最近YouTubeで、某有名宗教団体の総裁の息子さんが様々な動画をアップしています。
そのYouTuberの息子さんは某宗教団体トップの父親から2億円の訴訟をおこされたり、内情を暴露していやがらせをされたりと色々と大変そうなのですが、彼の動画をみて思い出した事があったので今回はその事を書こうと思います。
事の発端は10歳の頃。
母親がどこからか話を聞きつけてきた「気功」に通うことになりました。
今考えると私の症状がよくなることを期待し、藁にもすがる気持だったのだと思います。
その気功というのは、相手の患部に手をかざして気功の力で病気や怪我を治していく、というものでした。
その気功の先生は都内で小料理屋を営んでいて、その小料理屋の2階が気功を施術する部屋になっていました。
私はその2階の部屋に週に1日、多くて3日通って気功を施術してもらっていました。
そうやって通い始めて5年ほど経った頃でしょうか
ある日突然先生に
「アナタも素質がありそうだからやってみない?」
と言われたのです。
もう5年も通っていますし、先生との信頼関係のようなもの出来上がっていたので、私自身も施術側としてやってみることになりました。
といっても、いきなり先生のお客さんに施術するというわけではなく、修業から始まりました。
その業界では有名な先生のようで、小料理屋の二階にはお弟子さんとして何人かが気功を習いに来ていました。
気功の修業は弟子同士でお互いの身体に手を当てながら、念じるというものです。
手を当てられた場所は温かくなり、続けているとその温かさが「抜ける」ときが来ます。
それがその部分に十分に気が入ったという合図なので、そうなったら施術を止めるということを繰り返していきます。
ときには1時間くらい一心不乱に念じながら手を当てているときもありました。
そのうちだんだんと他の生徒から「金重さんに手を当ててもらうと違いますね。」と言われるようになっていきました。
そういうことを続けているうちに今度は先生から
「ちょっと私のお客さんにやってみない?」
と言われたのです。
その時点ですでに修業を始めて5年ぐらいたっていたのですが、肝心の自分の気功の能力に関しては半信半疑どころか疑い100%という状態でした。
なぜなら10年近く通い続けていても納得しがたい疑問があったんですね。
例えば手を当てて温かくなるといわれても、自分の身体に自分の手を当てても温かく感じます。
それに温かさが感じなくなったときがやめどきといわれても、患部が手の温度と同じになれば感じる温かさは当然鈍くなりますよね。
そういった誰しも思いつく疑問ももちろんですが、私にとってはそれよりも何よりも、そもそもの目的である自分の麻痺の症状が全く改善していなかったという疑いようのない現実が一番の理由だったと思います。
そうは思いながらも、その小料理屋の二階に集まる人たちは皆良い人ばかりで、まさに「優しい世界」を地で行くような場所で居心地が良かったし、先生にもご飯を頂いたりといつもよくしてもらっていたので、言われるがまま私が先生の患者さんに手かざしをするようになりました。
するとそんな自分の思いとは裏腹に、私の気功師としての評判はどんどん上がっていきました。
たとえば気功の施術中には相手の方と軽い会話を交わすのですが、施術後に
「なにか偉いお坊さんの説法を聞いているようでした」
と言われることしばしば。
私は集中しているせいかその会話の内容をあまり覚えていないのですが、そんな気の利いたことを言っているわけがないので正直戸惑いました。
そんなことを続けているうちに評判が評判を呼び、いつしか私に気功をしてもらいたいという人が小料理屋に行列をつくるようになりました。
しかし、先生からも絶賛され、気功をした人にも「効いた!」と持ち上げられても、私自身は気功に対しては依然として懐疑的なままでしたので、まわりの評価と期待感だけがどんどん上がっていっていることに対して居心地の悪さを感じるようになりました。
その後ますます「金重さんに手かざししてもらいたい」という人が増えてくると、先生はリップサービスなのか本気なのか、後継者として私に期待をかけていると口にすることもあり、それを真に受けた母は
「将来はこれでご飯を食べられるようなるから頑張りなさい!」
と言いだす始末。
その勢いは「もしかして私を教祖として新興宗教でも始めようとしているんじゃないか?」と疑いたくなるほどの力の入りようでした。
一方で父と兄は私が気功の道に進むことに反対していました。
当時、新興宗教としてオウム真理教が世間を騒がし始めていた時期で、警察官僚であった父は特に危惧していました。
その後すぐにオウムによる一連の悪事が次々と明るみになると父は
「ほらみろ、こうなってからでは遅いんだからそういう不可思議なことは止めなさい」
と言っていました。
それでもなんとなく母に言われるがまま気功教室には通い続けてはいたのですが、あるとき先生から知らない人の顔写真を渡され、
「ヤスくんにみてほしいという人が多くなってしまって、直接みていては時間がかかりすぎてしまうから、写真を通して気を送ってください。」
といわれました。
百歩譲って直接相手に手をかざすならともかく、写真を通しても効果があるって、もうこれは完全にオカルトだと感じ、ますます気持ちが離れていきました。
そうは思いながらも、先生にはそれまでの恩義もあるので、自宅で写真に向かって手をかざしていたのですが、釈然としない気持は増すばかりでした。
そういう自分のやっていることの自信の持てなさと、自分に対する周りの評価がどんどん開いていき、次第に手かざしをすること自体が重荷に感じて、いよいよ我慢が出来なくなっていきました。
ちょうどその頃、私がNPOから独立し介護事業所を立ち上げようかという話になったので、それを言い訳に15年近く通い続けた気功を止めることにしました。
その後「どうしても」といわれて何度か行ったのですが、手をかざすことは断り続けました。
今になって考えてみると、私が他の人よりも有難がられたのは、障碍者である自分が手をかざすことによって、健常者とは違う特別感があったのではないかと感じます。
また、障害を持った幼い私に自信をつけてくれようとしていたのかもしれません。
しかし実際に手を当てた人に
「病気が治った」
「元気が出た」
と本気で感謝されても、私自身は相変わらず気の恩恵をまったく感じることが出来なかったので、「それはそれはよかったですね」と言うしかなかったのです。
とまあ以上が私が教祖になりかけた話の顛末ですが、これが本当に自分でも「気」というものが確かにあって、病気や怪我を治し心を癒せる、と本気で信じていたのならどうなっていたでしょうか。
冒頭にのべた某宗教団体の教祖は、1980年代に社会人として働きながらイタコ(降霊)をして信者をふやしていったといわれていますが、これはその時代背景もあると思います。
当時はオカルトや心霊といった神秘主義のようなものが、広い世代で支持を得ていました。
ノストラダムス、ユリゲラー、あなたの知らない世界、冝保愛子、清田少年、etc.etc
もしかすると、私も時代がすこしさかのぼって産まれていて、自分自身でも神秘的な力を本気で信じており、父兄も乗り気だったのなら、もしかしたら今頃教祖になっていったかもしれません。
実際は、周りの評価に関わらず、自己評価が低くすぎたので教祖になることなく終わりましたが
今回はそんな昔話を思い出したので書かせていただきました。