前回の障害者の幸福論では、障害により生命や尊厳が限定された状態を「限定自己」と名付けました。

そのうえで、障害者は限定自己を他人の手により補う必要があるため、利己的な態度を維持せざるを得ず、それが幸福を追求するうえで障壁になっているのではないかと考えました。

そしてその特殊な状態故、障害者には健常者とは違う幸福論が必要なのだとしました。

今回は前回作った「限定自己の五段階」で、肉体的限定にはもれなく心理的限定が付いてくるとした部分の説明をしたいと思います。

 

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上の図は、生命や尊厳を維持するために必要な工数に比例して、他人への依存度が高まることを表しています。

そして、依存度が高ければ高いほど、自分の為に他人を動かす利己的態度の頻度が多くなります。



そして障害者は、この利己的な態度で他人を動かすことで、限定自己から一時的に自らを解放しているのです。この解放された状態を「解放自己」と名付けます。


これは言い換えると、


「障害者は自身の生命と尊厳を守るため、他人に命令し解放自己を目指している。」

と言えます。

それは、依存度が高ければ高いほど、利己的な態度が増えるためミッションの困難度がより高くなり、その結果、心理的負担が上がるのです。




それは利己的な態度をとる相手がロボットではなく人間である以上、やり取りのたびに様々な感情が互いに生まれるからで、それはやり取りの回数に比例します。

 

私は障害者の苦悩の本質は、まさにここにあるのではないかと考えています。

 

次回以降で、その苦悩の中身を考えていきたいと思います。