
今回の記事は、音楽と映画を中心に活動をしてきた僕自身の個人史です。しかも長い。 興味のない方は 「いいね」 などせずにスルーを。 尚、記事タイトルの 「ヤン・ホサカの音楽漂流記」 は、2011年に始めた旧ブログ時代のタイトルです。 ここで復活させてみました。
先日、オープンしたばかりの渋谷スクランブルスクエア / SKY STAGE に遊びに行き、地上に降りてきた後の午後、久しぶりに渋谷の宇田川町界隈をふらついてきました。 久しぶりと言ってももう10年ぶりぐらいか。
渋谷にはたまに行くとは言え、あの地域はあまりに思い出深いため、入り込むのは避けてきました。 1987年 から 92年までの6年弱、勤め先が宇田川町にあったため、毎日通っていた場所です。

宇田川町 udagawa style より
宇田川町と言うのは、繁華街としての渋谷を代表する地域です。 有名な渋谷駅前スクランブル交差点を端とし、そこから商業施設の集まったセンター街が街を貫き、街の中心には井の頭通りが走るその周辺地域のこと。 行ったことのある方は、人で溢れた街並みがすぐに頭に浮かぶと思います。 現在は暗渠となり流れは見えませんが、地域を流れる宇田川という川の名前が町名の由来です。
誰にでも人生の中で "いい時代" というのがたいていあるでしょ。 僕にとっては "宇田川町時代" がそれにあたります。 そのわずか6年間で、音楽も映画も多くのことを吸収して、自分の中に蓄積された時代なんですよね。 端的に言うと、当時の渋谷区宇田川町が "音楽と映画の街" であったからです。とりわけ音楽。 音楽産業がアナログからデジタルへと大きな変革期にあったあの時代に、音楽の発信地であった宇田川町にいて、その先端の仕事に就いていたことはとても幸運なことであったと思っています。
音楽産業の衰退で現在は店数が激減してしまいましたが、あの時代 宇田川町には輸入レコード/CD 店がひしめいていました。 手元に残る、「レコードマップ 91年版」 を見ると、大小合わせて渋谷全体で32、宇田川町だけでも17のレコード店があったことがわかります。その多くが輸入盤 / 中古盤を扱っていた店です。 この本には載っていない小さな店もあったので、それを含めると相当の数です。そして90年代のCDバブルの時代になっても、宇田川町はアナログレコード店が頑張っている地域でした。

現在の宇田川町。 僕の勤めていた会社近くです。
音楽の街・宇田川文化の中心に構えていたのが、あの時代には宇田川町にあったタワーレコードです。 そして西武ロフト館にあった 渋谷WAVE です(90年にはHMV も宇田川町に進出)。 集客力のあった2つの店の周辺に、数多くの輸入盤・中古盤店がひしめいたいたんですね。
タワーレコードの向かいには、通称シスコ坂という小さな坂があり、その坂の途中にあった CISCO も、当時の洋楽ファンにとっては大きな役割を果たしていました。 あの時代、センター街を歩けば、タワーの黄色い袋、WAVE のグレーの袋、そしてCISCO の青い袋を抱えた人間を必ずと言っていいほど見ることが出来ました。

ネット上で一枚だけ見つけた、宇田川町時代のタワーレコード。黄色い看板。80年代初頭と思われる。

現在のシスコ坂。 階段手前の右側ビルに CISCO はありました (2007年 閉店)。
僕は、タワーレコードの裏手の路地にあった、カージナルスという今はもうないレコード / CD を専門に扱う輸入会社に勤めていました。宇田川町の店だけでなく全国規模で商品を卸していましたが、その地に会社を構えたのは、情報の集積された地域であったからでしょう。 ネットなどない時代ですからね。
海外の業者からファックスやテレックスで送信されてくる新譜の情報を、日本語に訳してインフォメーションを作成し、それを全国の輸入盤店に流して注文を集め海外に発注。 輸入した商品を各店に発送する。そんな仕事内容です。 だから情報としては店の新譜情報より早かったわけで、そこで先端にいるという優越感に浸れたわけです。もちろん、ライバルとなる輸入業者は他にいくつもあったわけで、そこがまた厳しくも面白い仕事であったのです。

現在、シスコ坂に店をかまえる FACE RECORDS (かつてのイエローポップ跡地)。

部屋を探したら、WAVE と CISCO のレコード袋が出てきました。 自分でも物持ちの良さに驚きますが、断捨離なんかしませんよ。 全部あの世まで持っていきます。(ノ゚ο゚)ノ
いつの時代も鼻の利く奴というのは必ずいるもので、当時仲間と会社を立ち上げたばかりの AVEX の松浦氏が、何度か会社の事務所兼倉庫にやってきたことがあります。 AVEX にはヨーロッパのダンスミュージュクのCD、12インチシングルなどを卸していたのですが、彼は直接やってきて在庫をあさっていました。 そして、そんなことOKするはずもないのに、海外からの情報FAXをそのまま見せてくれ、と。 彼はダンス・ミュージックのマニアで、無名のアーティストであっても、日本では売れそうなものを探していたようです。
海外アーティストの新譜を一日でも早く! いや一時間でも他店より早く店頭に並べたい。商売としては当然そう考えるでしょう。 宇田川町にあった会社近くの取引店には、台車にレコードやCDを積んで納品しましたよ。 渋谷WAVE なんか、センター街を台車をゴロゴロと転がして運びました。 入荷をするとすぐに持っていくわけです。 これがすごく重い! 一日早く聴くことにどれだけの価値があるのかわかりませんが、音楽ファンとはそういうものなのです。

ソウル、ラップ、ディスコなど、ブラック・ミュージック全般を扱っていたマンハッタン・レコーズ (現在も健在) は、91年に宇田川町、シスコ坂近くに移転。 宇田川町はヒップホップ・ブームによって B-BOYたちで溢れることに。
会社近くに Liverpool という、ビートルズのアナログや中古のヴィンテージもの、その他 DJ御用達のダンス系の12インチを置いていた店があったのですが、ここの店主は変人でした。 だいたい個人経営のレコード店の店主は変人が多いのですが、この方は特別でしたね。
商品納品のさい、講釈されたことが何度かありました。 よく憶えているのは「CD の音がいかにダメで、アナログレコードの音がいかに優れているか」 を、店内の聴き比べ実演で聴かされたこと。タメになる話であっても、それが長い! 早く戻りたいのに。 そして怒られているみたいな説教口調。 客にもいろいろと説教調講釈を垂れていたのが驚きです。 因みにこの店はカップル入店禁止でした。「貼り紙が見えないのか!」 と怒られている客もいました。すいません、変わった店主のエピソードは山ほどありますが、それはまた 「変わった店主特集」 で記事にしますかね。( °д°)

現在のシスコ坂近く。 店数は激減しましたが、宇田川文化の名残を感じます。

宇田川交番とその先の中華料理店 "兆楽" 。 30年前と変わらない風景です。
ところで、あの時代の渋谷・宇田川町は映画の街でもありました。80年代後半から、渋谷発のカルチャーとしてミニシアターがブームとなっていったんですね。作家性、芸術性、ファッション性、そして社会性に着目した、大手では扱わない優れた映画が上映されました。
その先鋭性を象徴し先駆けでもあったのが、スペイン坂上にあった「シネマライズ」というミニシアターです。 当時おつき合いしていた女性が映画好きであったこともあり、仕事の帰りによく行きました。 何と言っても忘れられないのが、89年にその「シネマライズ」 で観た 『バグダッド・カフェ』 です。
JEVETTA STEELE / Calling you
現在もあの頃も、渋谷・宇田川町は人で溢れ、表面的には変わらないように見えます。 今、渋谷で遊んでいる若い人たちは、それぞれの人にとっての渋谷を作ればいいのでしょう。
僕にとっての渋谷は、あの時代で止まったままです。 それでかまわないのです。 『バグダッド・カフェ』の独特の色彩は、僕にとっての渋谷黄金時代、”音楽と映画の街" 、そして "いい時代" であった頃の記憶を彩っています。
