリンドレーが笑顔で応えていたのも思い出します (リンドレーのソロアルバムの邦題 "化けもの" を付けたのはリンドレー自身)。

ライ・クーダーもそうですが、ふたりは欧米のポピュラー・ミュージックだけでなく、エスニック音楽にも光を当てた世界遺産のようなギタリストなんですよね。





JACKSON BROWNE with DAVID LINDLEY
アメリカが生んだ最高のソングライター、ジャクソン・ブラウンの70年代のアルバムはすべて名盤です。 その名盤の、ファースト・アルバムを除く5枚のアルバムにデヴィット・リンドレーは参加しています。

2nd アルバムでジャクソンは、何でも出来てしまうリンドレーを、重宝な存在として考えていたようですが、それが70年代が終わるころには彼のアルバム、ライヴには必要不可欠な存在になっていったんですね。良き音楽仲間というより盟友といってもよい存在であったと思います。

名盤『HOLD OUT』 の中に、アルバム中では最も感動的な曲 「Call It A Loan」 という、ふたりの共作ナンバーがあります。 ジャクソンの愁いある歌声の傍らには、いつも寄り添うようにデヴィッドの演奏する音がありました。もしデヴィッド・リンドレーがいなかったなら、ジャクソン・ブラウンの音楽の色は少し違ったものになっていたはずです。










.David Perry Lindley
.Mar.21 1944 - Mar.3 2023