こんにちはカネシゲです。

今回は、障害者に付いて回る「インクルージョン」について考えてみたいと思います。



共感無き師弟関係


前回は障害児教育について考えてみました。

どのスポーツでも、その競技の経験者が指導します。

勉強もそうです。
その学問について悩みながら習得した造詣の深い人が行います。

それは、物事を伝えるには理屈だけでは不十分で、「共感」が必要だからなんだと思います。

理屈だけでよいなら誰もが技術書を片手に出来ると思いますが、決してそういうことにはなりません。

しかしこと障害児教育については、ほぼすべての親や教師が健常者であり、知的障害がどういうものか、身体障害がどういうものかを体感したことのない人が行っています。

そのような同情はあっても「共感」の無い師弟関係の上に立つ教育が、私達が抱える様々な問題の根っこになっているのではないか、という指摘を前回させていただきました。

そして、この「共感無き師弟関係」は、親と障害児、教師と障害児だけではなく、世間と障害者にも当てはまり、それが私たちが持つ社会からの疎外感や被害者意識の原因だと感じています。


その一方で、障害児を支援学校ではなく普通の学校で受け入れる「インクルーシブ教育」で、障害者に対して排他的な社会を改善できるのではないかという考えがあり、一部で実践されています。

しかしこれも現状は絵に描いた餅で、普通校側から「より良い教育のために是非障害児を受け入れたい」という流れではなく、障害児の親から「我が子を普通学校に入れたい」と提案され、話し合いのもと障害者差別解消法を根拠に、実際に受け持つ教員の+αの負担により実現されているのが実態なようです。

 

「インクルージョン教育に対する通常学級教員の意識について」
https://www.juntendo.ac.jp/hss/albums/abm.php?f=abm00007811.pdf&n=vol60_p112.pdf

「発達障害」増加の裏で教師の休職続出が止まない
https://toyokeizai.net/articles/-/578546

 

 

個人的には小学生や中学生といった未熟な子供たちに、大人社会でも全く実現出来ていないインクルージョンやノーマライゼーションという立派な理念が実現できるのか甚だ疑問です。

私も1クラスに何人も障害者がいるなら興味も湧きますが、クラスに一人、下手すると学校に一人なんて言うインクルージョンは、恐怖でしかないというのが正直な所です。

それは毎日のように「いじめ」や「体罰」のニュースを目にしているからです。

健常児でさえそのような目に合うのですから、健常児から見て異端でしかない障害児は言わずもがなと警戒してしまいます。


校内のバリアフリーもままならない状態で、理念ばかりが先行するインクルーシブ教育というのも、その実態は障害児本人の願いではなく、親を筆頭とした「普通」の人たちによる「普通」の強要ではないかと感じてなりません。

支援者たちはまだ幼い障害児を無理やり「普通」に放り込むことで「普通」を無理やり変えようとするのではなく、障害児達が入っていける状態を大人たちが丁寧に作ってから入れていただきたいのです。


このような流れの延長線上にある「障害者雇用」についても、同様の思いを持っています。


障害者雇用促進法が施行され、一定規模以上の企業は障害者を雇用する義務が発生し、雇用した障害者に対する「合理的配慮」が求められています。

しかしこのような法律も、実態は程度の良い選ばれし障害者のためのものであり、新たな差別を生み出しているのではないかと、僻み半分で思ってしまいます。

というのも、私が高校を卒業する時の進路で、職業訓練校というものがありました。

一定期間職業訓練をしたのちそれに関わる会社へ就職できるというもので、それには様々なコースがあるのですが、その中で電話対応の仕事である「コールセンターコース」がありました。

私は口だけは達者なので「もしかしたら!」と期待しましたが、よくよく聞いてみると、職業訓練校は寮に入ることが前提で、「身辺が自立している人に限る」という条件が付いており、泣く泣く諦めたという経緯があります。

現在は多少変わっているかもしれませんが、私が持っている障害者雇用のイメージとは、このような事前の足切りの上に成り立つ、強者のための制度だと感じています。

それでも国連の「障害者の権利に関する条約」もあり、国としてはやらない善よりやる偽善ということなんでしょう。

しかし枠組みばかりが先行し、それを実行する「人間の意識」がまったく追い付いていないというのが実感です。

 

障害者雇用水増し3460人 国の機関の8割、雇用率半減
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34663670Y8A820C1MM0000/


と、これでは文句ばかりの万年野党みたいなので、対案を考えてみたいと思います。



現実的なインクルージョンに向けて


障害者の能力は千差万別です。

そのため、社会に出るための準備も個別に十分とる必要があります。

そこで、例えば学力が伸びないとわかっているのだったら、支援校中学部で勉強は終わりにして、高等部からは卒業後の生活のための訓練に特化するというのはどうでしょうか。

農業高校なら農業の、工業高校なら工業の訓練に特化するように、特別支援学校もその後の普通じゃない生活に対応するためのカリキュラムを組むのです。

例えば高等部一年になると「キッザニア」のようなシステムで、卒業後その子に出来そうな仕事を色々と体験させていくのです。

もちろんそれらは、その職業で実際に働く障害者の監督の元で行っていきます。

なぜなら私たちが本当に求めているのは共感なき師弟関係ではなく、

 

「共感のある仲間」によるアドバイス

 

なのです。


そしてその共感のある仲間である障害者の先輩たちによるオペレーションの元、様々な職業体験を通して自分の好みと特性を探っていき、ある程度目星がついたらそれに特化したカリキュラムを組んで、高等部の間ずっと訓練していく。

この方法だと幅広い知識や能力を身に付けることはできませんが、卒業後の進路に対してアンマッチになる可能性を下げることができますし、即戦力として作業所や実際の会社で役に立つ能力を身に着けられると思えば、生徒たちも意欲的に取り組めると思うのです。

そのほか、勉強や就労が不可能と思われる最重度障害を持つ生徒には、その子の興味をとことん満たすというカリキュラムはいかがでしょうか。

生活の困難ばかり突きつけられる最重度障害児には、せめて学校の間だけでものびのびと興味を見つけさせてあげることで、他人に対しての信頼感を育てる。

その他人に対する信頼感は、後の施設やグループホームでの生活でも役に立つのではないかと思います。

 

そして何よりもインクルージョンは、まず大人がそれを率先して実行実現して、子供社会に見本を示す必要があると思うのです。

 

そうでなければ、子供社会でのインクルージョンなんていつまでも絵に描いた餅である続けると感じるのです。

 

皆さんはどうお考えですか?是非ご意見を聞かせてください。

 


次回は、大人たちのインクルージョンである障害者雇用について考えてみたいと思います。