ジェームス・ディーンのように | Get Up And Go !

Get Up And Go !

音楽を中心に、映画、文芸、スポーツ など・・・。

より高く! より深く! けれど優雅に・・・ 冗談も好きなんですけどね (*゚.゚)ゞ










今年観た映画のひとつ 『ラ・ラ・ランド』 の劇中で、主人公ふたりが 『理由なき反抗』 を観ている場面があって、ふたりはさらにグリフィス天文台という 『理由なき反抗』 のロケ地となった場所を訪ねるのです。 あの場面は観終わったあともずっと残っていて、結局 『理由なき反抗』 に呼びこまれてしまったのです。

ゴールデン・ウィーク期間中、池袋の新文芸坐という名画座で 「ワーナー・ブラザース・シネマ・フェスティバル」 という特集上映が10日間ほどで行われ、その中でジェームス・ディーン主演作品2本立ての日がありました。 上映されたのは 『理由なき反抗』 と 『エデンの東』 でした。

70年代、テレビ放映時に観たのが最初で、その後何度かビデオでも見ていますが、どうしてもスクリーンの大画面でジェームス・ディーンの魅力に浸りたくなってしまったんですね。 そしてあらためて、ジェームス・ディーンの魅力そのものによって成り立っている映画なんだな、と確認する結果となったのです。


ジェームス・ディーンのように
「ジェームス・ディーンのように」。 昔そういうヒット曲がありましたよね。 「ジェームス・ディーンみたいな女の子」 という、洒落たタイトルの曲もありました。 おそらく青春ポップス、青春歌謡の類の歌詞を探せば "ジェームス・ディーン" という言葉はいくつも出てくると思います。 ティーン・エイジャーの苛立ちや孤独感を、青春ストーリーとして描くさいのひとつの象徴と言うか、記号のひとつと言えるのかも。

そしてよく使われる表現として "○○界のジェームス・ディーン" という表現があります。 例えば日本でよく知られているのは "和製ジェームス・ディーン” 赤木圭一郎。 僕の母の世代の映画スターです。 日活のアクション俳優ですね。 母の世代は娯楽と言えば映画の時代。 「赤木圭一郎ってどうだったの?」 と聞いたことがあるのですが、「まあまあね」 とのことでした。 因みに彼女は石原裕次郎の熱狂的なファンでしたが。

1961年、撮影所でゴーカートを運転しての激突死、21歳だったそうです。 カーマニアだったようで、ジェームス・ディーンと重なりますよね。






日本人でもうひとり、ボクシング界のジェームス・ディーン 大場政夫。 この人は少年時代のヒーローのひとりでした。 映画スターではないのですが、顔立ちは端正でした。 特にチャンピオンとなってから最後のほうは、キリっとした表情の中に余裕の笑みも見られて、カッコ良かったですね。

生き様は壮絶という言葉がピッタリと当てはまるひとです。 文字通り貧しさの中から這い上がったハングリー・ボクサーなのですが、その一気に燃え上がるようなファイト・スタイルが生き様そのものを表わしているようで、あの試合を思い出すと今でも熱いものがこみ上げてきます。 以前詳しく記事にしたので、興味のある方はそちらを。

『永遠のチャンピオン』

1973年1月25日、3週間ほど前に逆転KOで5度目の防衛を果たしたばかりの大場は、首都高速5号線でカーブを曲がり切れずに中央分離帯を乗りこえ対向車のトラックと正面衝突。 愛車のシボレー・コルベットと共にチャンピオン・ベルトを巻いたままあの世へと旅立ちました。23歳でした。





リバー・フェニックス は、ジェームス・ディーンの再来といわれていたひとりです。 亡くなったのは1993年、享年23歳でした。 薬物の過剰摂取であったそうです。恵まれた容姿と感性豊かな演技で、ハリウッドでもっとも期待されていた若手俳優であったのに、なぜ薬物なんかに・・・

そのあたりは一般人にはわかりにくいことですが、よく言われるのは現実からの逃避です。役作りの悩み。 対人関係。 スターともなれば、動く金の額は桁外れ。 プレッシャーからくるストレスは想像を絶するものなのでしょう。 そして金の匂いを嗅ぎつけて売人が集まってくる。

発作にもがき苦しみながら絶命したフェニックスの顔に、美しく凛々しい青年の面影はなかったそうです。






映画館のスクリーンで観たジェームス・ディーンはやはり魅力的な俳優でした。独特な物憂げな表情。 上目遣い。 漂う孤独感。 これまで多くの新進スターたちが 「ジェームス・ディーンの再来」 と呼ばれてきたのは、永遠の青春スターであるジェームス・ディーンの人気が衰えていないからでしょう。 当日の映画館には、オールド・ファンに混じり若い女性客も見られました。

『理由なき反抗』 でジミーが着ている赤いジャケット。 僕の年代でも憧れはありました。 実は80年代初頭に少しだけ流行った時期があり、恥ずかしながら僕も似たような赤いジャンパーを買って着ていたことがあります。オリジナルのメーカーではなく、おそらく復刻版だと思うのですが。スウィングトップですね。 それにリーヴァイスかLEEのデニムを組み合わせるわけです。 あれは永遠の青春スター・スタイルですかね。

もちろん誰でもが似合うわけではなく、顔立ち、髪形、体型によってなわけです。 早逝した天才の誰もがジェームス・ディーンに例えられるわけではなく、ぽっちゃり顔では 「ジミーの再来」と言うのはキツイですよね。




有名なチキンゲームのシーン。 レースの始まりを告げるナタリー・ウッドの両側を全速で走り抜ける2台の車両。名場面です。


ジェームス・ディーンの孤独感漂う演技は、不幸であった家庭環境から来ていると言われています。 父から愛されず、深い愛情を注いでくれた母を9歳で亡くし、その後は伯母によって引き取られ。

ジェームス・ディーンが孤独で内面の問題を多く抱えていたことは、共演者によっても証言されていますが、『エデンの東』 にしても 『理由なき反抗』 にしても、映画を監督したものは彼の内面の問題を映画という作品の中に生かしたとも言えるわけですね。

1955年9月30日。スピード狂として知られていたジェームス・ディーンは、愛車ポルシェ・550スパイダーを運転中に衝突事故によって亡くなっています。24歳でした。







以下はディーン本人の言葉


永遠に生きるつもりで夢を抱き、今日死ぬつもりで生きよ

Dream as if you'll live forever. Live as if you'll die today.