呆然と立ち尽くすツグミとビートに向かって、その少年は言った。
「なんだ!文句あんのかっ!」
ツグミは一瞬なにがおこったのか分からなかったが、この少年が自分がおびき寄せた大型魚を銛で仕留めたんだと理解した。
「ちょ!そ、それは私が仕掛けた小魚に誘われてきた魚よ!横取りじゃない!!返しなさいよ!!」
海風や打ち付ける波音にお互いの声はかき消されがちだったが、それでも怒りに任せて叫ぶツグミの声は少年に届いているようだった。
少年も負けじと返す。
「お前が持ってるそのヘンチクリンな木の棒じゃこの魚は絶対に獲れない!オレがモリを刺さなかったら魚は逃げてた!だからオレの魚だ!」
「へ、ヘンチクリン~?くっ、このぉ~」
横取りされた怒りが収まらないツグミは、拳を握り地団太を踏みながら傍らにいるビートに言った。
「ちょっと!ビートもなんか言ってよ!」
食べ物は命を保つ一番の要だ。野生動物だったら自分の獲物を奪われたら、烈火のごとく怒るのではないか。ツグミはそう思った。
ところがビートは
「まぁなぁ・・・、あんさんの気持ちもわかるんやけど、野生の世界には”誰の物”なんてあらへんねん。結果が全てなんや。」
と、やけに冷めている。一緒に怒ってくれるかと思ったツグミは、肩透かしをくらった。
「なんなのそれ!じゃあ今から私がアイツを捕まえて取り返すよ!!」
ツグミは少年を指さしながらそう言ったが、少年は
「お前なんかに追いつけるわけねーよ!!じゃあなっ!!」
と、魚を抱えて岩と岩の間をピョンピョンと飛び、あっという間に消えていった。
「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ!このドロボー!!!」
そう叫ぶツグミの服を引っ張ってビートは言った。
「もう追いつけへんて、あきらめや。」
止められたことでますます怒りに火が付いたツグミは、ビートをズルズルと引きずりながら大声を張り上げた。
「そんなこと言ったって許せないよ!」
ビートは服から嘴を離した
ドタンと前につんのめるツグミ。
倒れたツグミを見ながらビートは言った。
「じゃあどうするんや。アイツと喧嘩でもするんか?もしあいつが本気で銛で反撃してきたらどうするん。怪我して次の狩りが出来んようになったら、その時点でゲームオーバーやぞ。」
岩場に顔を埋めながらツグミは咽ぶ
「じゃあ、今晩の私の晩ご飯どうすんのよ!あなたは食べたけど私は食べてないのよ!ここでなにか食べないと体力ゲージがもう空になっちゃうんだよ!」
「じゃあ少し魚もどしたろか?」
そう言うとビートは「オェオェ」とえづき始めた。
「ちょ!やめて!!あんなのまた見たら、もう二度と魚が食べられなくなるよ!」
「そうか?じゃあどうするつもりや。」
「今考えるわよ!」
「それにしても惜しかったなぁ~、あのサイズのロウニンアジは、刺身も旨い、塩焼きも旨い、兜煮も旨い。刺身なら食ってみたかったなぁ~。」
「なんでビートがそんなこと知ってるのよ!というかそういうこと言わないでよ、余計お腹すくじゃない。それにやっぱりどう考えても横取りっていうのが腹立つ!」
ビートは溜息をつきながらいった。
「あのな、せやから自然界であれは普通のことなんやって。ライオンだってハイエナに餌をとられることなんかしょっちゅうやし、ワシらなんか、飯はおろか時には子供すら横取りされることもあるんやで。」
「子供も?」
落ち着いたのかツグミも座りなおしてビートに向かい合った。
「せや、野生の世界に法律はないんや。だから弱い動物ほど群れて助け合うんや。ワシらも一匹じゃ極寒の南極では長くは生きられん。群れて外敵から身を守り体を温め合うから何とか生きてられるんや。」
「そっか・・、言われてみると、群れで助け合ってる動物って結構いるわね。アリとかハチとか。」
「奴らみたいに分業制で完全に助け合ってると言えるもんもおるが、直接的な助け合いをするわけやないけど、みんなで集まって捕食されにくくする小魚や小鳥みたいなのまで、生存戦略は様々やな。」
「よくよく考えてみると、アリやハチは自分の子供じゃないのに、世話して、群のために食料調達して、外敵から巣を守るために体を張って守ったりして、ホントすごいよね。」
「せやな、奴らはワシらみたいに”個”のDNAじゃなく”種”のDNAを残すことに全てをかけたんやな。」
「種?」
「そうや、自分じゃなくて、同じ種族のために命を賭けるんや。」
「自分じゃなくて種族のために・・・、でもそれって幸せなのかな。」
「さあな、ワシには分からん。奴ら自身もよくわかっとらんのやないか?ただDNAの命令に従ってるだけやとおもうで。」
「DNAの命令?」
「せや、腹減ったら飯食う。疲れたら寝る。これってあんさんが頭で考えて決めてるんやのーて、DNAが一方的にあんさんに命令してるんや。」
ビートの言う通り、お腹が減るのも眠たくなるのも、考えてみれば自分の意志とは無関係だ。
「あんさんは自分で考えて生きとるような気がしてるかもしれんけど、ほとんどの活動はアリやハチと同じようにDNAの命令に従ってるだけといえるんや。」
「そ、そんなことないよ。確かにお腹が減るのも眠たくなるのも自分の意志じゃないけど、それ以外のことは全部自分が考えてやってるよ。」
「自分が考えて?何を考えてやってるん?」
「何を考えて?・・そ、それは・・幸せになるためにやってるんだよ。」
「じゃあ、あんさんの言う幸せってなんなん?」
「幸せ?幸せってさ、有名になってお金持ちになって、大きな家に住んで、毎日好きなもの買って、それから、それから・・、」
「じゃああんさんは大きな家に住んで好きなもの買うことが幸せなんか?」
「そ、そうだよ。」
「じゃあ死ぬまで金持ちになれなかったら、ツグミの人生は不幸だったということになるんやな。」
「そうじゃないけど、そうなったらもっと幸せになるんだよ。」
「もっと?なんでもっと幸せになれると思うん?」
「だって、好きなもの買えたらうれしいじゃん」
「じゃあ、ツグミにとっては”物を買う”ってことが幸せなんやな」
「そ、そんな単純なことじゃないよ!」
「ん?じゃあなんなん?」
「そ、それは・・・」
ツグミは口ごもった。
結局自分の考える幸せは単に”お金で買える物を買うだけ”というなんかパッとしないものだった。そう言われた気がしたからだ。しかし、自分でもうまく言えないけど、そうじゃない。それだけはわかる。でも、それをうまく言葉にすることができなかった。
「そうじゃないけど・・・」
「お!なんやまた魚が寄ってきてるで!」
「え?あ!ほんとだ!」
見るとまだ少し漂う撒き餌に小魚が寄ってきていた。さらに
「お!?なんやあのデカイ影は!さっきのアジよりデカそうやで!」
集まった小魚に誘われてきたのか、深場にひときわ大きな魚影が見える。
「なにあれ・・・めちゃめちゃ大きくない?」
その巨大魚はゆったり泳ぎながら深場から海面に向かってきている。
「・・・・ありゃ・・・クエやな。優に1mは越えとるな。クエって人間界ではえらい高級魚らしいな。クエをくったら他の魚はクエんと言われているらしいわ。大体は岩礁の深場にいるんやけど、ここまで上がってくるのは珍しいな。」
ツグミは辺りを見回している。
「ん?どうしたん?」
「あいつは居ないわね?よ~し、今度こそ逃がしてなるものか~」
「お!それでこそねーちゃんや!で、どうするんや?」
「正直言って、あいつが言ってた通り、この木の槍じゃ無理かな・・・」
「まあ相手があれだけのサイズだと、難しいことは間違いないやろうな。」
「うーん・・・じゃあこれしかない!!」
突然ツグミは足元にあった10kgほどの石の塊を持ち上げると、そのままの姿勢でクエへめがけて海へ飛び込んだ。
宙を舞うツグミを見てビートは慌てた。
「ちょまっ!!!」
石の塊の重さ+ツグミの体重が乗った石は、海面近くに上がってきていたクエの頭にゴッ!という鈍い音をたてて見事衝突、クエはツグミもろとも水しぶきと泡の中、海中へ消えていった。
「あわわわ・・・・」
ビートは突然の出来事に尻もちをついた。人間であるツグミがいきなり石を抱えて海に飛び込むなんて全く予測ができなかったのだ。
「こりゃあえらいこっちゃやで・・・、おーい!ツグミー!ツグミー!」
すると泡とともにプカリと大きな魚体が海面に浮いてきた。
「お!」
次にツグミが海面に顔を出した。
「ブッファー!ビートやったよ!!」
「お!ツグミ!無事やったんか!」
「大丈夫だよ!」
「大丈夫だよあらへんがな!あんさんが死んでもーたら、ワシまでゲームオーバーなんやで!」
「ゴメンゴメン(笑)」
「話には聞いとったけど、ホンマ人間っちゅうのは何しでかすか分からん恐ろしい生きモンやで・・・。」
「でもよかったでしょ?こんな大物じゃ残りの期間の食糧確保できたんじゃない?」
「まあ、量的にはそのぐらいありそうやな。でもまた焼いてまうんやろ?もったいないなあ~」
そういうとビートは海に飛び込み、巨大なクエをツグミとともに引き上げた。クエはツグミの広げた両手と同じくらいの大きさだった。
「このサイズになると、ワシらの仲間も食われてたんとちがうか。スゴイ大きさやで・・・これ早いとこなんとかせえへんと、また獣が寄ってくるかもしれんしな。」
「えーまたー?!でもどうすれば・・」
「とりあえずは保存がきくように捌いてうまいことせえへんとなぁ。まぁとりあえずは体力が回復できそうで良かったやん。」
「まあね。でも刺身で食べるにしてもお醤油、お鍋にしてもお味噌が欲しいところね。」
「得たら得たで、今度は持てる者の悩みやなぁ~(笑)」
「そうだね(笑)」
2人は声を揃えて笑った。