「さあ行くよー!5・4・3・・・」
そこは地上1万メートルの雲を見下ろす台の上、青空というより薄暗い宇宙の入り口と言ったほうがいい。
どうしてこんなことになってしまったのか。ツグミは後悔していた。
成層圏からのバンジージャンプ。
こんなことは地球上ではあり得ないが、メタバースでは可能となる。
通常のバンジージャンプは高くても100m。
スカイダイビングだって3000mほどだ。
それがメタバースでのバンジージャンプはスカイダイビングの3倍以上の高さがあり、落下時間プラスバウンドの逆バンジー時間、合計5分ほど宙を舞うことになる。
「2・1・バンジー!!!」
机の端に立てた鉛筆が倒れ落ちるようにツグミはゆっくりと前へ倒れ、足は板から離れて宙に浮いた。
これから1万メートル落ちていくのだ。
「ツグミー目をあけてー!もったいないよー!」
猛烈な風切り音の中、背後からメグミの声がする。
この状況で目なんか開けてられるか!
心の中で言い返した。
* * *
メグミに遊園地に誘われたのが始まりだった。
メタバースの遊園地は最高に楽しいんだと、メグミがはしゃぎながら説明する。
曰く、現実の遊園地の何倍も刺激が強いそうだ。
物理的な安全性が100%担保できるため、過激度は文字通り青天井。
しかし確かに物理的には安全だったが、そのあまりのリアリティーから開業するやいなや嘔吐や失神など心因性の体調不良者が続出した。
そこで急遽システムを変更し、一人一人の脳波や心拍、呼吸などの状態をモニターし、個々人の許容量にあわせて過激度をリアルタイムで変化させ、「最適な限界」を攻める設定となった。
特にホラーハウスは、その人の反応が一番敏感な所を限界ギリギリで煽ってくるので、だれもが「今までで一番怖かった」と大評判だった。
その他には、
巨大観覧車、
魔法の絨毯での地球一周、
ジュラ紀探検、
大航海時代の船旅、
宇宙飛行、
海底探索、
など、仮想空間ならではのアトラクションが目白押しだ。
もちろん待ち時間など一秒もない。
今回メグミがやったバンジージャンプは、バンジージャンプとスカイダイビングのいいとこどりとなっているので、かなり評判がよい。
バンジージャンプといっても実際に足に紐がついているわけではないので、事故が起こるということは決して無いが、そう分かっていても雲のはるか上からの景色は迫力満点である。
「私はテスターだし大丈夫だろう。」
ツグミはそうタカをくくっていたが、ツグミ自身が気が付いていなかったのだが、実は高所恐怖症であった。
いままでほぼ引きこもり状態で暮していたので、自分が高所恐怖症であることに気がつかなかったのだ。
* * *
メグミの嬌声をあとにのこして落下していくツグミ。全身に風圧を感じる。
この仮想空間でもスピードが体感できるということは、いったいどういう仕組みになっているんだろう。
脳の騙されやすさを利用しているって言ったって、さすがに騙されすぎだろ。そんなことを考えていたが、次第にそんなことは考えていられなくなった。
薄目を開くと、次第に雲の切れ間から砂粒みたいな街並みが見えてくる。
ドンドン迫ってくる地面、そのスピードは体感マッハ1に達していた。
「うわ、、うわ、、、うゎわわわわ!!!」
薄目をあけていられなくなりツグミは目を固くとじた。
そして地面に激突寸前で身体が引っ張られ、今度は急激に上昇していく。内臓が置き去りにされたかと思うほどの衝撃を感じる。
そして下降と上昇を5度ほどくりかえした後、ツグミの身体はゆっくりと地面におりていった。
だらりと宙吊りにされているツグミにメグミが駆け寄った。
「ツグミちゃんどうだった?あ、ありがとう!」
メグミは上のほうを見ながら言った。
「落ちてるときは怖さはないけど、中途半端な距離で吊るされるのが一番怖い!まだ目を開けられないよ!」
とメグミは高所恐怖症っぷりを発揮して言った。
「じゃあ今度はホラーハウスにいこうよ。夏といえばこれだよね。ホラーハウスで最後まで頑張れた人にはプレゼントがあるらしいよ。」
「へー・・・じゃあプレゼント目当てで頑張っちゃおうかな。」
実はツグミはホラー系アトラクションには自信があった。
怪談話や都市伝説、ホラー映画など引きこもり時代の時間つぶしには持ってこいだったので、好んで観たり読んだりしていたのだ。
このホラーハウスは人によって内容が変わるという。
AIによりプレーヤーの恐怖の対象になるものを即座に判定、そこを脳波や心拍数をモニターし限界までついてくる仕掛けになっていた。
二人はそろってアトラクションに入っていった。
するとものの10秒で
「ぎゃー!!!」
「きゃー!!!!」
響き渡る二人の悲鳴
「うわーもう出る!!!」
ツグミがそう言ったとたん、アトラクションは終了し気付けば元の場所に戻っていた。
「ツグミちゃんどうしたの?入っていきなり騒いで居なくなるから、こっちも怖くなって一緒に出ちゃったよ。」
「もうやだ!自動で怖さを調節してくれるって言ったから信じて入ったのに、全然調節されてないよ!何があったと思う?入っていきなり見渡す限りのゾンビの大群に追いかけられて、崖っぷちまで追い詰められたんだよ!そんな出だしある?!」
「ひゃー、それは酷いね(笑)。ツグミちゃんはテスターだから調節されていなかったのかもね(笑)」
「えーひどーい!、ちなみにメグミちゃんはなにが出てきたの?」
「え?私?私はずっと目をつぶっていたからわからない(笑)」
「ちょっとそれずるくない?(笑)じゃあなんで悲鳴上げてたのよ」
「なんかツグミちゃんにつられて(笑)」
「(笑)」
メグミはまた空間に向かって”ありがとう”と言うと
「じゃあ次は大観覧車にのってみよう。直径1kmなんだって。ということは高さ1000mだから、なーんだ富士山の3分の1じゃんと思うじゃない?ところが、これは海にも入っちゃう観覧車なのです!まさに陸海空を制する未知の観覧車!」
そう言って巨大観覧車に向かって歩き出した。
観覧車はゴンドラが透明で足元も見えるようになっている。これで高さ1000mになるなどツグミにとっては恐怖しかないことを先ほどのバンジーで思い知っていたが、折角のメグミの誘いは断れない。
なにより自分はテスターなんだから何でも挑戦しなくてはならない。そう考えていた。
観覧車のゴンドラに乗り込み、しっかりと手すりを掴み上を見ながら、なにか気を紛らわす話題はないかとツグミは考えた。
そういえば・・・そう思ったツグミは聞いてみた。
「メグミちゃんって遊園地の係の人?にありがとうって何度も言ってたよね。でも私には人は見えなかったんだけど。」
するとメグミはこういった。
「んー前からなんだけどね、”ありがとう”って言うと、なんだかおちつくんよね。それでなんとなく事あるごとに”ありがとう”って言ってるんだ。
変に思うかもしれないけど、それは人が居なくてもいても変わらないんだよね。
誰かに感謝するのはもちろんだけど、状況そのものにも感謝をしているの。
たとえば今でいうと、ツグミちゃんが無事に戻ってきてくれてありがとう、二人で思いっきり笑えてありがとうってね。そうすると何故だか分からないけど、不思議と嫌なこと忘れて暖かい気持ちになれるんだ。」
「ふーん、そういうものなんだね。でも凄いね、そんなこと考えついて。」
「いや、私が考えたんじゃなくて、私もこの世界で知り合った人に教えてもらったんだよね。「なんか常にこれしなきゃあれしなきゃ、これが足りないんじゃないか、あれが足りないんじゃないかって、不安感が消えないんだよね」って相談したらさ。
それで実際やってみたら、確かに漠然とした不安感が薄まる気がして、それから気に入ってやってるの。ツグミちゃんに出会ったばかりのころは口に出すと怪しまれるかと思ってずっと心の中でやってたんだ(笑)もう今は癖だね。」
「へー・・・」
ツグミは終始頼もしく感じていたメグミにもそんな事があったんだと、少し驚いた。
そんな会話の途中で、巨大観覧車でもう一つ気付いたことがあった。それはツグミは高所恐怖症だけではなく、閉所恐怖症でもあったということだ。
巨大観覧車で水深100mの位置に入ると、とてつもない閉塞感でツグミは気持ち的に窒息しそうになっていた。
自宅の部屋も広くはないが、それとこれとは別問題のようだった。すくなくとも私は宇宙旅行は出来ないわ。あんな狭い空間に入って飛ぶのなんて絶対無理。そんなことを考えて必死に気持ちを紛らわしていた。
観覧車から降りたツグミは言った。
「メグミちゃん、わたしこの観覧車がいっちばん怖かったかも・・・でもありがとう」
「あっ、私も今日は付き合ってもらってありがとう!私は観覧車でゆっくりいろんなところを見るのが好きなんだよね、気が付いた?サメがじっとツグミちゃんを見ていたよ」
「うわっ・・・もう乗らないかも(笑)」
* * *
ツグミは現実世界に戻ると全身汗びっしょりになっていて、喉がカラカラ、そしてフラフラと眩暈をおこしていた。
考えてみれば昨夜はなんだか寝苦しくて寝不足でもあった。ツグミはメグミのことも心配になったが、ベッドに入りメグミの顔を思い出しながら”ありがとう”と小声で言ってみた。
「ほんとだ、なんかいいな」
その晩はいつもよりよく眠れた気がしたツグミだった。