
世間の "浜田省吾という熱" の中で、日本のロック史の中では特殊な位置にいたこのバンドについてもどこかに記しておく必要があるのでは、と思い立ち今回は。。。
1979年は甲斐バンドとってドラマチックな年となりました。 大晦日0時の時報、年が明けたと同時に 「HERO」 という曲が、テレビCMのタイアップ曲として民放各局で一斉に流れ、文字通りのヒーローへと駆け上がってゆくことになります。
あのCMは確かにインパクトがありました。2月には、グループにとって初のヒットチャート1位に到達しています。 あの時代は、フォークやニュー・ミュージックという括りで語られていたアーティストたちは、テレビ出演を拒否する人が多かったのですが、甲斐バンドもそのひとつです。 それでもデビューして数年は、たまに出ていた記憶もあるのですが・・・。
当時人気のあったテレビの歌番組 『ザ・ベストテン』 には一度だけ出演しています。 局側は何度も甲斐バンド側に出向き出演を依頼し、やっとのことであったそうです。 甲斐よしひろにしてみたら、「出演させてやる」 的なテレビ局の傲慢な態度には鬱積したものがあったようで、それによって 「だったら局のスタジオじゃなくて、あんたらが俺たちの演奏場所に来て中継したら」 ってことになったわけです。
痛快な話ですよね。 あの時、雑誌などには 「反逆児」 のように書かれていたのを記憶しています。
甲斐バンド / HERO (ヒーローになる時、それは今)
甲斐よしひろ担当のラジオ番組でも、後に放送されたスタジオ・ライヴです。
日本のロックの創始期においては、ロックの本場であるアメリカ・イギリスから頂いたものを土台にして作品を作っていくというのは、当然とも言えるものでした。 多くのバンドが、日本的なある種の "いなたさ" を排除しながら作品を作っていったわけですが、甲斐バンドは英米のロックからの影響を受けながらも、その日本的な "いなたさ" を排除せすに、むしろそれを全面に出すようにして、バンドとしてのアイデンティティを築き上げていったバンドです。
歌謡曲どころか、演歌のメンタリティさえ感じる彼らの音楽は、リーダーでほとんどの曲を書いている甲斐よしひろの資質からくるものです。 当時は甲斐バンドを聴いていると、「あんなもんロックじゃねぇ」 とか 「ダサい」 といったことを言われた記憶があります。
どこにも属さないそういった状況から「孤高のロック・バンド」 と言われ、それが当時 信者とも言えるほどの熱狂的ファンを生み出した大きな要因であったように思います。 「反逆児」 のような書かれ方をされたことによって、さらにファンの熱狂度が高まっていくのを、当時肌で感じたのを憶えています。
「HERO」 が1位となった後の3月、幸運にも甲斐バンドのライヴに行くことが出来たました。 クラスメイトに "信者" レベルで熱狂的なファンがいて誘ってくれたのです。 トップに立ってからの最初の東京でのコンサートは、ある意味 凱旋のような雰囲気でした。 上昇気流に乗っているアーティストの、言葉では表現できない輝きといったものは感じましたね。 あの時、甲斐と仲の良かった吉田拓郎が、自分のラジオ番組で 「今 もっともスリリングなバンド」 と言って、甲斐バンドの曲をかけていましたからね (あの方はあまり人を誉めない)。
甲斐バンドのライヴはその時が初めてでした。 中学・高校時代と、英米のロックバンドのコンサートにはすでに何度も行ってましたが、日本のロックのライヴはこの時が初めてだったはず。 わかりやすくて近い存在であるがゆえのファンの思い入れ、というのもあるんだなぁ、とこのとき知ったように思います。彼等の曲に 「熱狂(ステージ)」 という曲がありますが、まさにそういったライヴでしたね。
それから、会場には栗本 薫氏や亀和田 武氏も来ていたというのを後に知ったのですが、"日本のロック" という村社会からは無視されても、作家、物書きといった人たちには彼等を支持するものもいたのです (村上 龍なんかもそう)。 あの頃の甲斐バンド(特に初期) の特殊性をあらわす現象のひとつです。 その "特殊性" については長くなるのでいずれまた。
甲斐バンド / 最後の夜汽車
10月にベースの長岡和弘が脱退。長岡参加時の録音によるメモリアル・シングルです(3月の新宿厚生年金会館でのライヴ音源)。 この曲、確かにストーンズのあのバラードに似てはいます。 けれど、それを日本的な情緒で包んでいるのが甲斐バンドの音楽です。
1979年は、甲斐バンドにとっての栄光の日々への始まりとなった年です。
"For Lonely Heroines & Broken Heroes" 。 「ひとりぼっちのヒロインと、夢破れたヒーローたちへ」。 甲斐バンドはそれまで自らの音楽をそのように語っていました。
そんな "さんざめく街の底" にいた彼女・彼たちが、"駆け上がるヒーローたち" から置き去りにされたと感じ、離れていった。そのようなファンもいたことを、つけ加えておかなければならないでしょう。