ツグミはメタバースに来るようになってから、魚を釣って売ったり、遊びで書いた絵が売れたりして、ちょっとしたお小遣いが溜まっていた。

現実世界ではなかなかこうはいかない。

以前、引き篭もりの後ろめたさから少しでもお金を稼ごうと、現実世界のネットで募集されていた「500字40円」という文章入力代行のアルバイトをしたことがあった。

「これなら一歩も外へ出ることなくお金が稼げるかも!」

そう思い試しに500文字の案件を数件こなしたが、文章入力だけじゃなく、依頼主とのやり取りやチェックなどにも時間がかかるため、思い通りに作業が進められないことがわかり、報酬が200円になったところで馬鹿らしくなって辞めてしまった。

それがメタバースでDOAを使えば、面倒なやり取りをせずにその何倍もの報酬が簡単に手に入った。

しかもその手段も、釣りや狩り、自作物の販売や、町の掃除、人の手伝いなど、メタバース上にはその気になれば特に秀でた能力がなくても、即座に稼ぐ手段がいくらでもあった。

「メタバースでこういうふうに効率的にお小遣いが稼げちゃうっていうのは、やっぱりマサキさん様様だよね。マサキさん今頃なにしているのかな。」

メグミの借りた部屋が大手に買収される件があってから集会所はなくなり、それ以降だれとも会っていなかった。


* * *


ツグミは引き篭もる前から、なんとなく自分は「運がない」という気がしていた。

朝から親に小言を言われると「ああ、今日もツイてない日だな」と思っていた。

だからいつからか、出来るだけ親と顔を合わせないように、泥棒のようにコソコソと人目を盗んで生活するようになっていた。

そんな時、ネットで「やっぱり運が大切」「運に愛される方法」というような言葉を見るたびに「運」というものが気になっていた。

「運か・・・、運さえ良ければ私の人生も良くなるかな。」

そんな思いがシステムに読み取られたのか、メタバースの街を歩いていると、突然開運グッズの店が視界に入った。

反射的にそのお店に入ると、店内は明るく雰囲気もそれっぽい。

見回すと洋の東西をとわず、様々な開運グッズが集まっているようだ。
まさに開運のデパートといった感じだ。

その一角には本もあった。

「風水オブメタバース」

いかにも、といった本だ。

少し読んでみると、風水とは古代中国から発祥したもので、「鬼門」など方位で吉方を占う方法は、日本でも古くから知られ利用されている。

ちなみに鬼門の発祥は、古代中国の都の北東から、北方の異民族が攻め込んできたことに由来している、とのことだった。

それらの古い習わしをメタバース上で再現したのが、この本の内容らしい。

他には「メタバーストーン」というコーナーもあった。

これは様々な種類の石に意味を持たせた開運グッズが並ぶコーナーで、ブレスレットやネックレスなどに加工され、見た目もおしゃれで、普通のアクセサリーとして通用する物だった。

その隣には置物もある。龍が水晶の玉を抱いた置物だ。
これは見た目にも、いかにもご利益がありそうだ。

他には龍とカメがくっついた置物もある。
これもかわいらしくてツグミ好みだった。

ツグミはしばらく店内を見回った後、色合いが気に入ったネックレスを手に取った。

効果は「財運、健康、トラブル回避、恋愛、心の平穏」と盛りだくさん。

「よし、これにしよう。これで少しは運が良くなるかもしれない。」

少なくともそう考えるだけで、気持ちが落ち着く気がした。

ついでにどうしても気になった、龍とカメのくっついた置物も買った。

この二つでDOAで稼いだお金はほとんど使ってしまった。

「お魚と絵が開運グッズになっちゃったか」

もうちょっと良いお金の使い方が無かったのか考えたが、最近メグミとは会えていないので良い案が思い浮かばなかった。


* * *


開運グッズのお店から出て、だれか知り合いがいるかなと立ち寄った行きつけのカフェにはランがいた。

「あ、つぐみちゃん久しぶり!そのネックレスすごくいいね。えっ?開運グッズなの?そういうふうには見えない、凄いおしゃれだよ。」

「そうなんですよ。それに気のせいか、早速調子が良くなった気がするんですよね。(笑)」

ランも笑顔で

「私も昔どっぷり漬かっていたのよ(笑)」

「えー、そうなんですか。でも昔って」

「それが昔ある時に、一番高価でいつも頼りにしてたブレスレットがなくなっちゃってさ。

何か悪い事が起こらないかと凄く不安になったんだけど、結局はなんにも変わらなかった。それどころか、ちょっと良いことも起こったの。」

ランは続けて言う

「それで、そうだ、あくまでもこれは気休めなんだ、ということを思い出したの。

そもそも物事が起こるには理由があるじゃない?
気付くか気付かないかの違いで、何かが起こるときには、何らかの理由がある。

実際、わけもわからないのに、石一つで勝手に幸福になるっていうことは無いんだってね。ごめんね、こんなこと言って、ネックスレス買ったばっかりなのに(笑)」

「いえ、私も半信半疑ですから(笑)」

そう言いながらツグミも確かにそうだよな、と妙に納得していた。

そういわれてみれば、確かにわけもわからずに勝手に幸福になることってないような気がする。宝くじだって買わなきゃ当たらないのだ。

ランは思い出したかのように続けた。

「ツグミちゃんも知ってる通り、私は現実世界では目が見えないから、なんか漠然と自分は運が悪いんじゃないかとずっと感じていてね。

そんな時に偶然知り合った女性が開運グッズが大好きで、いつもパワーストーンだとかパワースポットだとか、前世だとか来世だとか言っていたのね。

それで私も影響を受けて、開運グッズを集めるようになったの(笑)。

でもその人、しばらく付き合ってみると、私も含めて周りにいる人に対してはいつも相手をモヤっとさせるような態度を取ったり言葉を言っていたんだよね。

だからなのか、持ち前の人懐っこさから次から次へと新しい知り合いができていたみたいだけど、しばらくするとその全員がその人の側からいなくなってた。

それを知ったときに、いやいや、開運グッズを買い漁るより、もっと目の前の人を大切にしたほうがいいんじゃない?って思っちゃってさ。そしたらなんか一気に冷めちゃって。そのあとしばらくして私も会うのをやめたんだ。」

ツグミはうなずいた。

「なるほど、開運グッズより周りの人を大切にしたほうが幸せになれるっていう考えって素敵ですね。

でもどうしてその人は周りをモヤってさせることを、やったり言ったりしていたんですかね。さすがに次から次へと人がいなくなったら、間違いに気付きそうですけど。」

ランはしばらく考えて

「多分、人が怖かったんじゃないかと思うの。」

「え?人が怖い?」

「そう、その人あるとき私に「私の母親はとっても怖い人でね」とぼそっと言ったことがあったの。

その時はそれで話しは終わったんだけどね。でも思い返してみると、その人なんかふとした時に怯えたような声になることがよくあったんだよね。」

「怯えた声ですか・・・」

「私は普段から耳に頼ってるせいか、他人の声の変化に敏感でね。そういうのが良くわかるんだ。

お母さんの話になったときに、急に怯えたような声になったんだよ。

だから、多分小さいときにお母さんに辛い目にあわされたんじゃないかなって思ったの。

私も他人と違うせいで色々と辛い目にあったから、彼女の気持ちが分かる気がするの。

何の根拠もなく他人が急に怖くなっちゃうってこと。

相手が自分を変に思ってるんじゃないか、いじわるされるんじゃないか、裏切られるんじゃないか、って。

それでその不安感に耐え切れなくなって、排他的になったり、攻撃的になっちゃう。

その結果、人が去って寂しい反面、これで意地悪されたり裏切られたりすることはないなって少し安心しちゃう。そんな普通の人にはちょっと理解できないような感情。

その人が妙に人懐っこかったのも、開運グッズが好きだったのも、その恐怖心の裏返しなんじゃないかなって。」

ツグミはハッとした。

自分も親が苦手なのは、親に否定されるのが怖いからなんだ。
それと同じように、自分が部屋から出られないのは、否定されすぎた自分に自信が持てず、他人が怖いからなんじゃないかと。

「でもそれって、あまりにもばかばかしいと思わない?

だって、いくら昔ひどい目にあったからって、目の前の人は全く無関係だからね。それなのに、自分が不安だからって無関係の他人を怖がって、攻撃して、その結果孤独になって、で、また孤独から不安になっての繰り返しだもん。」

「そうですね、なんか悪循環って気がしますね」

「そう、悪循環。それで思ったの。

人ってあまり追い詰められ過ぎるとダメなんだなって。

あまりに追い詰められると、そのトラウマから無駄に攻撃的になったり、逆に恐怖心をため込んで、それを表立って発散できないから、陰で人を欺いたりする卑怯者になっちゃうんじゃないかなって。」

「追い詰められ過ぎると攻撃的になったり卑怯者になるか・・・。」

「だから私もハンデを背負ってる自分は運が悪いと思い悩んだり、自信のなさから無駄に他人を怖がったりすると悪循環になっちゃうから気を付けようって思ってるの。」

ツグミは自分もそうなってないか急に不安になってしまった。

そんなツグミの様子を見てランは笑いながら続けた

「とはいっても、なんとなくパワーストーンとか触っていると安心するんだよね。あのツルツルしてスベスベしてヒヤッとした感覚が良いのよ。私も実はまだ現実世界で一個持ってるんだ(笑)翡翠の勾玉ってやつ」

「へー、勾玉ですか。いいですね。

でもここだと触った感じとか細かくはわからないから、形とか見た目とかで選ぶ感じですね。

でもその反面、自由もあっていいんじゃないかなっておもいます。

たとえば現実世界で、肩にこの子(買ってきた龍とカメの置物)を乗せていたらおかしいけど、メタバースだと全然アリだし。」

ランは声を上げて笑った。

「そうそう、私もこのまえ首にヘビを巻いて歩いてる人がいてびっくりしちゃった。だけどこの世界だとそんなに違和感がないのよね。あれって不思議な感覚だよね。」

ツグミは言った。

「そういうのを”不気味の谷”っていうらしいですよ。

メタバースで人間が中途半端にリアルだったら、なんか怖いじゃないですか。

その不気味の谷を超えるくらいに凄く似せるか、それとも不気味の谷に落ちる手前で辞めておくのが良いみたいなんですよね。」

ツグミはネットサーフィンが趣味なので、妙なところで知識が豊富だった。


「へぇツグミちゃん面白いことを知っているのね。ここは色々と選べるからいいわね。顔をアニメっぽくもできるし、現実のままでもできるし。」

「じゃあ最近はここにも慣れましたか?」

ランはちょっと真面目な顔になり言った

「うん、慣れてきたよ。でもその分色々と考えることもできたんだ。」

「へー、どんなことですか?」

「私はメタバースに来て初めて物を見れるようになったじゃない?だから物珍しくってこの世界を見て回ってるんだけど、初めて自由に移動できるようになって、改めて現実世界の理不尽さみたいなものを感じたの。」

「理不尽さですか」

「そう、まあちょっと大げさかもしれないけど、現実世界じゃ私みたいなハンデを背負っている人は、”生産性”とか”効率”っていうことから様々な場所やコミュニティから弾かれる事が多いのね。

例えば点字ブロックなんて街の一部にしかなくて、ちょっと離れると全くない。行政にしてみればお金がかかるから全部の道路には出来ないってことなんだろうけど。

でもメタバースだと、そういう物をあまり感じずに過ごすことができるの。だからここを参考にすれば現実社会でだって”生産性”とか”効率”で人を排除しない理想的な社会を作れるんじゃないかなって思って。そのヒントを探しにこの世界を見て回っているの。」

「”生産性”や”効率”で人を排除しない社会ですか・・」

「そう、そもそも生産性や効率って言っても、みんな価値観や利害関係が微妙に違うから、本来定義が難しいと思うの。

何を実現するための生産性や効率かって。

例えば会社の売上か社員のQOLか、国で言うと経済成長か暮らしやすさか、みたいな。そのバランスの置き所。

それを考えるときに、人はみな平等っていっても、どうしてもそれぞれ社会に対する影響力に差があるから、そのさじ加減が偏ってしまう。

たとえば私が使う「点字本」なんて、日々出版される膨大な数の本の中でほんの一部でしか点字化されないけど、それが当たり前で誰も気にしないよね。

それは目が見えない人の数が少なくて、社会に対する影響力が小さいからだと思うの。

それは社会にとっては効率的で生産性が高いのかもしれないけど、私にとっては非効率で生産性が低いのよね。

でも現実世界だってメタバースみたいに、効率や生産性のためにその都度誰かを排除する必要なく、皆がその能力のまま幸せに生きられる社会が出来るんじゃないかなって考えてるんだよね。

もちろんそれは一筋縄ではいかないかもしれないけど、
「人はみんな幸せになりたいと願っている」
っていう絶対に間違いのない思いを人類は共有している。

だからその共通の思いがある限り、どこかにチャンスはあるって思ってるの。」

「へー、なんだかすごいお話しですね。」

まだ若いツグミにはそんな理想的な社会が本当に実現可能なのかどうか全く想像もできなかった。ただそんな社会が本当に実現したなら、自分も引き篭もらずに済むような気がした。