ジミー、ロリーを語る | Get Up And Go !

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先日、日本でも劇場で限定公開されたレッド・ツェッペリンの再結成ライヴ 『祭典の日』 をご覧になった方は多いのではないかと思います。作品公開に合わせて、ロンドンではメンバー3人揃っての記者会見も行われました。会見全文がロッキンオン(2012年12月号) に掲載されていますが、 今回はそこで、ジミー・ペイジがロリー・ギャラガーについて語った部分だけを抜粋して記事にしてみたいと思います。


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メンバーが再結成の経緯や、あの夜のライヴについて、あるいは70年代の思い出などを語っていると、その流れに関係なくアイルランド人の記者がジミー・ペイジに質問します。

● 72年の音楽誌の投票であなたに勝ったブルーズ・ギタリスト、故ロリー・ギャラガーについてどう評価していますか?
ジミー 「ロリーのことは好きだったよ。 実は彼と直に対面したこともあるんだ。 奇遇にもずっと昔にマネージメント・オフィスでだったんだけど、彼はピーター・グラント(ツェッペリンのマネジャー)に会いに来ていて、僕も受け付けエリアで出会って長いあいだ楽しい会話を交わしたよ。 彼はほんとにいいヤツだったよね。 それに素晴らしいギタリストであり、シンガーでもあった。 彼が今でもコーク (ロリーが育ったアイルランドの港町) で愛されているのは知っているよ。

この質問、会見全体からみるとかなり唐突。 本来ならひんしゅくものです。 アイルランド人記者からすると、 "俺たちの誇り、ロリー" についてどう思っているのか聞きたかったのでしょう。 そしてあの当時のロックをよく知る記者であるならば、身を乗り出したはずです。 ジミー・ペイジにとっては失礼な質問とも言えるのに、ジミーも誠実にこたえています。よくぞ聞いた! よくぞ答えた! といったところでしょうか。



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ジミーの語った内容については、嘘はないような気がします。 あの時代のロック・ギタリストたちは、クラプトンにしろベックにしろ、皆ブルーズやロックンロールを根っこに持っています。 互いの好きなアーチストについて語り合い、盛り上がったのは想像に難くありません。

若き日のジミーとロリー。 ふたりとも美青年ギタリストでした。 そして顔立ちが似ているのです。 ロリー・ギャラガーにはジミー・ペイジのような華はなかったけれど、その音楽には情熱があふれていました。 2人が会話する周囲には、尋常ではないオーラが漂っていたのではないでしょうか。

会見では、「ピーター・グラントに会いに来ていた」 と言っていますが、当時ピーター・グラントはロリーのマネージメントを申し出ていたと言われているので、それが裏付けられたような内容です。 自分の売り方に関しては不器用なところもあったロリー・ギャラガーなので、ピーター・グラントがもしロリーをマネージメントしていたら、アメリカでの展開はもう少し違っていたかもしれません。



LIVE IN CORK 1987
ロリー・ギャラガーは、1948年アイルランドのバリシャーノンで生まれ、コークで育っています。 コークはダブリンに次ぐアイルランド第2の都市で、人口は20万人に満たない港町。 アメリカに移民として渡った多くのアイルランド人たちは、このコークから渡ったのだそうです。

アメリカ映画で描かれるステレオ・タイプのアイルランド系移民は、陽気、質実、そしてケンカが強い・・・ そんなイメージです。 ロリーのケンカについてのエピソードは聞いたことがないのですが、質実な人柄については多くのアーチストが証言しています。 ジミー・ペイジが言うように 「ほんとにいいヤツ」 だったのでしょう。

1995年、ロリー・ギャラガーが亡くなった際、同じアイリッシュであるU2のボノが出したコメントが特に印象に残っています。 「ロリーは世界で10指に入るギタリストであったが、人間的にも10指に入る人であった」。 そんな内容でした。




RORY GALLAGHER / Loanshark Blues
(Live At The Cork Opera House 1987)