
1943年 テキサス州ポートアーサーで生まれ、67年のモンタレーで一夜にしてスターに。 そして1970年10月4日、27歳の若さで突然この世を去ってしまった伝説のシンガー。
・・・・・ ジャニス・ジョプリン
久しぶりに映画 『JANIS』 を観たけど、やっぱり 「凄い!」 と唸ってしまう。
女性シンガーはいろいろと好きな人もいて、例えば80年代からずっとファンであるシンディ・ローパー。 彼女はソロ・デビュー以前のバンド時代に 「ジャニスみたいだ」 と言われていたらしい。 それから 映画 『ローズ』 でジャニスらしき人を演じたベット・ミドラーという人もいる。 日本人だとカルメン・マキや、"下北沢のジャニス" なんて呼ばれた金子マリとか (昔のひとばかりでごめんなさい m(_ _ )m)。
近年のひとでは、ジョス・ストーンなんか素晴らしいと思う。 アデルも好きだ。 でも生き様という意味でジャニスに近いのは、エイミー・ワインハウスかも知れない。
ジャニス・ジョプリンを越えるひとっていまだにいないでしょ。テクニックだけをとれば、いるかもしれない。 アレサ・ジョプリンなんて言われるほどに高く評価されているジョス・ストーン。 先人たちの技術を総決算したような表現力は驚異的とも言える。
歌手って楽器演奏者と違い、声を使って表現するひと。 生身であるから最もストレートに自分の中の何ものかを出すことができる。 ジャニスほど、自分の中にあるすべてを歌にぶつけたひとっていないんじゃないかなぁ。 それは "表現力" なんていうありきたりな言葉では足りない。 だから心の奥底の魂の部分にまで訴えかけてくるんじゃないのかな。

テキサス州のポートアーサーという町で生まれたジャニスの少女時代は、とても明るい青春であったとは言えないらしい。 「卒業したら結婚して、あとは口をつぐんで生きる。私にはそんな生き方はできない」 と考えていたジャニスが、保守的な町で "変わり者" 扱いされてしまうのは当然とも言える。 心の中では 「愛されたい」 と願いながらも、けっして受け入れられることはなかった故郷。 疎外感はジャニスをサンフランシスコへと押し出し、抑圧はジャニスを解放へと導くための力にもなった。 そして時代も後押しをしたのだろう。
歌い始めた当初は、フォーク・ブルースのスタイルでベッシー・スミスのナンバーなどを歌っていたというけれど、その生き様から何かとブルースと結び付けられることの多いジャニス。 「白人である彼女にとってのブルースは、社会から疎外されているという孤独感からくるものなのだろう」。 現在ではそういった分析をする人は多いけれど、これは当たっているような気がする。 ブルースを抱えて生きているのは黒人ばかりでなないということなのだろう。

「歌うことができた。 驚きだった」
映画 『JANIS』 の中で、ジャニスはそんな風にも言っている。 「私は歌手になったのじゃない。 歌手だったの。 他に道がなかった」。
ひとは必ず何かを持って生まれてくるものだと思う。、彼女にとってはそれが歌であったということ。 それを見つけることが出来たということ。 そしてどこからか授かったその歌をもって、自分の生を生き切ったということ。 ジャニスの人生を語るには、ホントはこれだけで十分なのじゃないかな。
「生き切ったと言うけれど、彼女の死はドラッグによる事故死だったんだろう」 なんて言うひともいるかも知れない。 遺作となったアルバム 『パール』 を聴けば、「その次のアルバムも聴いてみたかった」 という欲求も確かに湧いてくる。 それでもあえて言いたいのは、彼女の死は必然であったということだ。 あんなにも激しく燃焼しながら歌う姿からは、とてもその先の "生" など想像できないからだ。
ジャニスとともに、60年代を象徴する女性であったグレース・スリックという美貌のシンガーがいるけれど、僕はジャニスの子供のような無垢な笑顔のほうにより魅力を感じる。 いつもけたたましい笑い声をあげていたという彼女だけれど、この笑顔がとても好きだ。
「私は、自分の心の声に誠実であろうとしただけ・・・」
ジャニス・ジョプリンだからこそ、得ることの出来た笑顔なのだと思う。
Little Girl Blue。。 ジャニスの肖像画のようにも思える・・・
Happy Birthday ! Mayu-san
May all your dreams come true on this wonderful day !
Motto, Motto, ueni. i keruyo !
Dec.2 2014
From;. Yang Hosaka
