「そろそろそのメタなんとかっていうのは止めたらどうだ。ツグミ。聞いているのか。」

父が言う。顔をあわせるなりコレだ。さっさと仕事にいけばいいのに。

「そうよツグミ、目が悪くなっちゃうかもしれないし、ほどほどにしなさいね。」

母が横から援護射撃。

ツグミは朝から嫌な気持ちになり自室に戻った。

「そもそもあんなもの与えないほうがよかったんじゃないか?このままだと・・」

「なにをいまさらそんなこと言ってるんですか。あなた今まで無関心だったくせに、いまさらああだこうだいうのは止めてもらえますか」

父と母の言い合う声が聞こえてくる。この家族は全員が敵同士のようだ。

ツグミは結局のところ、両親との関係も以前とすこしも変わっていない。

なぜだろう。私は自分なりに考えて行動しているはずなのに。
おそらくは両親だってそうだ。

みんな幸せになりたくて生きているのに、すべてそのための行動をしているはずなのに、なぜ上手くいかないんだろう・・・。

父が言う

「ノーペインノーゲイン、苦労なくして得るものなし」

本当にそうなのかしら。

父や母は今の年齢になるまで、自分の考えで幸せを求めてやってきているはずだけど、すこしも幸せそうには見えない。

「お前の為お前の為」って言うけど、自分だって出来てやしないじゃない。

自分の部屋に戻ると、メタバースのメガネをかけた。

「お母さんは目が悪くなるっていうけど、目が悪くなったらメタバースの世界にも居れなくなっちゃうっていうのかな」


* * *


メタバースも夏になっているようだ。現実世界ではテレビで観測史上最も早い猛暑日を更新したと言っていた。

メタバースでは暑さ寒さは感じないはずだが、それでもじんわりと暑いような気がする。これも脳が錯覚しているのだろうか。
 

昇り始めた太陽がまぶしい。

ツグミはおもわず目を細め、先週買った帽子をかぶることにした。
それはサファリハットといって、探検家がかぶるような帽子だ。
先日、メグミと服を買うついでに買っていた。

メタバースだと現実では身に着けられないようなファッションも、気軽に身に着けられる自由があった。

ツグミは帽子をかぶると顎ひもをグッと絞った。

この世界も侮れないもので、時折突風が吹いてくることがあるのだ。

前にいちどメグミと川沿いをあるいていたときに、突風が吹いて帽子を飛ばされてしまったこともあった。

メタバースになんで風なんて吹いているのだろうと疑問に思ったが、この世界も独自の惑星環境がプログラムされており、それによって現実世界と同様に気象が刻々と変化している。

天気そのものをプログラムによって穏やかに決めちゃえばいいのにと思ったが、開発初期段階のシミュレーションで、完全に管理された穏やかな環境にするとなぜか動植物が減少していくことがわかり、メターバースの中にも自然選択の余地を残すことが必要だと分かったんだと、以前マサキが教えてくれた。


* * * 


ツグミはお気に入りの庭園のベンチにこしかけた。

隣は賑やかな行楽地だが、ここは別世界のようだ。

人間の感覚というのはわりといい加減にできているんだなと思った。●が3つ並べば顔にみえるし、曲がりくねった棒が地面に落ちていればヘビに見える。
それも何かの必要があってDNAに刻まれた機能なのかもしれない。

この庭園も池と数十本の木々に囲まれただけだが、大自然に来た気になれる。

ふと庭園の奥に目をやると、ベンチに女の子が1人で座っているのが見えた。

白いハットに白いシャツを着て、ジーンズにサンダル履き。
足を組んで頬づえをついて、池をじっと見ているようだった。

ツグミは同い年くらいかなと思い、話しかけてみることにした。

「こんにちは、私はツグミといいます。この庭園って素敵ですよね。」

ツグミが話しかけた少女は、食い入るように池を見続けている

あ、あの・・・と再びツグミが声をかけようとしたとき、少女が振り向かずに聞いてきた。

「ねぇ、あれってなに?あの水の中に動いているのがいるじゃない」

と少女は池をみながらツグミにいった。

「あれって?」

みると池には赤いニシキゴイが泳いでいた。ニシキゴイだとつたえると

「ニシキゴイ・・・じゃああれはなんていうの?」

と、庭園の池のほとりにある石灯篭を指す。石灯篭だとつたえると

「イシドーロ・・・ふーん、道路じゃないのに紛らわしいねぇ・・・」

と独り言。ツグミは彼女がなにをいっているかわからなかった。すると再び

「あの石に乗っている生き物はもしかしてカメ?」

彼女が指さす方向には、池の辺の石の上で日光浴をしている亀の姿があった。

「うん、亀だね」

「じゃああれが緑色なのか、思ってた色と違うな・・・」

「え?あの亀の色?いいえ、本当は緑なんだと思うけど、あの亀は体についた泥が乾いていて灰色をしているわ」

ツグミはいよいよ分からなくなっておもわず聞いた。

「えっと・・・もしかして、外国の方かな?」

「えっ?・・・そうじゃないの・・実はね」

女の子の話によると彼女の名前はラン。

彼女は生まれつき目が見えなかったが、最新のメタバースの研究の一つで、脳に直接装置を接続することによって、眼球を通さずメタバースの映像を「見る」ことが出来るようになったということだった。

まだ一回の接続時間は短いが、事前の知識なくメタバースを自由に動き回ってみるというテストの最中だということだった。

ツグミは合点がいった。
だからすべてを不思議そうに見ていたのかと。

ランの言うところによると、この世界は現実世界で長年よりどころとしていた微妙な空気の流れや音の反響がほとんどないため、戸惑っていると言う。

いままでは触ったり反響を感じたりして主に皮膚感覚で認識していたものが、それが突然「見る」という全く皮膚感覚を伴わないものに変わり、しばらく歩くとすぐに酔ってしまい、それでベンチに座って休んでいたんだと打ち明けられた。

そういえばツグミも以前、全盲の人が舌打ちをすることによって音を反射させ、自転車を走らせる動画を見て驚いたことがあった。

音を反射させて世界を認識していた人が「見る」この世界は、一体どう映ってるんだろうか。

「ものすごく希望を抱いてこの世界にきたけど、思ったより勉強と慣れが必要みたいね」とランは笑った。

ツグミはなんとも言えないような気持でその笑顔をみていたが、はっと思い出した。

「ランちゃん、今みている物を指先で円を描くように囲んでみて、それでその物の詳しい説明が出てくるよ。

たとえば・・・ほら、あそこの池の端にいる大きな白い鳥、それを指先で丸く囲むと・・あれはダイサギっていうんだね。」

ランも同じように遠くにいる白い大きな鳥を囲むように指先で円を描いた。

「ほんとだ!なになに、鳥綱コウノトリ目サギ科の鳥。シラサギ類のなかではいちばんの大形種。全長約85センチメートル。世界的に分布する、だって!これ音声案内もあるしスゴイね!」

ランは新たな発見に嬉しくなったようで、早口でまくしたてた。

「指で物を囲むだけじゃなくて、声でも調べられるよ。例えば「ダイサギって?」でも同じ説明がされるよ」

「私は生まれつき目が見えない生活をしてきたから、点字ならわかるけど文字はわからないんだよね。でもこの機能を教えてもらってなんとかなりそうな気がしてきたよ。ありがとう!たしか名前はツグミっていうんだね。えーとツグミって?・・・・なになに、スズメ目ヒタキ科ツグミ属に分類される鳥類っていうことだね。」

いやだぁ、それは鳥よ鳥。アハハハハ。

2人は声を揃えて笑った。

そしてお互いにどうしてこの世界に来たのかという話になった。

話の流れで

ツグミはここに来た経緯と今日も親と言い合いになって、私の気持ちなんて親はわかってくれないんだよね。と言った。

するとランは少し考えた後にポツリといった。


「ツグミちゃんの参考になるかどうかはわからないけど、私も若いころそういう経験があってね。私の場合は周りの人達との関係なんだけどね。

私は目が見えないせいか、周りの人たちとのすれ違いが多くてさ。
ある日あんまりにもうまく行かないもんだから、なんでだろうってじっくり考えてみたの。

そこで私が気付いたのは、結局人は自分が快適になる行動しか取らないんだってこと。みんな自分の快適を求めて行動してるんだってね。

その自分が考えた快適になる為の行動の結果がぜんぜん快適じゃなかった場合、その元になった考え方が間違えている可能性があるなと思ったの。

そこで、もういちど自分が求めていることってなんだろうって考えてみた。

そしたら、
目が見えるようになりたいとか、
お金持ちになりたいとか、
優しい友達が欲しいとか、
具体的なことがどんどん出てきたんだけど、なんか違うなと思って、さらにその先を考えてみたの。

目が見えるようになってどうしたいのか、
お金持ちになってどうしたいのか、
優しい友達ができてどうしたいのかってね。

そうしたら、私は

目が見えるようになったら、困っている人を助けられるんじゃないか、
お金持ちになったら、両親に恩返しできるんじゃないか、
優しい友達が出来たら、私の目が見えないことを気にせず一緒に楽しんでくれるんじゃないか

って考えてるんだって分かった。

そこで気づいたの、私が本当に求めていたのは、目やお金や優しい友達じゃない、

結局、ただ周りの人たちと楽しく穏やかに暮らしたいだけなんだってね。


でも自分がそれまでとっていた行動は、どれも自分を中心としたものばかりだった。

私はこうなりたい、
私はこうしてもらいたい、
私はこう思われたい、
私はこう思ってるんだ、

私は私はってね。

でも私は私はじゃ他人とすれ違って当然だよね。

だって、私は私はばかりじゃ相手は一つも快適じゃないからね(笑)


ツグミちゃんの場合は親子関係がうまくいかない、それは親が一方的に悪いと感じるかもしれないけれど、もう一度自分が本当に何を求めているのかを考えてみるのも良いかもしれないね。

あ、ごめんね、会ったばっかりの子に、なんか親みたいな言い方になっちゃって。人間関係って本当に難しいんだよね。」


ツグミはなるほどなと思うと同時に、若いころとか親みたいなことを言ってとかを会話に入れてくるランは本当はいくつなんだろうという思いが湧いてきた。

「人は自分が快適になるための行動しか取ってない、か。確かにそうかもなぁ・・・。ところでランちゃんっていくつなの?同じくらいだと思ったけど・・・」

「えっ?ツグミちゃんはいくつなの?」

「16歳だけど・・・」

「あー、じゃあ、あなたのお母さんと同じくらいかな?」

「えー!?同年代だと思ってたよー(笑)」

「私も(笑)」

「この世界の見た目は全くあてにならないね(笑)」

二人は笑った。

「自分が快適になるための行動は相手にとっても快適か、か・・・」

メタバースの一日は始まったばかりだ。