こんにちはカネシゲです。
あけましておめでとうございます。


2022年の抱負としましては、引き続き仲間と共に小さな対話を積み上げていき、その過程を公開していくということになるかと思います。

立場や考えの違いを超えて協力し生み出した小さな対話の一つ一つが、いずれ真のバリアフリーへつながると信じて、これからもコツコツと続けていきたと思います。


さて話は変わりまして、昨年末は長らく我慢していた趣味のイベントに久しぶりに行ってきました。

ライブハウスで飲食しながら、お話を聞くというトークイベントです。


くじを引いたり、好きなお話を聞いたりしてとても楽しい時間を過ごせたのですが、事前のアナウンスでは感染対策で入場者数を本来の50%に制限をしているということでしたが、実際にはぎゅうぎゅう詰めだと感じました。

私的にはソーシャルディスタンスが保たれて、適切な人との距離が取られていると思ったので行ったのですが、そうではなかったです。

内容自体はとても楽しいイベントだったのですが、そこがかなりの心残りでした。


そんなことを言うと、気にしすぎだと思われるかもしれませんが、もし私が感染してしまうと、私の支援に入っているヘルパーさん達が入れないことになり、それはヘルパーさん達の収入減に直結してしまいます。

またヘルパーさん達が陰性だったとしても、一週間位の自宅待機を求められるだろうし、そうなると、ヘルパーさんたちが支援に入っている他の障碍者の方にも影響が出てしまう。

このように濃厚接触が前提の介護ではコロナの影響は大きく、そういった状態を避けたいので、外出についても人並以上に慎重になってしまいます。

そう考えると昨年末は感染が落ち着いて外出制限がなかったとはいえ、リスクがある行動だったなと少し反省しています。

今年に入り感染者もじわじわと増えてきていますので、もうしばらく外出は様子をみながらということになるかと思います。



競争の先にあるもの


今年は北京で冬季オリンピックがありますが、アメリカを始め西側各国が、選手は送るが政府の高官は送らないという外交的ボイコットを決定したというニュースがありました。

政治とスポーツは関係ないといいながらも、オリンピックは国旗を全面に出し国威発揚を目的とした政治とスポーツがガッチリと絡み合ったイベントですので、政府関係者を送らないというのであれば、選手も送らないのが筋なのではないかなと思いました。

誤解を恐れずにいうなら、オリンピックなんて無くてもいいんじゃないかとも思っています。

それはなぜかというと、「勝ったものに価値を与える」というメンタリティが、様々な悪しき争いの種になっている感じるからです。

そして、その勝者絶対主義的な思想が、国同士の覇権争いを招き、皮肉にも今回の政府関係者の派遣中止に繋がっていると感じます。


なので、環境、才能、運、これらが偶然にも整った選ばれし者を盲目的に称賛するのは、立地、資源、規模、これらが偶然にも整った選ばれし強国の横暴を許すことにつながりかねず、とても危険なことだと思うのです。


また年末には誰もが知る国民的アイドルの娘さんである、有名舞台女優さんが亡くなるという事がおこりました。

近年頻発するこういったことを見るにつけ、人の賞賛が全ての基準である、虚構の世界に生きる人達の憂いを感じてしまいます。

眉目秀麗で地位もお金もある。他人からの羨望は絶えることがない。

でも評価が他人基準になってしまう世界では、精神的に揺らぎやすく、生きづらいのではないかと想像します。


お金も地位もあるのになぜ精神的に辛いことになってしまうのか。

それらは我々が希望をもって進むべき場所ではないじゃないか。

ではどうしたらすべての人が幸せになれるのか。


この一年もこういう感じで考えていこうと思います。

本年もよろしくお願いいたします。