ジェフ・エメリック | Get Up And Go !

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ビートルズのレコーディング・エンジニアとして知られるジェフ・エメリック氏が、10月2日に亡くなりました。 死因は心臓発作であったそうです。 72歳。

ビートルズの他には、ポール・マッカートニー、バッド・フィンガー、エルヴィス・コステロ、ジェフ・ベック、チープ・トリック 等のアルバムにも、エンジニア あるいはプロデュサーとして参加し、グラミー賞のベスト・エンジニア部門の受賞をしているエンジニアです。


またひとり、ビートルズの現場にいた奇跡の作品群の生き証人がこの世を去りました。 いや、生き証人と言うより、ビートルズのメンバー4人やプロデュサーのジョージ・マーチンと共に、それらの作品を作り上げた当事者のひとりと言った方が良いかも。 ビートルズの作品に深く関わった人のひとりです。

奇しくも10月は、ビートルズとジェフ・エメリックの最後の仕事となった 『アビー・ロード』 が、日本とアメリカで発売された月に当たります。(英国オリジナル: 1969年9月26日発売)






1962年、ジェフ・エメリックはEMIスタジオ (アビー・ロード・スタジオ) で、アシスタント・エンジニアとして働き始めるとすぐに、ビートルズの録音に関わることとなります。 この時はまだ16歳です。

しかしこの時はあくまでアシスタント。 エンジニアにはノーマン・スミスというベテランのエンジニアがいたわけですが、そのノーマン・スミスがプロデューサーに昇進しビートルズ担当を外れることとなったため、66年にビートルズのエンジニアに大抜擢となったとのこと。 これは抜けた穴に対する会社としての措置だったわけですが、メンバーの中では最もジェフと親密であったポール・マッカートニーの働きかけがあったと言われています。この時若干19歳。

ポール・マッカートニーはビートルズ初期の頃から、他のメンバーよりもとりわけ、曲のサウンド作りの面にも興味を持っていたので、ジョージ・マーティンやノーマン・スミスの仕事にも興味を持ち、また まだアシスタントであったジェフとも積極的に関わっていたということが想像できます。

ジェフ・エメリックの、ビートルズのエンジニアとしての最初の仕事が、ビートルズの革新的な曲作りの始まりともなったアルバム 『リボルバー』 です。そしてセッション中、最初に録音されたのが 「トゥモロウ・ネバー・ノウズ」 です。 結果から言うと、メンバーたちの 「お手並み拝見」 の大きなプレッシャーのかかる中で、最初に大仕事をやってのけてしまったわけですね。







エンジニアの主たる仕事は、簡単に言うと音響機器を調整して、曲をアーティストの要求するサウンドに仕上げることです。 一般には 「ミキサー」 とも呼ばれています。 専門性の高い仕事です。

ポール・マッカートニーの場合は、「ここはギターを前面に出して」 とか 「ここの高音部は管楽器を前に出して」 とか、具体的な要求であったのに対し、ジョン・レノンの場合は色とか匂いとか雰囲気とかで音を表現する抽象的なもの。

ジョンが 「トゥモロウ・ネバー・ノウズ」 で出した要求は、「向こうの山のてっぺんからダライ・ラマが歌っているような感じにしてほしい」。 この要求を受けたジョージ・マーティンがジェフ・エメリックに伝え作り上げたのが、あのワンコードの曲でドラムをループさせテープの回転を調整し、タンブラーの 「ぎょい~ん」 と言う催眠効果音と、地の底から響くカモメの鳴き声のようなSEを加え、そこにハモンドの回転スピーカーを通したジョン・レノンの声がお経のように響く、どこを切ってもサイケデリックなナンバー。

この音を聴いたジョン・レノンは 「こいつはすごい!」 を繰り返し、それまでほとんど無視していたジェフ・エメリックに質問攻め。『リボルバー』 最初の録音で、ジョンからの 「オレたちのジェフリー」 というお墨付きを貰ったジェフは、最後のアルバム『アビー・ロード』 までビートルズと共に仕事を続けることとなります。


才能は最初からあったのでしょう。 いや、ビートルズという巨大な才能がジェフ・エメリックの才能を引き出したのか。 私たちにとっても幸福な出会いであったことには間違いないですね。




THE BEATLES / Tomorrow Never Knows (1966)


最後に、ポール・マッカートニーが公式サイトに寄せた追悼コメントの最後の部分をそのまま.。

I’ll always remember him with great fondness and I know his work will be long remembered by connoisseurs of sound.

Lots of love Geoff, it was a privilege to know you.

Love
Paul


僕は彼のことをいつだって深い愛情と共に思い出すだろうし、彼の仕事が音楽通の人たちの記憶に長く留まるだろうということを、僕は知っているよ。

ジェフ、たくさんの愛を込めて、君と知り合えて光栄だった。

ポール