Tokyo City は風だらけ | Get Up And Go !

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より高く! より深く! けれど優雅に・・・ 冗談も好きなんですけどね (*゚.゚)ゞ






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ARBについては、3年ほど前の前ブログ時代に記事にはしていますが、すでに消失してしまった為、その記事の記憶を辿りながら、さらに加筆して記事にしたいと思います。

ARBは長い歴史を持つバンドなので、それぞれの時代の音楽のファンがいるであろうし、どの時代がベストであるかというのは難しいのですが、私自身は再結成(再始動)後のARBについては詳しくないため、デビューから解散(1990) までの期間の、その中でも初期のARBについて今回は記事にしたいと思います。




BOYS & GIRLS


ARBは、1978年に元リンドンの田中一郎を中心にして結成。1979年にシングル 『野良犬』 でデビューしています。 メンバーチェンジの後、石橋凌(Vo)、田中一郎(Gu)、野中 "SANZI" 良浩(Bass)、KEITH (Dr)、の4人に固まり録音された2nd・アルバム 『BAD NEWS』 (1980) 以降 数年のライヴを、ARBの歴史の中でも最高のライヴあったというファンは多いようです。

この時期のライヴは、バンドの演奏技術以前のエネルギーや勢いを感じさせるものです。 3rd・アルバム 『BOYS & GIRLS』 (1981) リリース直後の久保講堂でのライヴでARBにすっかり魅了されて、その年さらに新宿ロフトにも足を運ぶこととなりましたが、とりわけヴォーカルの石橋凌の鋭い眼光が印象に残っています。 後に石橋凌のファンとなる松田優作は 「混じりっけのない狂気を含んだ目」 と表現していますが、ロフトで間近に見た眼光にコワサを感じたのは確かです。






ARBはもともと大手の事務所が、当時人気のあったチューリップや甲斐バンドに続くバンドとして事務所主導で作られたバンドだったそうですが、折からのパンクブームの中、メンバーの音楽性は先鋭化。 バンドとしてそれを貫いたため事務所から解雇される結果となってしまいます。 「迎合しない」 というパンクの基本思想のようなものを、当初から持っていたわけです。

それによって、明日の食にも困るほどの切迫した経済状況の中で制作されたのが、『BAD NEWS』 であり 『BOYS & GIRLS』 です。それにしてもビクターの INVITATION レーベルはこのアルバムをきちんと宣伝していたし、よく面倒をみたなぁ と感心します (のちに業界の良心とまで言われた)。






あの当時、"めんたいロック" という乱暴な括りで、福岡や北九州出身のバンドがいくつも出てきて、雑誌なんかでは話題になっていました。 ARB,ロッカーズ、ルースターズ、ショットガン、モッズなどです。サンハウスがその元祖のようなバンドですが、そのサンハウスのメンバーであった鮎川誠が率いていたのがシーナ & ザ・ロケッツです。

めんたいロックの特徴としては、ストーンズやフーなどのブリティッシュ・ビートが底流にあるわけですが、パブ・ロック系や、セックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムドといったパンクからの影響もうかがえます。あの時代は新宿などを歩けば、必ずひとりふたりのパンク系ファツションに出くわしましたが、日本にもあったムーヴメントとしてのパンクも、彼らの登場の後押しとなった部分もあったと思います。 ARBの他に、まだビート・バンドであった頃のルースターズも好きで何度かライヴに行きましたが、ARB同様に客の中には黒ずくめのパンクスもいました。






「R&R AIR MAIL」 という、ARBの中では唯一すべてが英語による歌詞のオリジナル曲があって、まるで日本のパンクスからのロンドン、ニューヨークへの返信のような内容になっています。 これ、冗談なのか本気なのか・・・。 おそらく本気です。 確かに日本からのエアメールによるメッセージような曲です。 かっこいいです!

For America, France, England, R&R AIR MAIL
For New York, Paris, London, R&R AIR MAIL

Thanks for Yellow Monkey アリガトウ!
I say goodbye Fashion culture サヨウナラ!
From the states of cherry tree
From the states of Samurai
Now, message from the east
Now, message from Japan Punk

Thanks For Yellow Monkey アリガトウ!
I say goodbye Import Culture サヨウナラ!
From the states of Budo-kan
From the states of Sony
Now, message from the east
Now, message from Japan Punk




R&R AIR MAIL


私、一応ギター弾きの端くれなのでその立場からの意見なのですが、この時期の田中一郎のプレイは最高であったと思います。 正確無比なバッキングと切れのいいフレージングは、ドクター・フィールグッドのウィルコ・ジョンソンやジッピー・メイヨーからの影響を感じさせます。 フィールグッドと言うとどうしてもウィルコばかりが語られますが、ジッピー・メイヨーもなかなかにシャープなプレイで素晴らしいのです。

80年、ジッピー・メイヨー在籍時のフィールグッドの来日公演に、ARBはオープニング・アクトとして同行していますが、あの頃のARBの勢いや実力を持ってすれば、決して日本のロック・バンドとして恥ずかしいものではなかったはずだと確信します。(て言うか見たかった~!)



Tokyo City は風だらけ
初期のARBのライヴでの代表曲です。 作曲/田中一郎、作詞/柴山俊之 (サンハウス) によるロックン・ロールです。まるでクラッシュの 「ロンドンは燃えている」 への東京からの返答のようなタイトルです。

映像は浅草ニューイヤー・ロック・フェスのものです。めちゃくちゃカッコいいです! 内田裕也が主催するこのロック・フェス。 当時、年が明けての元旦に明け方まで生中継でテレビ放映されていました。 これは観た記憶があります。このフェスには毎年かなりの数のバンドが出演するのですが、確か81年の出演時、多くの出演バンドの中で "今回のライヴアクト・ナンバー・ワンはARBだ" と観客から圧倒的に支持され一躍注目となった年がありました。

すでにツー・ビートでブレークしていたビート・たけしがなぜか出てきて、演奏の合間の休憩時のロビーで、まだほとんど無名であった石橋凌を指して 「ARBの石橋凌」 と連呼していたのも思い出します。ARBはストイックに研ぎ澄まされていくほどに、原田芳雄、松田優作、宇崎竜童、といったいわゆる玄人のファンを増やしていきましたが、ビート・たけしも、ARBを支持していたひとりです。

「この街を手に入れるために、裏通りを抜けてきた」 なんて、あんなかっこよく決めてしまうわけですからね。 BOYS & GIRLS じゃなくても惚れ込んでしまいますよね !




Tokyo City は風だらけ



80年代、ARBからはほとんど離れた時期もあったのですが、大学時代の音楽サークル仲間がビクター音産に就職し宣伝担当となり、ARBの身辺で仕事をすることとなったため、結局 90年の解散コンサートまで付き合うこととなりました。 日本のバンドでは最もライヴに足を運んだアーチストとなりましたが、縁があったということなのでしょう。

90年の解散までのARBについては、またいずれ記事にしたいと思っています。
















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