「はぁ・・・なかなかうまくいかないもんだな。」

メタバースで分散型自立組織、通称「DOA」の仕組みを教えるマサキは溜息をついた。

マサキの教室には一日に何人もの教えを乞う人達がやってくる。

その中にはリリコのように、要点を素早く理解して自分のものにする生徒もいれば、みながそういう生徒ばかりでもない。

なかには何度やっても、理解にたどり着かない生徒もいた。

「身体、脳、空間、時間の制約から解放された世界を目指すって政府は言ってたけれど、それって人間に個人差がある以上、限界があるんじゃないか。」

どんな教え方をしても、結局出来ない生徒は「わからない、教え方が悪い」と脱落していくのだ。

技術者のマサキにとって、それはあきらかに効率が悪く思えた。

なんでも自由にできるメタバースとはいっても、結局は生まれ持った能力に左右されているのではないか。

今日は何人が教えうけにきて、何人がコツを掴むのだろうか。

そう考えると、学校はテストに通過した人だけがより高度な教育を受けることが出来るというのは、理にかなっているように思えた。

引き篭もりだったマサキは

「学校は物事を学ぶ上ではなんの意味もない、学びたい人が自由に学べばいいんだ」

と考えていたが、教えることが伝わらない人が出てくるたびに、徒労感と自己矛盾に苦しんでいた。

皆を助けるため、取りこぼしがないように始めた教室だが、現実は理想通りとは行かない。

「割り切ってわかる人だけに教えるか、そもそも教えるのを辞めるかってとこまで来てるかもな。」

こんな感じでマサキはメタバースで悩んでいたが、現実世界でも悩みを抱えていた。
 

現実世界では醜悪恐怖症によって長年引きこもり状態だったマサキであるが、メタバースでの活動がその治療となり、最近では現実世界でも多少外出することができるようになっていた。

といっても、長年の引きこもり状態で肉体的にもかなり衰えていて、最初の街歩きではあっという間に疲れてしまった。

さらにマサキが長年履いていなかった安物の靴が、歩く度に靴底がボロボロと削れ、帰宅間際にはついに靴底が抜けてしまっていた。

それでもその後何回か外出を繰り返しているうちに体力も戻り、3、4日に数時間は外出ができるようになった。

「メタバースであれだけ他人と交流できるんだ。現実でももう大丈夫かもしれない。」

マサキは思い切って出会い系アプリを使って、異性と出会ってみることにしたのだ。

メタバースでは皆から好かれている、そんな自信も微かに芽生えていたのだ。


* * *


マッチングができ、暑い夏の夕暮れ、待ち合わせ場所にきたのは、白いシャツが印象的な小柄な女性。しかし、女性はマサキに対して警戒心があるように感じた。

しかしそれはマサキも同じだった。

初対面の人とは何をしゃべっていいのかもわからない。

まずはお話をしましょうと、メタバースにあるようなカフェで向かい合った。

マサキは現実世界での注文に慣れていないので戸惑った。
考えてみたら、一人で喫茶店に入ったことがなかったのだ。

それにコーヒー一つとっても、いろいろなトッピングがあるらしい。

「ああ、コンビニみたいに誰と話すことなく、セルフレジで清算できたら楽なんだけどな・・・」

席につくと開口一番、女性がマサキに問いかけてきた。

「それで、お仕事はなにをされているんですか?」

それは共通点のない人同士の会話のきっかけにすぎなかったが、マサキにとってはなかなか答えにくい質問だった。

大学卒業、社会人となってからの引きこもり。それから何年たっただろうか。もうだいぶ昔の話だ。

同世代は結婚して子供もいて、もしくは会社である程度の役職にいるだろう、独立して経営者となっている人もいるだろう。

身の回りにはマサキのようなひきこもりは、知る限り自分しかいなかった。
改めて考えてみると、人に胸を張って言えるような社会経験もない気がする。

「そ・・・そうですね、メタバースという仮想空間で、DOAの仕組みをおしえています。DOAというのはですね、分散型独立組織といって、煩雑な手続きを踏まずにすぐに対価を得ることができる仕組みで・・・」

とりあえず今自分がやっていることを伝えるしかない。

「メタバース?DOA?難しいことをされているんですね。具体的にはどういったことですか?」

頼んだ飲み物をストローでかき混ぜながら質問してくるその様子にマサキは焦ってきた。

一気にフワフワとした感覚になる。

とりあえずなにかしゃべるしかない。


「具体的にというのは・・・ゲームのやり方みたいなものを教えているっていう感じになるかとおもいます。いまのところ無償で教えていますし、たぶんこれからも無償で教えることになるとおもいます。ですがそれが生きがいにもなっているんですよね。」

「ふぅん そうなんですか」

女性はマサキが利益になる存在か、もしくは一歩進んで配偶者として自尊心を満足させ、経済的にも安定した地位があるのかどうかを計っているのではないか、そんな話は事前にも一切出ていなかったが、マサキはなぜか一人そう感じていた。

もしかして僕が大手企業の社員だったり、経営者だったりすることを期待しているのかな・・・

DOAを使ってマサキも多少収入を得ていたが、世間的にいえば引きこもりと変わらないと自ら卑下していて、その引け目が妄想をさらに加速させた。

それに数少ない自分のエピソードはすっかり話してしまった。

だからといって相手のことを聞くには立ち入りすぎのようにも感じる。

マサキの恐怖症は人に会えるほどになったとはいえ、実際に会話していると自分が相手にどう思われているのか、ふとした瞬間に強烈に気になり、気にすれば気にするほど声が上ずり、一気に汗が吹き出す。

汗をかくと自分が臭いのではないかと感じてくる。

 

「確実に匂っているだろう。」そんな強迫観念が沸き上がる。

ついにはもういてもたってもいられなくなった。

「すみません、それじゃ僕は今日はこのあたりで失礼します」

「えっ?お帰りになるんですか?まだ来たばかりなのに。私がなにか気に障るようなことでもいいましたか?」

「いえ、ええ、ちょっと家の用事があることを思い出してしまって。」

家の用事とはなんだろう、この為に今日は空けていたのではなかったか。

しかし限界になったマサキは、そう言い残すと会計を済ませ一人店を出ていった。


* * *

 


街は夜の帳がおりたばかり、まだまだ夜はこれからといった人達であふれていた。

「やっぱり現実世界は無理だ・・・僕はもうメタバースで覚悟を決めてやっていくしかない。教室も今以上にクラスを増やそう、僕はもうあそこでやるしかないんだ。」

マサキは人混みを小走りですり抜け、一人帰宅を急いでいた。