「ツグミ~荷物が来ているわよ~」
母が呼ぶ声がする。行ってみると病院からツグミ宛の荷物が届いていた。
見慣れた大きさの箱に張られた送り状を見ると「医療機器」と書いてある。
「あれれ、また新しいメガネだ」
開封すると、いつものように旧メガネの返却の手続き書と、その下に新しいメガネが入っている。
箱から取り出しまじまじと眺める。
デザインは変わっていないような気がする。
始めた当初はスキーのゴーグルぐらいのボリュームがあったが、最近は大きめの眼鏡といったサイズ感になった。
ただその形状は、目の部分は外光が入ってこないようになっており、耳にかける部分は太くイヤホンと一体化した少し変わった形をしている。
今回送られてきたメガネを古いものと並べて見ると、耳にかけるアームの形が少し変わっていることが分かった。
眉間の部分には小さく文字が書いてある。
「GCHE1109T」
新しいメガネはこの文字が変わるが、ここしばらくは数字の部分だけが変わっている。
以前皆でこの文字の話になったことがあったが、その時は全員違った。
さっそく新しいメガネをかける。
自動的に虹彩認証がされシステムが起動。
その瞬ゾゾゾッと全身に鳥肌が立つような感覚に襲われた。
「うわっ!」
思わずのけぞる。と同時に、一瞬肌にひんやりとした風を感じた。
以前は気のせいかもと思われた肌感覚だが、最近でははっきり感じ取れるようになっていた。
ログインした場所は海岸だが、すでに真夏のような日差しではない。
「夏もおわりかぁ…夏って短いんだよなぁ」とすこし寂しい気持ちになった。
* * *
「おーい ツグミちゃーん」
声のほうを見るとマサキとメグミがいた。
「ツグミちゃん、この前のエベレスト楽しかったね。また別なところに行ってみようと話してるんだけど、興味ある?」
マサキはこの前みんなで行ったエベレスト旅行が、思いのほか楽しかったようだ。
ツグミもみんなと一緒なら、ぜひ行ってみたいと思った。
前回のエベレストも、ツグミの中では人生で1,2を争う素晴らしい旅の思い出になっていた。
「いってみたい!どこに行くかは決めてるの?」
「うーん、そうだね、前回は自然だったから、今回は遺跡をみてみようかなと思って。万里の長城なんてどうかな?」
「すごい興味はあるけど、観光客でごった返してないかな」
横合いからメグミが言う。メグミは人混みが苦手なようだ。
「それは平気だよ、万里の長城って長さが6,000kmもあるんだ。場所を選べば大丈夫。それにいざとなったらレイヤーを変えて自分たち以外の人を見えなく出来るんだよ」
「え?そんな機能あるの?知らなかった!」
「まだ正式公開前だからね。今その機能を知っているのは、僕みたいな内部の人間のごく一部の人だけだね。」
「へー、じゃあその機能があったら何処でも一人になれるねメグミちゃん。」
「うーん、でもそれはそれで寂しそうだな(笑)」
「なによそれ(笑)」
「さあ、不安材料も無くなったことだし、いまから3人で行ってみる?確か万里の長城ツアーがあったとおもうよ。」
思い立ったときにすぐに行動できるのがメタバースの良さだ。
昔、ドアを開ければ好きな場所にいけるというアニメがあったが、それに近いものかもしれない。
「どれどれ万里の長城、万里の長城、
あった、<万里の長城と兵馬俑ツアー※現地直行モード>
今回は時間がかかりそうだからこれにしよう。これならゆっくり見学できるよ。またお金は僕が出すから。」
「ありがとうございます!!」
じゃあ、まずは”兵馬俑”から行ってみようか。
では・・・世界遺産に行きたいかーっ!!」
2人「おー!!」
* * *
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始皇帝兵馬俑
紀元前246~208年頃建設
秦の始皇帝の墓陵の傍に建てられる
1975年出土 8000体以上の兵士の等身大の陶器が並ぶ
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「うわぁ、これはスゴイ迫力ですね~。」
「そうだね。現実では遠くからしか見れないけど、メタバースなら近寄り放題だよ。」
「近くから見るとなんだか怖いくらい。いまにも動き出しそう・・・。」
「これが紀元前200年の物なんて信じられないね」
ツグミとメグミの二人は、人形の精巧さと規模の迫力に圧倒されているようだった。
マサキは目を見開き顔を紅潮させながら言った。
「始皇帝は中国を最初に統一した皇帝として有名なんだ。
広大な大陸を舞台に繰り広げられた権力闘争に次ぐ権力闘争、それに勝ち抜いて勝ち抜いて勝ち抜いた勝者。
だからその権力は絶対的なものだった。
この遺跡だってそれを象徴しているよね。
現代では考えられないほどの権力の持ち主だったと想像できる。
そんな絶大な権力をもった始皇帝も、死を恐れ不老不死の妙薬を探しもとめて旅をしていたとも伝えられている。
そしてその薬の一つが水銀だったんだ。
当時、水銀は不老不死の薬だとされ、始皇帝もそれを飲んでいたといわれてるんだ。」
「え?水銀って毒なんじゃ・・・」
「そう、水銀はその化学形態によって、人にとって非常に強い毒性があるんだよね。
そのせいなのか、始皇帝は旅の途中で50歳で死んだんだ。
その後、彼の息子が後を継いだには継いだけど、わずか4年で配下に裏切られて一族は皆殺し。統一した秦はあっけなく滅亡してしまった。
力で手に入れたものが、最後は力で奪われたって感じだね。」
「へー、壮絶な人生ですね」
「こういう歴史的な遺跡をみると、人間ってどれだけ巨大な権力をもっても決して幸せではないんだなってつくづく思うんだ。
部下や側近の裏切り、弾圧した他民族の襲来に怯え、敵対しそうな人達を片っ端から殺しまくったけど、その死後は、寵愛した息子を含め一族郎党が皆殺しになってしまった。自分が散々やってきたのと同じ方法でね。」
「力によって手に入れたものは力によって失うか・・・」
「そうだね。
そう考えると、権力闘争ってなんなんだろうなと思うよね。
多分出発点は「幸せになるためには<権力と金>が必要だ」と思ったのだろうけれど、結局はそれが原因で一族が根絶やしにされてしまった。
こういう遺跡はその歴史を通して、人類にとって大切な事を教えてくれる気がするんだ。」
ずっとマサキの話を聞いていたメグミも言った。
「でも近代国家なら権力の座から降りたとしても、一族が皆殺しになるということがないとはないとは思うけど。」
「そもそも今の権力者は前の権力を皆殺しにして、その地位に就いてないからね(笑)」
「確かに(笑)」
「ただ命を取られることはないけど、悪いことをしているとすぐにバレて、社会的に抹殺される時代になってるよね。
それもいわば”社会”という権力者との権力闘争に負けて、抹殺されたと言えるかもしれないね。」
「そうか・・・」
「それじゃあ次は万里の長城にいってみようか。」
目の前の景色が揺らぎ、また新たな景色が構築される。
現れたのは山々とそれを分断するような長大な壁。
万里の長城だ
* * *
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万里の長城
北方から侵攻してくる異民族に対抗するために紀元前5世紀に中国の各国で造られはじめ、紀元前214年に秦の始皇帝によって巨大な城壁に再構築された。
その後、様々な王朝が長城を整備し、1600年代の明まで長城は造り続けられた。総延長は6000kmを越える。
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「マサキさんの説明によると、紀元前5世紀ごろから造られたということは、2000年近くこの城壁はつくられつづけたっていうことですか?」
「まあ、つくられていない時期もあるけどね。例えば元、1270年から100年続いた中国の統一王朝なんだけど、これはもともとは長城で防ぎたかった北方の異民族の統一王朝だから、当然つくられていない。」
「古代中国の歴史って、戦いの歴史なんですねー」
「人類の全ての歴史が戦いの歴史だともいえるよね。日本だって、政治体制は明治維新で変わっているしね。それも話し合いで決まったわけじゃない。内戦でドンパチやって、勝った方が総取りして歴史も塗り替えていった。」
「そう考えると、なんで人間って話し合いでうまくいかないんですかね。」
「それはやっぱり権力の過集中なんじゃないのかな。だからそのあまりにおいしい立場を手っ取り早く奪ってやろうという者が後を絶たない。
皆が一歩引いてそこそこで満足し合えばいいのに、財宝を目にすると殺し合いをしてでも独占したい欲望に憑りつかれる。
その結果、最後にはその欲望に自分自身が食い殺されてしまう。」
ツグミは思い当たることがあったようで口を開いた。
「たしかに”余計な欲”ってありますよね。慣れというか満足できなくなるっていうか。たとえば旅行で良い部屋に泊まると、次から普通の部屋だとなんか満足出来なくなるというか・・・。」
マサキは続けた。
「そうなんだよツグミちゃん。
最初は普通の部屋で十分満足だったはずなのにね。
周りに流されて、際限のない欲が湧き上がってくる。
あれが足りない、これも必要ってね。
で、その欲を満たすために漠然とレースに参加し、勝ち負けの不安や不満を互いに擦り付けながらひたすら走り続ける。
親が子に、子が同級生に、客が店員に、店員がベビーカーを押す女性に、弱いものが自分の不安や不満を周りのさらに弱いものに擦り付け合いながらレースは続いていく・・・。
そこでホトホト疲れ果て、ふと思う。
「あれ?なんのためにこんなにイライラしながらいがみ合って生きてるんだっけ?」と。
「本当はみんなで仲良く心穏やかに暮らせれば良いだけだったんじゃなかったっけ」と。
結局人は<平穏な時間>をどれだけ増やせるかを求めてるんだと思うんだ。
なのに、平穏な時間を得るために人類が考え出来上がったのが<競争社会>だった。
皮肉なもんだよね。
そしてそれがよく言う<世知辛い世の中>の正体だと思うんだ。
<平穏な時間>の為に=<競争社会>を作り=<世知辛い世の中>になった
出来上がった式の無茶苦茶さに気づく。
中国のこのころの歌とかみると、北方の異民族との戦争の歌ばっかりなんだよね。
それこそ10代の若いころから40、50になるまで戦い続けて、白髪になって歯もぬけて、家族とも離れ離れで俺はなにやってるんだ、という歌もある。」
ツグミはいった
「これからの社会はそういう人を増やしちゃいけないですよね。」
メグミもいう
「そう考えると、この風景はすごく壮大だけれど、その大きさは人間の欲から生まれた不信感の大きさとも言えますよね。」
「ほんとそうだよね・・・、そういう意味でも万里の長城は人類の歴史として後世に伝えていく意義があると思うんだ。」
広がる山々の上に延々と続く万里の長城と、その山の向こう側に沈んでいく太陽。その雄大な景色を見ながら、三人は陽が完全に沈むまで無言で時を過ごした。